タバブックスの本棚から03―石膏人形
もう女の子ではないけれど、女の子として生まれ育ちながら経験したことだけは、私のなかで何度も何度もリプレイされている。女の子は、白くてもろい石膏人形に生まれて世界と直面する。つまり、女の子は時々刻々自分を傷つけようとして壊そうとする外部の環境に、対抗しなければいけないのだ。
そんな一節で始まるエッセイ、「私たちが石膏人形に生まれたとしても」が、タバブックスの『韓国フェミニズムと私たち』に収められている。
エッセイの著者は、『フィフティ・ピープル』や『保健室のアン・ウニョン先生』などで日本でも知られている作家のチョン・セランさんだ。
この文章には、チョン・セランさん自身が「女の子だから」という理由で受けてきた理不尽な言葉や暴力が織り交ぜられている。
長男ではなく長女であることを惜しむ祖母と祖父の言葉。10歳で初めて受けた性暴力。教師や同級生からのセクシャル・ハラスメント。大学時代のデートDVやストーカー被害。就活の女性差別。社会人になってからのセクハラ被害……。
このように女の子が「女の子であること」によって暴力の対象になることを、チョン・セランさんは「石膏人形」という比喩で表現した。
彼女が書いた経験のいくつかは、これを読んだ私自身の個人的な経験とも重なる。
女の子だったときに受けた被害や、大人から浴びせられた言葉に対して私はずっと違和感を持っていた。だが同時に、自分がそんな「石膏人形」であることを認めたくなかった。
生まれたときに振り分けられた性別のせいで、外部から傷つけられるという事実を否定したかった。女の子であっても、自分だけは強いと思い込もうとした。だから自分の被害に向き合えなかったのだろう。他の女の子が遭っている被害にも目を覆おうとした。
「女の子」という、か弱そうな(白くてもろい)響きも嫌だったし、自分が女の子であることも嫌になった。男の子の方がいいと何度思ったかわからない。
今ならそういった考えは、女の子として被ってきた不条理から逃避するためのものであり、内面化されたミソジニーだったとわかる。
今は、女の子であることを否定することで暴力から逃れようとするのではなく、暴力そのものや、暴力を生む社会構造と向き合うという方法で、私に向けられる暴力に対抗しようと思っている。
石膏人形はいつまでも石膏人形ではない…(中略)石膏人形が金属鋳型になるときは必ずやって来る。青銅であれ、黄銅であれ、鉄であれ、より頑丈な金属に変身できるときが必ずやって来る。世の中としっかりと向き合い、よりいい世界を求められる人間は、もう弱くなんてない。
私は、自分が弱くないことを知っている。私は「石膏人形」だったときに刻まれた傷やヒビ割れを金属で修繕して、フェミニズムという鎧を手に入れた。この鎧を着て、かつて女の子だった自分のために、これから生まれ生きる女の子たちを加害しない社会のために闘いたい。
※サムネイルの石膏像の写真は、「私の身体は私のもの」というテーマでZINEを制作したときに、表紙に選んだもの。上の石膏人形の写真も同じZINEのなかで使ったもの。石膏人形(像)を選んだのは偶然の一致だ。
(げじま)