無職の父と、田舎の未来について 第8回 さとり世代の将来の夢と、「仕事」を疑うことについて。/さのかずや(仕事文脈vol.8)
田舎の足の引っ張り合いと「消費者根性」
2年勤めた広告会社をやめて、大学院に入り、1年が過ぎた。いろいろと面白そうなネタに浮気し ながらも、ぼくは飽きずに田舎のことをやっている。いまは故郷の北海道遠軽町に帰ってきていて、調査と取材を進めている。
遠軽町は、遠軽厚生病院の産婦人科が昨年廃止されたのをはじめ、様々な機関や事業においてじわじわと縮小が続いている。それに対して街ができることは、本当にセンスのない広告に貴重なお金をばらまくくらい。ぼくが帰ってきて、いろんな方と話していて感じる最も大きな問題は、遠軽町の住民に「住民はサービスを受ける側である」という思い、言わば 「消費者根性」が染み付いていることにあるのではないか、と感じている。
2016年2月、大都市圏の電車の中吊りで掲載された遠軽町の産婦人科医師募集広告(遠軽町保健福祉課facebookページhttps://www.facebook.com/engaru.hokenfukusi/ より引用)
「なにかやりたい」とは言いながら、じゃあこういうことしたら、というと、テレビを見ながら 「仕事忙しくて出来ないのよね...」とぼやいてゴロ寝しているだけのぼくの母を見ていて思うことは、 「なにも自分で生産したことのない人が、ゼロから何かを始めるのは非常に難しい」 ということ。そして特に遠軽のような、中途半端に人口が多い田舎では、何か新しいことを始めようとしても「迷惑をかけないでほしい」という思いが先行して足の引っ張り合いをしていて、都会よりもずっと、周りになに言われてもやり通せる強さがないと、ゼロから始めるのは非常に難しいように感じる。これもきっと「私たちはサービスを受ける側である」という意識から生まれる足の引っ張り合いなのではないかとぼくは感じている。
北海道の開拓時代からたった100年、「みんなが生活をつくる構成員」であったはずの100年前 からみると、ずっと物質的には豊かになったのかもしれない。しかしその時代とは真逆の「お金を払えばモノやサービスを無条件で得られる」だけなのが本当に豊かな社会なのか、ということには強い疑問が残る。これらの問題が絡み合い、遠軽はお互いに足を引っ張り合って少しずつ衰退している。他の地域でも近い状態のところはきっと少なくないだろう。
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