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クレイ・マシューズはディフェンスの顔としての約束を果たした

昨日、今年パッカーズの殿堂入りを果たしたキャンプマンとマシューズのセレモニーが行われました。それにまつわるPackers.comの記事を紹介します。今回はマシューズの記事になります。


こちらは殿堂入りが決まった時の記事です。



ランボー・​​フィールド・アトリウム内に位置する 3 階のオフィスで、ドム・ケイパースは、初めてのミーティング中にクレイ・マシューズに対するビジョンについて話した。

パッカーズの歴史で最も重大なトレードの1つを行い、テッド・トンプソン元GMは2009年のNFLドラフトの1巡でUSCから才能あるパスラッシャーを指名した。

マシューズはケイパース新DCがグリーンベイにもたらす3ー4ディフェンスの要となるというのがパッカーズの主張だった…そして彼らは正しかった。

「今後10年間、彼をディフェンスの顔に据えるつもりで話をしていた」と、2009年から2017年までパッカーズのDCを務めたケイパースは語った。「その時は、クレイが8年連続のプレーオフ進出、3回の(NFC)チャンピオンシップゲーム、そしてダラスでのスーパーボウル優勝に貢献するとは、知る由もなかったけどね」

第45回スーパーボウル優勝、プロボウルに6回出場し、通算サック数83回半で球団歴代記録のトップに上り詰め、マシューズはチーム史上最も栄誉を獲得したディフェンダーの1人となった。

木曜の夜、マシューズはケイパースがプレゼンターを務めたセレモニーでパッカーズの殿堂入りを果たした。

伝説のマシューズ家の一員であるクレイ3世は、自身もプロフットボール殿堂入りのパスラッシャーであるポジションコーチのケヴィン・グリーンの指導の下、2009年にデビューを果たした。

ルーキーシーズンに10サックを記録したマシューズは、2010年にNFL最優秀ディフェンス選手の投票で2位に輝き、インターセプトをタッチダウンにつなげるなどの活躍を見せ、キャリア最高の13.5サックを記録。彼のスター性が急上昇するとともに、ケイパースは自慢のパスラッシャーを輝かせる新たな方法を常に見つけ出した。どのプレーでも彼がどこからラッシュしてくるかを隠すために、ワンダウンラインマンという「サイコ」パッケージを開発したほどだ。

「彼らは4-3から3-4へと移行するために、ドムを招き入れた。そして私の最高のスキルセットはパスラッシュすることだと認識していたんだ」とマシューズは語った。「私たちは今日ここで、K.G.が来てくれたことがどれほど素晴らしいことだったかについて話していた。チームと、そして私が得た成功は、彼が私たちに植え付けた価値観と信念の直接的な結果だと心から信じている」

彼の2年目のシーズンは劇的な形で終わった。
第45回スーパーボウルの試合中にチャールズ・ウッドソンが鎖骨骨折で退場した後、グリーンはマシューズに有名な逸話である"It is time"という言葉を発した。

彼の教え子はそれに応え、第4クォーターの最初のプレーでピッツバーグのRBラシャード・メンデンホールの腕からボールを​​パンチで叩き出しボールを獲得。パッカーズは次の攻撃でタッチダウンを決め、31対25で勝利しチームにとって4度目のスーパーボウル優勝を成し遂げた。

「アーロン・ロジャースのようなクォーターバックと素晴らしいディフェンスが組み合わされていた」とマシューズは語った。「我々は3回のターンオーバーを奪い、ロンバルディトロフィーを持ち帰ることができた。コーチ陣、選手、素晴らしいオフェンス陣、素晴らしいクォーターバック、そしてその相乗効果で勝てたのだろう」

グリーンは2013年にOLBコーチを辞任したが、マシューズとケイパースは形こそ違えど共に成功を収め続けた。

2014年シーズン途中、ニューオーリンズに44対23で敗れた後、パッカーズはバイウィーク中にマシューズをインサイドラインバッカーに移すというやや大胆な決断を下した。

マシューズには多少の躊躇はあったが、ケイパースがディフェンスにとって最善の利益であると信じていたため、変更を承認した。インサイドでプレーした最初の試合で、パッカーズはシカゴを55-14で下し、彼は11回のタックルと1回のサックを記録した。

パッカーズはレギュラーシーズン最後の8試合で7勝を飾り、マシューズは5度目のプロボウルに選出された。これは新しいポジションでの稀な快挙だ。

「外からパスラッシュをするのが好きな選手を、インサイドへ移すのは人気のない動きだということは、ここにいる全員が知っている」とケイパース。「クレイと私は何度も議論した。彼は最終的に私を見て、それがチームにとって最善だと思うなら喜んでそうすると言ってくれたんだ」

1990年代にケイパースのディフェンスでスターとなったグリーンは2020年に亡くなった。彼の記憶とマシューズへの永続的な影響は、木曜日の夜のスピーチのメインの1つとなった。

マシューズにとって、NFLの11シーズン中10シーズンを過ごした場所に戻ることは特別だ。パッカーズのプロショップにまだ背番号52のシャツやジャージが並んでいるのを見て、人生が一周したような気分だった。

マシューズは引退後、子供たちが父親がNFLで成し遂げたことを振り返り始める様子を楽しんでいる。末っ子がYouTubeで父親の動画を見て、彼のトレードマークである「プレデター」サックセレブレーションを真似し始めたことを語りながら微笑んだ。

パッカーズの殿堂入りは、マシューズの選手生活にふさわしい集大成だ。15年前、ケイパースはマシューズをパッカーズのディフェンスの顔にするという計画を伝え、マシューズはその言葉を現実のものとした。

「私を育ててくれたのは彼の言葉『君はディフェンスの顔になる。そして我々は君がそうなるように全力を注ぐ』だった」とマシューズはケイパースについて語った。「彼はいつも私の利益を第一に考え、成功できる立場に立たせてくれた。そして、私のプレーと同じくらい私の家族のことも気にかけてくれたんだ」



マシューズの恩人であるテッド・トンプソンGMもケヴィン・グリーンもこの世にいないのは淋しさを感じてしまいますね。

2010年代のレジェンドであるマシューズ。その長髪を靡かせてのサックの数々を忘れることは一生無いでしょう。


素晴らしい思い出をありがとうクレイ!

GO!PACK!GO!


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