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後ろめたくないおカネは実現可能か/小川さやか(vol.12)


おカネがいらなくなる世界

デジタル通貨やビットコインの研究者である斉藤賢爾は、アメリカ合衆国のSF作家ブルース・スターリングの短編小説「招き猫」*1 に描かれたネットワークに希望を感じるのだという*2 。

「招き猫」がアメリカで発表されたのは1997年で、物語の舞台は近未来の日本である。招き猫とは一種の巨大な互助ネットワークであり、参加者は人工知能ポケコンを携帯し、「自立的なネットワーク贈答経済」に参加している。例えば、喫茶店で主人公の剛がモカ・カプチーノを注文しようとすると、ポケコンが鳴って同じものをもう一つ注文するように指令がくる。剛がもう一つ同じものをテイクアウトして公園に向かい、ポケコンの合図に従って見知らぬ男性にモカ・カプチーノを渡す。するとその男性はそれが好物であり、ちょうど飲みたかったと語る。このようにポケコンの指示に従って何かのついでに他者に贈り物を届けたり、ささやかな親切をしあうことで、ネットワークに属している人びとのあいだでは、各々が稼いだカネで満たすモノ・コト以外の様々な「必要性」「欲求」が循環している。

斉藤は、配車サービスUberや宿泊サービスAirbnbなどの事例を挙げ、これらのプラットフォームとそこでのサービスの台頭が貨幣を(さほど)必要としない融通のソリューション(シェア文化)となり、「バーター(物々交換)」で動く世界が到来する、つまり「招き猫」の贈答経済が現実化しつつあることを指摘する *3。

情報通信技術(ICT)やモノのインターネット化(IoT)、電子マネーやブロックチェーン等のテクノロジーの発展にともなう社会経済の大きな転換が叫ばれるようになって久しい。特に2010年代に入ってからは、「シェア」「フリー」「コモンズ」といった概念がこれからの経済社会を形作る鍵概念として急速に注目を集めるようになった。例えば、ジェレミー・リフキン(2015)は、ICTやIoT、AI等の発展に伴い生産コストが下がり、個々人がピアトゥピアで取引するようになることで実現すると予想される「限界費用ゼロの経済」を、次のように述べる *4。

「限界費用ゼロの経済は、経済プロセスというものの概念を根底から変える。所有者と労働者、売り手と買い手という古いパラダイムは崩壊し始めている。消費者は自らにとっての生産者になりつつあり、両者の区別は消えだしている。生産消費者(プロシューマー)は、生産し、消費し、自らの財とサービスを協働型コモンズにおいてゼロに限りなく近づく限界費用でシェアし、従来の資本主義市場モデルの枠を超えた新しい経済生活のあり方を前面に押し出す。次に市場経済のあらゆる部門での仕事の自動化によって、既に人間が労働から解放され、進化を続けるソーシャルエコノミーへと移行し始めている。市場経済時代には勤勉が重要だったが、来るべき時代には協働型コモンズでのディープ・プレイ[市場ではなくシビル・ソサエティで人々が才能や技能をシェアし、社会関係資本を生み出すことを意味する著者の造語]がそれと同じくらい重視され、社会関係資本の蓄積は、市場資本の蓄積に劣らぬほど尊ばれる。物質的な豊かさではなく、コミュニティへの愛着の深さや、従来の枠を超えたり意義を探求したりする度合いによって、人生の価値が決まるようになる」(リフキン2015: 204)。

あらゆる人と有形無形の資源とを結びつけるグローバルなネットワークが形成され、生産性が極限まで高まれば、人びとは財やサービスを無料で生産・消費できる時代になる。その世界では、自身が稼いだ金額に応じてモノを得るのではなく、それぞれが持つ知識や情報、モノを提供する見返りにそれぞれが必要なモノを得ていく「贈与交換」が主流になっていく。例えば、美味しい料理の作り方を発見した人は、料理法の解説をサイトに投稿する。人びとはもはや料理本を購入する必要はないが、サイトを閲覧するには自らが試した料理法を投稿する必要があるかもしれない。料理の腕は問題にならない。私の投稿は少なくともユーザーがどの料理法が優れているかを発見していく材料にはなるだろう。ふだん料理をしない人は、グルメスポットの情報を無料で提供してもいいだろう。空き家や必要のないモノを融通する、得意分野に応じて技能や知識をシェアする、そうした人々の認知活動、善意や承認欲求などをうまく活用する人工知能がさらに発展し、3Dプリンターなどで複雑な製品も簡単にコピーできるようになれば、私たちはいつか労働から解放され、お金の心配から解放され、プラットフォームを通じて必要なものを手にすることができるようになるかもしれない。

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