虹色眼鏡 /チサ (仕事文脈vol.9)
連載中の「虹色眼鏡」、第1回です。開始当時17歳だったチサさんの文章、『仕事文脈』を読む機会がたぶんあまりない、10代の人にもぜひ読んでもらいたいので、バックナンバーを公開していきます。
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「自分の表現に酔ったみたいな気障で、自己陶酔加減に目を覆いたくなるような文章が恥ずかしくて書けなくなってしまったので」と書いてから私は眉をしかめてみた。「自分の表現に酔った云々」なんて「朝の朝食が不味くて食べられなかったので」って言っているようなものじゃないかと考えてニヤッとしてしまう。
最近なぜだか文章を書くことができない私は気障な文さえも書けなくなってしまった。表現者なんていうのはきっと自信があって自分の表現を確信しているんだと思う。定規は真っ直ぐでないと正確な線を引くことができないように少し最近までの私にもとても真っ直ぐな定規があった。決して真っ直ぐではない空間を押し曲げて、その定規だけは唯一正しいんだと私は思っていたからその定規を大切に曲げないようにしてきたのに、「その定規は曲がっている」と誰かが言った。歪んだ鏡を覗いて真っ直ぐに見える定規をおはじきをあめ玉だと信じていた女の子のようにいつも使っていたなんて思いもしなかったし、それは実際今までの私を真っ向から否定してくるようで何かを言うのが怖かった。
「退屈しない人生をルーズに楽しみたいよね。」とヴィヴィアンウェストウッドが大好きなお兄さんが言った。青髪だったのにいつの間にか髪を黒に戻していたから私は少しだけ不満だった。彼は70年代のパンクバンドのセックスピストルズを聞いて、Rick Owensのスニーカーを嫌味なく履きこなす古着屋のショップ店員で夜はナイトクラブのオーガナイザーで「自由に生きる」というのが彼のモットーだったし、それに関して私はとても賛成だった。けれど私は見かけと実態が大きく異なってしまう傾向にあって自由に生きられる人には少なからずいつも嫉妬してしまう。型にはまりたくないと言いながら、伸ばされたクッキー生地みたいに型にくりぬかれて気に入られようとしてきたんだもの自由に生きることに憧れながらいつも自由な人を心の奥で否定して嫌悪してきたんだと思う。
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