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さわる社会学/堅田香緒里 第一回 クレンジングされる街で (『仕事文脈』vol.11)


横浜駅からJR根岸線で三つ目の駅・石川町。南口には元町商店街、北口には中華街が広がる。中華街の先には、海沿いに山下公園や横浜スタジアム。横浜の文化と繁栄を象徴する中心地だ。観光ガイドブックには必ず掲載され、常に多くの観光客で賑わっている。その中心地の真ん中に位置する0.06㎢ほどの小さな一画、それが、寿地区である。ほんの二十年前まで、観光客や近隣住民は寄り付かない場所だった。何かの間違いで足を踏み入れてしまった者は、おそらく視覚よりも先に嗅覚で、その場所が横浜の繁栄と対極にあることを知り、すぐに引き返したであろう。アルコールや腐敗した食物、人間や犬の排泄物が混じり合った独特のすえたような臭い、つまり人間の生=労働の臭い。物理的な境界線は引かれなくとも、鼻につくこの臭いが、この地区を周囲の地区と分かつ境界となっていた。20年前、タネさんと私は、この臭いの中で出会った。

■ 屋根のない家

タネさんとの出会いは偶然だった。当時わたしは石川町近くの学校に通っていて、帰り道には道草を食うのが習慣だった。その日もいつものように道草を食っていたら、突然雨が降り出した。周りを歩いていた人たちが一斉に小走りし始めた。雨に濡れるのは嫌だったし、釣られて私も小走りしていたら、目の前に、うずくまる小さな背中が現れた――それがタネさんとの最初の出会いだった。まるで雨なんか降っていないかのように、そうしていることがこの世で最も自然なことであるかのように、その背中は身じろぎもせず、ただそこにあった。私は、そんな背中を見遣りつつも、足を止めずに走り去った。そうすることが私にとって自然なことだった。しばらくすると、雨がピタリと止んだ。周りにはもう、小走りしている人はいない。私も小走りを止め、再び歩き始めた。

 周囲の景色の流れる速度が緩やかになるにつれ、ふと、さっき見た動かない背中が思い出されてきた。もしかしてあの背中は、具合が悪くて動けなくなった人なんじゃないだろうか。私は、それを知りながら、雨の中に置き去りにしてきてしまったんじゃないだろうか。気になり始めると、心臓がバクバクしてきた。このまま足早に帰ってしまうことも出来たけれど、そんなことをしたら、今夜はこのバクバクで眠れないんじゃないかという気がした。どうせならぐっすり眠りたい。私は、動かない背中の地点に戻ってみることにした。どうせ道草の途中だったし、帰りを急ぐ理由もない。

 背中は、さっきとは向きを変えていた。だからまた私の目には、背中しか見えない。一度はその背中を無視して走り抜けたことや、にもかかわらずまたその背中に戻ってきたことが恥ずかしくて、できるだけ自然を装って、背中の反対側に回り込み声をかけた――「大丈夫ですか?」。そう声をかけ終わらないうちに、私は後悔していた。背中の反対側には、あのすえた臭いがあった。背中からは分からなかったが、タネさんは、ホームレスだった。

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