【連載】「無職の父と、田舎の未来について。」第25回 「贈与と愛と覚悟、続けていくためのリスクの取り方について」さのかずや(仕事文脈 vol.25)後編
*本記事は【連載】「無職の父と、田舎の未来について。」第25回 「贈与と愛と覚悟、続けていくためのリスクの取り方について」さのかずや(仕事文脈 vol.25)前編のつづきです。
贈与と愛、素直に受け取ること
この半年は、「贈与」と「愛」について考え続けた期間だった。きっかけは「世界は贈与でできている」という本を読んだことだった。近内悠太さんという哲学者が書いている本で、すごくざっくりいうと「何らかの見返りを期待して人になにかを渡すのは『交換』で、見返りを期待せずに渡すことが『贈与』である」というようなことが書いてあった。
自分は見返りを期待せず人になにかを渡すことが苦手だ。そしてそれよりも、「見返りはいらないよ」と言われて人からなにかをもらうことがものすごく苦手だ。例えば自分は、人から誕生日を祝われるのが苦手で、本当に嫌いな部類に入る。人からなにかを渡してもらうと「自分はこの人になにかを返さないといけない」と強迫的に思ってしまうので、勝手に負債を抱えてしまう気持ちになっていた。だから、人がなにかをしてくれようとすることに対して、いま考えると積極的に拒否してきたように思う。あとはちょっとしたことでも、例えば物を落として拾うとかも、人の助けを借りずに自分でやろうとしすぎていた。どうみても考えすぎ、人を信用してなさすぎである。
その本には他に、「贈与を受けずに贈与することはできない(いつか破綻する)」「贈与は、受け取る側に贈与に気がつくスキルが求められる」「贈与は受け取ったことに後から気づくもので、それに気づいた人がさらに別の人に贈与を渡すものである」というようなことも書いてあった。自分は人に助けてもらうのが苦手だが、それは自分が人の助けを(無意識のうちに)断ってきたことに起因するのかもしれないと思った。そして自分なりに贈与(だと思う行為)を繰り返して疲弊してしまっていたのは、自分が贈与を人から受け取れていないからなのかもしれなかった。
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