私が違法外国人労働者だったころ/大原扁理(仕事文脈vol.16)
コンビニ、量販店、工事現場と、ここ数年で日本でも外国人労働者を見かける機会が格段に増えましたよね。
なまりのある日本語、ときにはおぼつかないながらも、みんな母国を離れてたくましく働いている。どんな理由で日本に来たんだろう。家族はどうしてるのかな。私も昔は、そんなふうに見えていたんだろうか。
私は外国人労働者だったことがあります。それも違法の。
2007年、21歳のとき、引きこもりすぎて軽い失語症になった私は、荒療治として、ひとりで世界一周旅行に出かけた。人としゃべらなければいけない環境に置かれれば、またしゃべれるようになるだろう、と。たしかにしゃべれるようにはなったけど、若くて無知なうえに計画性が著しく欠けていたため、世界各地で何度か所持金が底を尽きた。観光地をめぐったり、贅沢をしていたわけではなく、もともと資金が少ない貧乏倹約旅行だった。労働ビザなんかなかったけど、働かないとにっちもさっちもいかんくなった。
そんな状態で、つてもなく、どうやって仕事を見つけたのか。
簡単です。ストリートの端から端まで、すべてのお店のドアをノックして、「仕事はありませんか」と聞いただけ。この方法で、ハワイでは射撃場のチラシ配り、ニューヨークでは日本食レストランのバスボーイ(給仕見習いみたいなもんです)、ロンドンではネットカフェの仕事にありついた。まあ、やればなんとかなるもんですね。
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