こいのぼりの好きなもの探り21/勉強すること(知らないものを知っていくということ)
小さい頃の私には、「勉強が楽しい」という感覚が全くありませんでした。「そんなことを言っている奴は、そういう真面目な姿勢をアピールして褒めてもらいたいだけでしょ?」そうとしか思えなかったです。それ程、幼い私にとっては勉強と楽しいは結びつかないものでした。
2月中旬、医療系の国家試験を受けました。中高一貫校で育ち、大学も面接と小論文で入学した私にとって、人生で初めての大きな試験。これはしくじれない、と初めて計画的に、長い時間をかけて、こつこつと勉強をしました。取り組み始めた頃、「辛い日々の始まりだぜ…」とセンチメンタルになっていたのですが、驚いたことに、やればやるほどにじわじわと楽しさが増していったのです。そういうわけで、勉強をしていく中で気づいた自分の特性、そして勉強のどこが楽しかったのかを記したいと思います。
まず勉強をしていく中で気づいた自分の特性が二つ。
一つ目は私自身が、機序が気になるタイプであるということ。今まで意識したことがなかったのですが、友人と質問をしあいながら勉強していく中で、私は人よりも「なんで?」が解消されないことにストレスを感じるんだな、と言うことに気が付きました。一度疑問が生まれ、その回答が得られない場合や今まで学んだことと合致しない場合に、他の問題を解いていても頭の片隅にずっと「なんで?」が漂っていて、思考が鈍る感じ。あれが本当に不快でした。
二つ目は自発的に行う学習で得られる成果と他者に強制されて行う学習の成果の差が大きいこと。これは私だけではなく、多くの人がそうなのではないかと思います。
関心を持つ→調べる→覚える
覚えろと言われる→調べる→覚える
の二択では、前者の方が、圧倒的に知識が定着しやすかった。だから、関心を持つために色々な工夫もしてみました。実際に自分の体で試してみたり、街で人を観察してみたり、アニメの描写を医療的に考えてみたり。それをするだけでどんどん覚えられるし、なんか楽しくなった。勉強に限らず、全ての意思決定にとって、自発性があるかないかは重要だよなと改めて思いました。誰かにさせられているのではなく、自分で選んで、自分なりの理由を持って、納得して、行っている。この感覚は、私が生きる上でとても大切なんじゃないか?大切にしよう。勉強を通してそんなふうに思いました。
最後に勉強のどこが楽しかったのか、好きだったのかについて。
単純に問題が解けるようになっていくことも楽しかったです。達成感。目に見える形で成果が出るので、自信になり、それがさらにモチベーションや楽しいという感覚につながっていきました。
でもそれよりも、一番好きだなあと思ったのが、点が線になっていく瞬間です。今まで学んだことが繋がっていく感覚に快感を覚えたました。
例えば
「ああ、だからあの時は頭痛がひどくなったのか」
「あの時痙攣したのは、過換気症候群だったのか」
「水疱瘡になったら学校に行っちゃいけなかったのは、こういうワケなのか」
とか。
専門分野に限ったことではなく、小さい頃に経験した些細なことや自分の体に起きたことがみるみるとわかっていく。今までうっすらと傍にあった謎が解けていく。シリーズもののミステリーでやっと黒幕に辿り着いた時の感覚と似ています。そのスッキリ感が快感であり、好きだなあと思いました。
こう振り返ってみると、今までただなんとなく勉強していたんだな〜と思い知りました。もっとたくさんのことを知って、自分で色々なことを考えてみたいな。
こいのぼり
(写真は箱根に行った時に撮った木です。雪が綺麗でした。)