日記:サービスを創るのは疲れる
「CURIAE」に願いを込めて.
久々にnoteを書こうと思った.書評をするとか言っておきながら本を読む時間がない.本当はずっと本を読みたい.
それでも,今していることが人類のためになるなら,楽しくやって僕自身が生きていることがわかるなら,僕は喜んでこの身を捧げよう.
疲れたと思ったときは温かい飲み物を飲む.
僕がきっと買わないポットで水を温めて数分待つ.そして紅茶パックの紐の方を下にして持って茶葉を紐の側に集める.そのあと,カップに注ぐ湯気を感じながら,茶葉のない方からパックを入れることにしている.そうすることで,茶葉が下の一ヶ所に溜まることがないように感じる.
傍から見れば意味がないように見えるようなどうでもいい一挙手一投足.効率的に考えるなら無造作に紅茶を作るべきだ.
確かに世の中には真に意味のないしがらみやマナーのようなものもある.しかし,日々の連続の中のこういう休息は本当に効率的であるべきなのだろうか.全ての無駄は本当に削がれるべきなのだろうか.余裕のない社会はディストピアの一歩手前ではないだろうか.
僕がいま進めているものに「CURIAE」がある.会社名なのか,サービス名なのか,計画そのものなのか,いまの僕にもわからない.しかし,「CURIAE」は確かに一歩ずつ進んでいる.
日本では特に学術がないがしろにされているような感覚をする.学術が小難しいもの,つまらないもの,面白くないものだと聞く.そして,"そんなもの"を極められるから学者はすごいんだと.少し寂しい気がする.
一方で,今まさに学びのエンタメ化が進んでいる.代表例が「ゆる言語学ラジオ」である.素人の堀本が言語学徒の水野にうんちくをたくさん聞いていくというものである.対話式のそのラジオはずっと聞いていられる.ちゃんと聞くことも聞き流すこともどちらにしてもとても楽しい.そして「ゆる言語学ラジオ」以外にも「積読チャンネル」,「流体力学Vtuber」,「ヨビノリ」など,学術を親しむ土台が徐々に形成されつつある.
僕はどちらかと言えば学術側にいる人間である.永遠の学徒であり,学問を志すために大学院を望む者である.僕が知っている学問は無味乾燥なものではなく,分野ごとの目的の違いから生まれるいがみ合いはあるものの,そのモチベーションは「好奇心」である.
この学術という面白さのカタマリをみんなに共有してみんなで一緒に楽しみたい.そういった夢が僕たちが創ろうとしているサービス,情報PDF売買サイト「CURIAE」に詰まっている.もちろん,全ての役割を担えるわけではない.そこまでのリソースもないし,パワーもない.しかし,「CURIAE」というサービスで学術を楽しむ一端を担えたら,それはとてもうれしい.
新しくサービスを立ち上げようという試みはとても大変ではある.時間も金銭も限られている中でどうにか立ち上げていかなければならない.何よりもほぼフルコミットするので疲れはする.PCの前に座ることもいやになるときだってある.
それでも我々には「好奇心」と「狂気」がある.そしてこの先の未来への「希望」がある.それが花開くとき,僕の望む学びでワクワクする世界がきっと広がっていると信じて,今日も一歩一歩進んでいく.
……進んでる?