東京サバイバル マクロビと狩猟と/竹林久仁子(仕事文脈vol.4)
マクロビオティックに出会う。
今から約9年前、30歳の頃。それまで、仕事にも食事にも特にこだわりは持っていませんでした。
高校卒業後は服飾の専門学校に入学。学費はアルバイトなどで働きながらローンで支払いをすることに。生活費もすべてアルバイトで。まだ高校を卒業したてで地方から東京に来たばかりの私にはちょっと無理があったようでローンは払いきれず専門学校へは1年の1学期までしか通えず。今思えばまだまだ子供だった私にはそれが初めてのお金と生活というリアルな問題を体験した事になりました。
それからはとにかく働きました、お金を貯めて美大か専門学校へまた行きたいという思いで。無駄な出費は省こうと家も借りずものも持たず、友人の家や職場に最低限の荷物を置かせてもらって、日中はアルバイトに行き夜は簡単に外食をして10時くらいに渋谷辺りのクラブへ出かけ大音量のフロアの隅っこで眠っていました。クラブが終わるのがだいたい朝4時や5時、軽く友人と朝ご飯をすませたら仕事の時間までは山手線で目覚まし時計をかけて眠る毎日。お風呂はコインシャワーや銭湯などですませていました。19歳から20歳までの1年間はこんな生活。東京にはなんでもあってこんなカタチでサバイバル的な生活ができる事を楽しんでいましたね。
その後お部屋も借り生活は人並みに。派遣OLをやったりメッセンジャー会社の社員だったり、AVビデオのおろし問屋で在庫管理のアルバイトや個人宅のお掃除専門のメイド業務、臨床検査の検体の管理業務やその他複数の会社員やアルバイトを経験しました。面白く働きたいって思って少し変わったお仕事を選ぶ事が多かったですね。古着屋さんでアルバイトをしたのをきっかけにそれらの仕事の傍ら、自分で古着を仕入れしてフリーマーケットやネットなどで販売をする事も続けていました。この頃の東京のフリーマーケットはまさに市場でしたね。特に代々木公園のフリマはビンテージジーンズが何十万円で現金で取引されていたり!!敷物一つでお金がぐるぐる回った異様な場所でした。
この頃は美大か専門学校へ行く事が目標だったので特に就職に憧れる事はありませんでした。今と違って当時はまだアルバイト求人誌も分厚かったし、週に2回とか出ていたかと思います。複数の出版社からも出ていましたし、派遣会社も多かったから仕事を探す事に不自由を感じた事はなかったです。お金が貯まればそれでいい。そんな思いだけだったのでとにかくハードに働き続けました。寝ずに仕事する事も良くあったし、でも遊びにも夢中な年頃だったので遊びも一生懸命でした。アジア旅行へはよく行きました。
29歳のころ貯金もたまって武蔵野美術大学の通信大学を始める事に。念願の美大、通信だけどやっとの思いで入る事ができとてもうれしかったです。新しい始まりの矢先、大きな交通事故にあってしまいました。丁度六本木ヒルズのまん前、バイクで信号待ちをしていたところに後ろから11トンダンプに追突されました。気づいたら道路の真ん中で倒れていてたくさんの人に囲まれていました。
「ひかれたんですよ!!大丈夫ですか!?」
誰かのその言葉で初めて自分がクルマにひかれたという事とまだ生きている事だけはわかりました。
すぐ救急車で病院に運ばれて翌日に手術が決定。
左膝高原骨折。
折れた場所があまりよくなかったらしく、手術前に主治医にもしかしたら一生左足は動かなくなる可能性がある事と切断の危険性もある手術になる事、もし成功しても一生後遺症は残る事を説明されました。
私にとっては初めての大けが、知識も全くなく主治医の説明は全く理解できず。
なおらない怪我なんてないでしょ!?痛み止めも常に効いていたので全く現実が理解できていませんでした。お見舞いに来てくれた友人には、
「けがだから手術が終われば一週間くらいで退院できるよ!!」なんて言ってたくらいでした。
手術は無事に終了、その後一週間たっても退院できず。それどころか激痛とただの棒のようになって動かない左足と何もできずにベッドで横たわる日々が延々と続きました。入院して2ヶ月経過後、足は全く変わらない状態でしたがこのまま寝ていても進歩はないので、実生活を実践していく事をリハビリにするようにと、車いすか杖の使用をする状態で自宅療養に切り替わりました。
入院中は看護士さんがすべて補助していてくれた事を、自宅ではすべて自分でやる事に。左足が動かないだけで普段の生活が全くできない事に大きなショックを受けました。自宅に帰ったらリハビリをがんばって早く歩けるように、なんて思いも全くなくなって、動けない、動かない、思い通りにできない事がすべてストレスに変わっていく日々。身体が不自由になって初めて社会は障害者にまだまだ対応していない事がよくわかりました。外出が怖くなってだんだんと家に引きこもるようになりました。引きこもるようになるとストレスもさらに増して、過食に走るようになってしまい気づいたら退院後2ヶ月もしないうちに体重が20キロ増。
容姿にもストレスを感じさらに悪循環な状態が続きました。何かを常に食べ続けてはネットと向き合うだけの日々が続く中、ふと目についた記事が。
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