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「活」という名の妖怪と「魔女」の物語/堅田香緒里(『仕事文脈』vol.10)

「さわる社会学」連載中の堅田香緒里さん、『仕事文脈vol.10』「Don't work too hard」特集号の寄稿です。「女性活躍推進」の根底にある問題、抑圧されてきた「魔女」の歴史、2017年3月8日にドイツ・ノイケルン地区で行われた「女のいない一日ーベルリン連帯マーチ」のレポートなど、今読んでいただきたい内容です。

■ 一匹の妖怪が徘徊している。「活」という名の妖怪が。

巷には「活」が氾濫している。就活に婚活、妊活に保活。離活も流行した。最近では「終活」がブームだろうか。自分の死が近づいてきたと感じたとき、自らの葬式から墓の準備、相続関係の手続きまでを、すべて自分で行い、残された人に迷惑をかけずきれいさっぱり死んでいくための準備をすることを「終活」というのだそうだ。かつてイギリス福祉国家は、人が生まれてから死ぬまでの生活を包括的な社会保障を通じて保障しようと、「ゆりかごから墓場まで」という、かの有名なスローガンを生み出した。転じて現代日本では、「妊活から終活まで」。もはや人は、その生まれ落ちる(産み落とす)以前から、死を迎えるそのときまで、自ら「活動」し続けることを求められているようだ。さらには、「朝活」に「寝活」と来る。こうなると、ある一日だけを切り取ってみても、朝起きたその瞬間から、寝る瞬間まで、もとい、寝ている間の時間まで(!)をも「活用」することを求められているのだ。

このように、「活」という名の妖怪が徘徊し、いまや「ゆりかごから墓場まで」われわれの生と日常を飲み込もうとしている。誰もかれもが、死んだり眠ったりするその瞬間に至るまで、活動的であることを期待される。ああ、「一億総活躍」だ。

■ 女をめぐる「活」

さて、この妖怪が最も頻繁に徘徊しているのが、女の生=労働をめぐる領野であろう。政府は、ここ数年、これまで以上に女性の「活躍」「活用」をアピールするようになり、2016年には「女性活躍推進法」なる法律まで作ってしまった。なんとしても女性に「輝いて(shine/重要な注意書き:死ね、ではなく、シャインと読みます)」ほしいらしい。けれども、そうした政策は果たしてどれだけ女のためのものになっているのだろうか。それ以前に、私たち女は、「活躍」したい、「輝きたい」と、一体いつ望んだというのだろうか。

今日の女の生=労働をめぐる状況を見てみると、一方では、シングルマザーや単身女性の低賃金や貧困の問題が取り沙汰され、他方では、高所得キャリア女性の「活躍」が喧伝されている。しまいには、両者の格差を示す「女女格差」(橘木俊詔)という言葉まで生まれ、その階級的分断は深まるばかりにみえる。しかし政府は、女性の「活躍」「活用」を声高に謳いながら、不思議なことに、そうした女性の貧困や分断、女性間の格差にはほとんど言及せず、またその対策も用意しないままである。

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