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耳かきをめぐる冒険 第二話 巨大たこ焼きとアイデアが生まれる場所

みなさんこんにちは。タバブックススタッフの椋本です。
この連載では、僕の耳かきコレクションを足がかりに記憶と想像をめぐる冒険譚をお届けします。
さて、今日はどんな耳かきに出会えるのでしょうか?

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巨大たこ焼き耳かき
かき心地:★★☆☆☆
入手場所:心斎橋のお土産屋さん

大阪は心斎橋のお土産屋で購入した巨大なたこ焼き耳かき。そのサイズ感ゆえ耳をかきづらいのが玉に瑕ではあるものの、大阪人らしい潔さが光る一本だ。

ところで、耳かきの世界にはこうした「アイデア耳かき」が多数存在するが、日常的に耳にするこの「アイデア」とは一体どこからやってくるのだろう。ひらめきの流れとよどみは繰り返しやってくるもので、一人ならまだしも、煮詰まった会議の空気感たるや夏場のマスクより息苦しい。そんなとき僕は「ひらめきを自由にコントロールできたら…」なんて虚空をみつめながら夢想する。

「アイデアが降りてくる」という言い回しがあるように、一般的にアイデアは「自分とは関係のない場所から突然やってくる」というイメージが先行するけれども、僕にはこれがなんとなくしっくりこない。そこで思い出すのが、イタリアの発明家ブルーノ・ムナーリの『ファンタジア』という本だ。

ムナーリはこの本の中で「ファンタジア」という能力について説明を試みる。まず、ファンタジアは「発明」や「クリエイティビティ」のさらに大元にある発想を指す概念だ。ファンタジアにとって、考えついたそのことが本当に実現できるか、機能面はどうか、ということは重要ではない。とにかくまずは想像を自由に飛ばしてみること、「想像する」という行為それ自体を楽しむことが何より重要視される。
そして、ファンタジアの〈豊かさ〉は「知っていること」と「考えていること」の関係性から生まれるとムナーリは言う。つまり、本を読んだり、経験を重ねるばかりで考えることを放棄していては片手落ちだし、反対に机に座って思考するだけでも何も生まれてはこない。「知ること」と「考えること」の往復運動によってこそアイデアは生まれ来るというわけだ。
「だからこそ…」とムナーリは言葉を結ぶ。「きわめて限定的な文化圏にいる人は乏しい手段を利用するしかない。多様な文化圏に身を置くことがファンタジアにとって重要なのだ」と。

こうしたムナーリの思想から連想するのは、我らがタバブックスが2018年に出版した『生活考察 Vol.06』掲載の藤原麻里奈さんの文章だ。藤原さんは、頭の中に浮かんだ不必要な物を作り上げる「無駄づくり」を主な活動とする人物である。「記憶と思考がぶつかり〈無駄〉が生まれる」と題されたこのコラムの中で、彼女はこんな言葉を記す。

「無辺際に広がる頭の中に、幾千もの記憶と思考がある。生活を送るうちに増えていくこの記憶たちは、生活を送るうちに様々な物と繋がり、思い出へと昇華するのだろうか。断片的なものたちが急に繋がることで、アイディアは生まれるのだろうか。」

日常生活における"なんてことない記憶"の断片が、とあるきっかけでスパークすることでアイデアが生まれる。すなわち、”記憶”=「知っていること」と、”思考”=「考えていること」の関係性こそが彼女の発想の源であるということだ。ここにはまさに藤原さんとムナーリの共振性を見て取れるだろう。

ここで重要なのは、アイデアは外側からやってくるのではなく、むしろすでに自分の内側に存在しているという視点である。だから、創作や企画といったアイデアを必要とするときはいつでも、何か外部から新しい手段を取り入れようとするのではなく、まずは自分の記憶や心の内側を探ってみる。そうすることで、ふとしたきっかけが呼水となり、思いがけずアイデアの種が芽吹く。そしていつのまにか意識せずともアイデアが湧き出るようになるというわけなのだ。

一つの文化圏に身を置くだけでは豊かな発想は生まれない。多様な文化圏に身を置きながら、思考をやめないこと。その繰り返しこそが誰も見たことのない創造を可能にする。記憶と思考の交差点にこそ、アイデアは生まれるのだから。

椋本湧也

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