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人生のテーマ 人との距離感編

以前読んだ本に“人生のテーマ”という言葉が出てきて
それ以来、たまにふとそういうことを考えたりします。
一番を決めたり・選んだり、簡潔にまとめたりが苦手なので
人生のテーマの中でもカテゴリーがいろいろある気はするのですが…
その中でも人付き合いで大事にしたいことは

「自分のものさしで全て測れると思うな」
「合わないなぁ嫌いだなぁと思ったら攻撃せずにそっと離れてください。私もあなたのことを攻撃しませんので」

この2つかなぁと思います。
どちらも、私がされて嫌だなぁと思うことで
それはつまり、私が人と関わっていく上で大切にしたいなぁと思うことです。

1つめ「自分のものさしで全て測れると思うな」
この話を人に説明するときにいつも私が言うのは
”究極な話、私が見てるこの赤とあなたの見てる赤が同じかどうかも、証明することは不可能じゃない?“
ということです。
意味わからん?と思われますかね 笑
考えすぎやろ
と言われたらそれまでですが…
恐らくこれが赤でこれが青で という前提で話をするけれど、本当に同じ色で見えているか確認する方法を私は知りません。
人と視界を共有することはできないので。
目に見えていて、共通認識と思えるものでさえ突き詰めると本当に1ミリのズレもなく完全に同じかどうかはわからないのだとしたら
同じ出来事が起こっても、捉え方は人によって違うし
同じ衝撃を与えても、痛みの感じ方のレベルは人によって違って当たり前だと思うのです。
だけど、人はどうしても自分のものさしで物事を測ってしまう。
それもそれで当たり前です。
だって、私は私のものさしでしか物事を測れないから。
じゃあ何が言いたいのかと言うと
誰かの痛みを想像するとき、これはあくまで私の経験値から捻出された痛みであり、
誰かの痛みそのものではないと理解していることが大事なのではないか
ということです。
たまに、
「他人にできたことはあんたにもできるってことや」
と言う人がいます。
それが励ましだと言うことも理解できるし、
実際そう言われて勇気が出る場面もあるのかもしれない
けれど、私はこの言葉はあまり好きではありません。

(余談ですが、「一番好きな花」というドラマの中で嫌いなポジティブワードを発表するというくだりがあり、私が5人目やったらこれ言いたいなぁとか思ってました。)

話を戻しまして…
なんで好きじゃないんかなぁと考えると
”他人にできたということはあんたにもできて当たり前
できひんってことは、何かが足りてないんや“
と言われているように感じてしまうからでしょうか…
被害妄想と思われるかもしれませんが
私にはそういう風に聞こえてしまう。
これも、同じものさしで測ろうとすることだと思っています。
歩くスピード、走るスピードが人それぞれ異なるように
2時間の睡眠でパワフルに活動できる人もいれば
8時間寝ても寝足りない人もいる。
自分がそうだから、誰かがそうであったからと言って
それが全人類、みんなに等しく当てはまると思ってはいけない
分かりきっていることを言うようですが
みんな違って当たり前で、100%完全に理解することは不可能
と言うことを前提に、その上で理解しようと想像できる人間でありたい。
ということです。

思ったより長く書いてしまったので
2つめ「合わないなぁ嫌いだなぁと思ったら攻撃せずにそっと離れてください。私も攻撃しませんので」
については次回にしようと思います。

それでは、また今度☺︎


たなお

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