平成生まれ30歳・モヤモヤ対談/石橋友也(平成2年生まれ)・菅間碧(平成4年生まれ)

 平成も終わり、令和になった2019年。平成元年の1989年生まれが、もれなく30歳を迎える年になった。「平成(へーせー)」というなんだか気が抜けた元号を背負った世代が、世の中の中核を担う30歳になる。平成4年生まれの筆者は「あれ?」と勝手に思っている。実際、小学3年生ごろに急に土曜日の授業がなくなり、家で遊んでいたりすると「これだから平成(ゆとり)は」と、よく言われた。思えば「昭和◯◯」っていうお堅い企業は多いけど「平成◯◯」って、某アイドルぐらいしか知らないんだけど …わたしたち、本当に平成生まれが30歳になっちゃうけど大丈夫なんだろうか? そこで、あと数ヶ月で30歳になる、平成2年生まれの石橋友也(会社員)を迎え、「平成生まれ30歳」のモヤモヤを吐き出す会をおこなった。平成一桁生まれが駆け抜けた30年間はどんなものだったか、考えてみる。

●模範的な30歳(家庭があり、仕事がある)になれなかった

菅間:石橋さん、前に「平成生まれ30歳」の世代って、通常頭に思い描く30歳よりもオルタナティブな生き方をしてる人が多いから、その世代にフォーカスした企画や取材をしたいって相談してきたよね。そもそもなんで平成生まれの30歳が気になるんだっけ。

石橋:自分が28歳になったとき、30歳という年齢を強烈に意識しだしたんだよね。自分がこの年齢になって、思い描いていた「大人」像とすごくかけ離れていたことに焦り出したのがきっかけかな。

菅間:その「大人像」って?

石橋:仕事や家族やプライベートに対して確信を持っているのが大人かな。自分の両親は30歳ですでに子どもいたし、転職とかも一切考えてなかったと思う。自分はむしろ30歳に近づけば近づくほど、生きかたに関する迷いや疑いが多くなっていったんだよね。

菅間:それ、年齢を追うに連れて情報量や選択肢が増えてきてるからじゃないかって思う。企業に雇われた状態で、可処分所得を持っていて、東京在住といった要素はあるけれど、両親が30歳だったころより交通網も発達してるから、国内外のどこにでも行けるし、ネットがあるから、すぐにある程度の技術や機材も手に入れられる。
そう思うようになったの、過疎地域の20代の話を聞いたのがきっかけなんだけど。一学年数十人しかいないから、進学先が限られているので、義務教育の間は少なくとも同じメンバーで過ごすんだって。高校卒業したら、やっぱり同じ地域内の大企業、だいたいが工場(第二次産業)に進路を決める、っていう話。首都圏出身の自分は、高校の時点で、いろんな学校で迷って進学したし、就活のときも何十社も受験した覚えがあるから、生まれてきた地域によって「選択肢がない」のが驚きだった。何より、両親の世代と比べてこの30年ぐらいってネットもあったじゃん。携帯電話もさすがに普及してるだろうし。なのに、その地域では進路の選択肢がまだとても限られているのが衝撃で。彼らの方が豊かなのか、実は選択肢がないわけじゃなく、選んでそうしているのか、本当に仕方がないのか、その地域に行って会って話してみないとわからない実情もあると思うけど。

石橋:なるほど。ぼくも東京の大学を出て、就活したけど、就活の時に悩んでいた友達が「江戸時代みたいに親の職業を継ぐような世の中だったらどんなにいいだろう」って言っていたのを思い出した。

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