【後編】つながりと感情が武器化される時代に「論破」、「冷笑」、憎悪から距離を取る/礪波亜希(仕事文脈vol.22)
第一に、情報通信技術がもたらした「つながり」のジレンマがある。技術は、石器時代の昔から人間の社会・文化的発展を左右してきたが、21世紀に新たに現れたのが情報通信技術と、これを支える衛星・インターネットインフラである(*14)。
情報通信技術は、交通技術の発展と共に、アイディア、ニュース、商品、情報、資本、技術が世界を行き交う速度を急激に加速した。ところが近年、私たちが相互通信能力(コネクティビティ)を得たおかげで、世界各地が結びついた一方で、ばらばらにもしていることが指摘されはじめた(*15)。いまや「つながっていること」は強みでもあり、容易に武器化されてしまう脆弱性にもなる、というジレンマである(*16)。例えば2019年末に中国で新型コロナウイルスが発見された際は、世界中がつながっていたがために、「世界的大流行」と宣言されるまでわずか3ヶ月しかかからなかった。
より喫緊の問題としては、若者に対するソーシャルメディアの功罪が議論されている。鬱や自殺が増えたとする説(*17)や、エンパワメントするという説(*18)、もしくはその両方であるとする説(*19)があるが、2021年には、Facebook社が、2012年に買収したInstagramが若いユーザー、とりわけ女の子の精神衛生に悪影響を及ぼすことを知っていたことが、内部告発者によって明らかになった。同社の調査では、10代の少女の13.5%がInstagramは自殺願望を悪化させた、17%が摂食障害を悪化させたと回答したという(*20)。このように、ソーシャルメディアでつながることは人をエンパワメントする一方で、多数の他者と自分を比較し、自分はみじめだ、劣っているという不満(相対的剥奪感)を引き起こし、ときに深刻な精神的苦痛を与えることが明らかになりつつある。
第二に、産業構造の変化がもたらした望ましいとされる人間像の変化がある。
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