見出し画像

さわる社会学・特別編 無菌化された労働力商品たちの夜 /堅田香緒里

 ジーージーージーー。耳の中にこびりついて消えない音。早朝6時。
 充血した目に太陽の光が突き刺す。目があけられないほど眩しく、痛いくらいだ。深夜の工場労働を終えて建物の外に出てきた瞬間、こうしていつも待機し、歓待してくれる太陽に備えて、伏し目がちのまま重い扉を開くことが、労働終了の儀式だった。
 主にコンビニエンスストアの棚に並べられることになる弁当や総菜を詰める工場での労働。私の勤務時間は夜10時から朝6時まで(休憩あり)。当時は大学院生で、日中は研究や活動をし、他に別のアルバイトもしていた私にとっては、臨時収入を得るのにちょうどよい仕事だった。なにより、日中の諸活動を犠牲にせずに稼げるという点で、時間に無駄がなく効率の良い仕事だ(と思えた)し、深夜なので時給も(日勤よりは、ちょっとだけ)よいという特典もあった。深夜バイトの中でも弁当工場を選んだのは、桐野夏生の『OUT』 (注)の影響かもしれない。頼めば日払いで給料を支払ってくれることもあり、学生にとってはありがたい仕事だった。そんなわけで、授業が一段落する長期休みなどは、だいたい深夜の工場で働いていた。仕事を求めれば、工場の側もいつでも雇ってくれた(今思えば、常時人手不足だったのだろう)。

(注) 桐野夏生『OUT』講談社(1997年)。家庭崩壊や借金、DV、孤立無援の介護等、それぞれに生活に行き詰まりを感じながら深夜の弁当工場で働いていた4人の「主婦パート」たち。そのうちの一人がカネをギャンブルに使い果たしてしまった夫を殺してしまう。4人は共謀して死体をバラバラにし、遺棄する…というところから物語が展開していく。

★仕事1 ライン作業の工程

 工場までは、送迎バスに乗ってみんなで一緒に向かう。着いたらまず、着替えや消毒を済ませなくてはならない。工場という無機質な空間は、ともすると、そこで生産されるものが、いずれ人の口に入るものであるということを忘れさせてしまう力を持っている。けれども、ライン作業に入る前に、毎回徹底される着替えと消毒によって、労働者は、ここで取り扱う商品が人の口に入る「食品」であるということを知らされる。食品製造ラインの衛生管理は非常に厳しい。この仕事をする前、私は「なんだかんだいって、案外適当なんじゃないの~」と思っていたが、むしろ、衛星管理については面倒くさいくらいに徹底していた。

 ライン作業に入る者は全員、全身白の作業着に着替え、支給される帽子とマスクを着用する。作業中に、商品である食品に直接触れ続ける「手」の取り扱いはなにより徹底していて、除菌効果の高い石鹸で指一本一本を丁寧に洗ったのち、手袋を二重に装着する。この時点で、もはや誰が誰だかわからなくなる。全員が、全身をすっぽり白の作業着に覆われ、顔面の大部分を覆うマスクと帽子の間から、目だけをギラギラさせている。私たちが、固有の名前を失い、互換可能な労働力商品になる瞬間だ。最後に、全身に消毒用ミストをあびて、無菌化された労働力商品たちが、いざライン作業を開始する。

 工場の作業場は、おそらく多くの人が想像するよりずっと狭く、そして寒い。数メートルのベルトコンベアーが何本かあり、それぞれのラインのあちら側とこちら側に、5人から10人くらいの人がほぼ等間隔で配置される。ひとたび配置されると、原則的に与えられた定位置からの移動は出来ず、一晩中、自分の目の前に流れてくるモノだけをただひたすらにサバいていく。たとえば弁当ラインの場合、機械が定量の白米を絞り出したところで、その白米を容器に隙間のないように詰めていく作業、敷き詰められた白米に醤油を均等にスプレーする作業、そのうえにおかかを盛っていく作業、おかかが盛られた白米に海苔を貼り付ける作業、ベルトコンベアーから流れてくる肉団子やからあげ、コロッケ等を既定の数量に分けていく作業、既定の数量に分けられたこれらの総菜を盛り付ける作業、すべての盛り付けが終わった容器に蓋をはめ込んでいく作業、箱詰めされた弁当にパラフィンをかけていく作業、別添のソースやタレをテープで貼り付けていく作業……など、作業が非常に細かく分割されている。

ここから先は

2,959字

¥ 100

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけましたら、記事制作やライターさんへのお礼に使わせていただきます!