推しと私が生まれ、育ち、暮らす国の歴史について/azami (仕事文脈vol.24 特集1「反戦」と仕事 より)
2018年にポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館へ行き、感じたことは「二度と同じ過ちを繰り返さないためには加害の歴史に向き合い、反省し、語り継ぐことが必要だ」ということ。加えて、「日本は自国の加害の歴史の話をしなさすぎる」という事だった。日本は原爆を落とされた国で、敗戦国。それは繰り返し語られている。しかし、戦争には被害もあれば加害もある。それらと向きあい、反省することで実感としての「二度と同じ過ちを繰り返さない」という気持ちになるのではないか、と考えていた。
数年後、私はようやく「自国の加害の歴史」に向き合うことになった。新型コロナ感染症の発生で混乱した生活が続く中、私は1曲の楽曲と出会い、その曲から癒しを得ていた。その曲を歌っていたのはK-POPアイドルだった。彼らが歌い踊る姿が見たくてYouTubeで動画を漁るうちに、私はすっかりそのアイドルのファンになった。アイドルのファンになることも、韓国文化に触れることもほとんど初めてだった私にとって、そこからは新たな発見と出会いの連続だった。彼らを追いかけるうち、彼らが好きなものにも興味を持つようになった。好物だという初めて聞く韓国料理は食べてみたくなったし、紹介してくれる音楽や映画を聴いたり見たりしたし、読んだと語る本は読んでみたくなった。そんなある日、メンバーの一人が尹東柱という詩人の詩について話す映像を見て、その詩が読みたいと思った。調べてみると、尹東柱は1945年に福岡刑務所で27歳の若さで獄中死していた。どういうことだ? と調べて、愕然とする。日本による朝鮮半島への植民地支配の歴史について、私はあまりにも知らないことが多すぎると気付かされ、自分自身を恥じた。テレビのニュースで語られる「日韓問題」と呼ばれるそれらについて、私はどのように捉えていたのかを省みたりもした。何が「自国の加害の歴史の話をしなさすぎる」、だ。自分だって何も知っちゃいなかったし、話すこともできていなかった。
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