「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」プロローグ黎明編その2〜裏写真部結成〜
皆様こんにちは。
現代音頭作曲家の山中カメラです。
連載「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」その2。昨日の続きです。
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シリーズ「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」
プロローグ黎明編 その2〜裏写真部結成〜
将来のことなどあまり考えず、のほほんと過ごしてしまい、ついに高校3年生になってしまった。
さあ、進路を決めなければいけないという時になって、漠然と大学に行き、漠然と何処かに就職することが自分にとって本当に良いのか?と悩むようになった。
ちょうどその頃、再結成が大きな話題になりアルバム「テクノドン」が発売された時期で、YMO(イエローマジックオーケストラ)を知った。過去のアルバムをすべて聞き、各メンバーのソロアルバムも貪るように聴いた。田舎町でヒットチャートのJポップしか知らなかった自分にとって、こんな音楽の世界があるのかと衝撃を受けた。
「未来派」などの芸術運動も坂本龍一のアルバムで知った。
(十数年後に坂本龍一さんと共演出来るとはこの頃考えもしなかった)
「俺は作曲家になる!」と進路をとっくに決めておかなければならなかった時期に一念発起し、受験の為のピアノと楽典を猛勉強し、なんとか地元の音楽短期大学作曲コースに入学することが出来た。
1996年春、一人暮らしもはじめ、新しい音楽漬けの生活が始まるかに見えた。
のっけから授業で美しい曲をスラスラ作れると思っていたのだが、受験の準備をするのがあまりにも遅すぎため、本来は受験勉強で済ませておくべきの「和声学」「対位法」などの基礎を先ず学ばなければならなかった。
毎日毎日おっかない教授のもと、五線譜に和音を連結させていくだけの、作曲の基礎の授業が続いた。
当時はつまらなすぎて挫折するのにそう時間はかからなかった。
(今思うと、指導して頂いた現代音楽家の田中照道先生はとても熱心で素晴らしい先生でありました。なぜあの時もう少し真面目にやらなかったのか?と後悔し反省しています。本当です。)
「音楽のようにめんどくさくなく、何か手っ取り早く表現出来る方法はないものか?」
当時は女流写真家御三家(ヒロミックス、長島有里枝、蜷川実花)がもてはやされており、「こんなのなら自分でも出来る」と始めたのが写真だった。
シャッターを押すだけで、自分の世界が表現できる写真がとても新鮮だった。
当時、学生アパートの隣に住んでいた美術学科の和田学君とも意気投合し、「裏写真部」という写真ユニットを組み、お互いがお互いを撮りあうというスタイルで活動を開始した。
毎日暗室に籠もり、作曲そっちのけで写真にのめり込んだ。
今見ると酷いクオリティー(バカッターの走りのような風情もある)だが、裏写真部時代の作品を見ていただこう。
高速連写出来るCanonのT-90というカメラを手に入れ、連写が面白くて36枚連続組写真の中の一枚。冬の河川。
相方の和田くん。今は高校の美術教師をしています。
これも和田くん。
長時間露光出来るカメラを手に入れ、それが面白くて未来派を気取っていた時期。
いったい何なんでしょうかこれは。まったく。
二人で活動していく中で、写真自体がどうというよりかは、「カメラの前で何が起こったか?」を記録するパフォーマンスに重点が置かれるようになっていくのであった。
次回、「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」プロローグ黎明編その3〜山中カメラの誕生〜に続く。
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私の作品集が近日発売になります。よろしくお願いいたします。
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「山中カメラ現代音頭集 Shall we BON-DANCE?」(タバブックス)