新米アルバイトのつれづれ日記02.
こんにちは。タバブックス新人アルバイトのつれづれです。
日に日に冷え込みが強くなりますね。ここ東京も空が澄んで、すっかり冬の空という感じです。
さて、そんな空の下、去る11月20日に「東京トランスマーチ2021」に参加してきました。トランスマーチはトランスジェンダーの人権・プライドを訴えるマーチで、今回初めて東京での開催となりました。
正直に言うと、開催決定をTwitterで知ったとき、わたしはすぐに参加を決められませんでした。わたし自身はトランスジェンダーのアライ(理解・支援する人)であろうとしているものの、非当事者です。トランスジェンダーにたいして特権的な立場である自分が参加していいものだろうか、という迷いがありました。しかし、ある動画を見て、自分もマーチに加わろうと決めました。
その動画というのは、今回のマーチの共同代表である畑野とまとさんが作成した動画です(「トランスジェンダー追悼の日 2021」)。
ゆらめく蝋燭とともに、去年10月以降一年間に殺されてしまったトランスジェンダーの名前や年齢、死因などが次々と映し出されます。たとえば、「Wanessa Sampaio 年齢:22、職業:セックスワーカー、2020年12月22日、ブラジル、刺殺」。動画は375名の名前を映し出し、47分にも及びます。非当事者でありながら、わたしは辛くて全部見ることができませんでした。悲しみとともに、なぜかれらが殺されなければならなかったのか、という怒りが静かに湧いてきたのを覚えています。いてもたってもいられなくなり、わたしはマーチへの参加を決めました。
前回もご紹介した『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』では、「誰かの安心・安全が、別の誰かの排除と表裏一体であるようなねじれた欲望」の例として、渋谷区の「ホームレス」の女性が殺害された事件や、「女性」の安全という名目で行われるトランスジェンダー排除などを挙げています。そして、本文はこう続きます。「女だからといって、派遣労働者だからといって、仕事や収入を失ったからといって、野宿者だからといって、トランスジェンダーだからといって、殺されてたまるか」。
そもそも、11月20日にトランスマーチが行われることになったのも、この日が「国際トランスジェンダー追悼の日」だからです。日本でも自ら命を絶ってしまうトランス当事者が数多くいるといわれています。終始フレンドリーな雰囲気で行われた東京トランスマーチでしたが、根底にあるのは追悼と、「殺されてたまるか」という怒りでした。
ややもすれば、トランスアライであろうとしているわたしもそのことを忘れ、単にマーチの雰囲気を楽しんでいたかもしれません。わたしもトランス非当事者でありながら、どこまで自分ごととして追悼し、怒れるだろうか。どのように当事者と連帯できるのだろうか——青い空に向かって、水色とピンクと白のトランスフラッグを振りながら、そのようなことを考えた一日でした。
東京トランスマーチHP