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私の家族 1 /私とお店のこと beeteat 竹林久仁子

狩猟をしているというとご実家はマタギの家系ですか?と聞かれる事が多く、不思議に思った。

1975年、生まれは兵庫県、6個上の長男、3個上の次男、長女で末っ子の私と父と母の家族構成。私の記憶の始まりの部分からすでに家族は崩壊していた。女遊びと借金を繰り返す父とそれを苦に酒ばかりを飲むようになったアルコール中毒の母。家の中は常に罵倒と暴力、包丁、金属バット、流血の毎日であった。

マザコンの父は神戸の両親に母との結婚を機に家を建ててもらった。ど田舎だけど当時の新興住宅街、一般的なサラリーマン家庭だが当時は最先端の家が立ち並ぶ住宅街に我が家はあった。そんな閑静な住宅街に異彩を放った存在だったらしい我が家、トラブルは通常運転、近所のおばちゃんたちに保護されたことも数回覚えている。

なんで出会ってしまったのだろうという二人なのだが、どうやら長男には悪いが今でいうデキ婚て奴だったらしい。大学生の父と集団就職でど田舎から上京した母、出会いは東京中野の居酒屋だった。

両家の親族はそんな二人の結婚を猛反対した。特に父の母である神戸の祖母は猛烈に反対した。

当時生命保険会社の営業をしていた神戸の祖母、満州生まれの戦争経験者である。神戸という土地で今でいうキャリアウーマン的な祖母、長女を病気で早くに亡くしてしまい残ったのが長男であった私の父であった。神戸の祖父はよく言えば物静かな人であったが今思えば祖母の尻に敷かれていたのだろう。そんな二人に溺愛され育った父、東京の大学まで出して、そう簡単にど田舎の娘と結婚させたくなかったのであろう。

結婚の決め手は私の兄の誕生であった、跡取りが欲しかった祖母は折れた、体たらくで期待できない父に代わって孫になる兄を溺愛した。


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