つくるのは楽しい(2)

話は前回につづく。

小4で建築界の巨匠からデザインのリテイクを命じられた少年のその後です。

小学校5年生の夏、自由研究で<塩とミョウバンの結晶>を作ろうとするが、カビが生え、翌日から「カビの研究」にシフト。無事提出。この失敗の悔しさが、10年後、作品「ワインの結晶」を生む事になるとはこの時はまだ知る由もなかった。。

中学校の頃、数学や国語はからっきしダメだったけど。家庭科と技術と美術の成績だけは良かった。技術の時間に木刀を作り没収される。恥ずかしさから、正統派な作品で挽回しようと、角材でアーロンチェアを作る。未だに実家に健在。

選択できる技術の課外授業があり、陶芸を選択。取手が横向きに3つ付いた謎コップを作成。制作意図は覚えてないけど、多分、普通の物を作りたくなかった。届いた作品の裏面に、その窯の銘が墨でガッツリ書かかれていて激怒。ちなみに、実家のダイニングテーブルでペン立てになっている。

高校進学、勉強が嫌で嫌で、可能な限り普通科目が少ない工業高校を選択。作るのが好きだったので、デザイン科に行きたかったけど、通える距離にはなく[建築インテリア科・木工類型]に進学。

木工室でずっと椅子などを作っていました。休み時間は、先生の手伝いで自分のクラスや、ほかのクラスの教材を製材してた。(うまく使われてただけ)。1番好きな機械は「超仕上鉋盤」。

高校の課題では建築家の石上純也さんに憧れた。その影響で、課題で設計した家は植物多めで、作品を追うごとに植物が増えていき、「庭に植物が多い家→箱庭のある家→半分土に埋まった家(瞑想期)→木を配置してからその隙間に建てた家→家の中にも沢山の木(あえての落葉樹)。」と、人間よりも植物を優先した謎設計をゴリ推す。無事卒業。

今でも覚えている。木を優先した為に曲がりくねった自分の卒業設計。その図面を霊感のあるクラスメイトが見て「この場所。出るよ。」と言った。それまで3年間見せたことのないような真顔で言うのやめろ。と思った。

大学進学、建築家目指すのも考えたけど、また4年間同じ建築の勉強するの嫌だったし、建築法規とモーメントの計算が嫌いで、建築士になる事はやめた。それよりも、授業で図面のトレースをしたり、内装設計で何度も登場させた、建築家のデザインした椅子がめっちゃ好きだった。ミースのバルセロナチェア、コルビュジェのLC1、アアルトチェア、レッド&ブルーチェア、ジグザグ、パントン、、、キリがない。

物をデザインする仕事をする為に美大に入学。

(書くのが疲れてきた)

大学では2年間陶芸にどハマり。途中で「あれ、陶芸家になりたい訳じゃない、、!」となり軌道修正。でもその後も、他の工房にいる他学部の友達を訪ねながら全工房制覇。

今の仕事に就いてからも、3Dプリント→木工→染色→ガラス→彫金→陶芸。と作りたい欲は尽きない。

何を言いたかったんだっけ、、、

とにかく、小さい頃から何かを作るのが好きで、その延長線上に今の自分がある。これからも何かを作っていくのはきっと自然なこと。

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