つくるのは楽しい(1)
写真は先日喫茶店で食べたケーキです。本文には一切関係ありません。
僕には3つ年上の兄がいて、よくある次男で、お下がりが多かった。
兄はすぐスネてブーブー言う子で、そんな姿に困る両親を見ていたので、兄が優先なのも、お下がりなのも別に良かったし、もらえなくても、自分で作ったり絵を買いたりすれば満足だった。いい子。
幼稚園の頃、父(電気関係の仕事)にスイッチをもらったので、いろいろ貼り付けて(おとうさんスイッチ的な)、空想の中で、何かをスイッチ操作できるやつを作って遊んでた。
幼稚園の頃、LEGOにめっちゃハマってた。けどセンスはなかった。人の足をめっちゃ繋げて輪っかにしたり、頭をひたすら繋げたり。。
小学校低学年の頃、夏休み「学校の階段」をテレビで見なが、、いや、怖がりだから多分見てないけど、ガンダムのプラモを作った。ウィングガンダム。その後、ガンダムのビームのパーツをLEGOに無理矢理、付けて遊んでた。
小学校3年生。父にパンク修理を教わる。その後、パンク修理は自分で行う。アドリブを加え、バラしすぎて元に戻せなくなり夜が来た事があった。焦った。
小学校4年生。自分のクラスでテレビ撮影が行われた。<課外授業 ようこそ先輩>2000年5月の回だ。
有名人の卒業生が授業をするという番組で、やってきたのは女性建築家の第一人者、長谷川 逸子先生。テーマは「つくってみよう 夢の家」。
先生の作品を見に行ったり、模型を見たりした後、各々が<夢の家>を提案し、模型を作って発表するという流れだ。
1回目のプレゼンで、クラスの皆が夢あふれる「虹の家」「仕掛け屋敷」などを提案しているなか、僕はと言えば、人生初のデザインスランプ、いやだって虹とか仕掛けとか、住みにくそうだし、、、泣きながら考えた広々したログハウス的な家を提案したら「あなた現実的ね、もっと自由な家でいいわよ。」と真顔で言われた。小4にして人生初のデザイン直し。しかも巨匠から。辛かった。
その後、案に悩んでいた4人でチームを組み。島を作った。大きさと勢いでやりきる作戦だ。人生初の無人島開発。火山や川、風車なんかがあって、地下に大空間とすべり台もあっていい感じ。テレビスタッフも、おっ映像的にいいバリエーションのが来たぞ!という感じ(知らんけど)。ただ、地上の真ん中には真っ白のスチレンボードで作った僕設計の<普通の家>が整然とそびえ建っていた。よく覚えてないけど、僕は巨匠のアドバイスを無視し、普通の家を建てたらしい。、、きっともう僕はこの先、長谷川さんの事務所で雇ってもらうことは、できないだろう。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?