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東京という錯覚/高松夕佳(仕事文脈vol.16)

 東京が好きだった。いま私は茨城県つくば市のひとり出版社ということになっているが、実は好きで選んだわけではない。そこが私の出身地で両親がおり、とりあえず住む家(と倉庫)があるから、というだけだ。
 中学生の頃から、高校卒業後は絶対に東京に出る、と決めていた。県内の大学を志望する同級生のいることが信じられないほどで、今となってはなぜあれほどまっすぐ東京に目が向いていたのか、自分でも不思議だ。国によって造られた人工のまち・筑波研究学園都市の息苦しさから抜け出したかったのかもしれないし、家を出てみたかっただけかもしれないし、都会といえば東京しか知らなかったのかもしれない。
 大学進学以降のおよそ20年を、山手線の内側で暮らした。テレビのバラエティ番組やドラマ、雑誌に出てくる地名・駅名・店名のほとんどは身近なもので、日本で起きているたいていのことは自分の生活と地続きのように感じられた。大学では落ちこぼれだったし、最初に就職した出版社では上司と馬が合わなかったけれど、自分は東京にいるのだと思うと気が晴れた。住んでいたのは、ベランダから身を乗り出せばギリギリ東京タワーが見える部屋。夜、オレンジに光るタワーを眺めるのが、ひそかな楽しみだった。
 二十代半ばには、乗車する東海道新幹線が品川に近づき、高層ビルが見えてくると「ああ、帰ってきたなあ」と懐かしさに似た感情をかみしめるようになった。もはや東京は自分のホームだ。自然とそう感じるようになったことが、たまらなくうれしかった。つくばに郷愁を感じたことはなく、ほとんど帰ってもいなかった。

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