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表現の自由を主張するなら、まず"表現"してからどうぞ

宮崎県付近で大きな地震がありましたね、みなさま大丈夫ですか…💦

年明けの能登半島地震に始まり、東京都知事選挙、パリオリンピックでの日本人選手の快挙など、浮き沈みの激しい年ですね…

先に挙げたような(良くも悪くも)国の一大事に並べるにはものすごくショボくて恐れ多いのですが、旧Twitterで某お笑い芸人の方が特定の人物に対して「死んでください」と呟いたことが話題になってます💭

芸能人の失態ほど興味の湧かない事ってなかなかありませんね~~~~。まして、今回のような是非を問うまでもない事案(被害者と加害者の区別がハッキリつくもの)って、然るべき人が然るべき対処をしてくれるので、わざわざわたしが関心を抱く必要ない……って思ってたはずなんです

「死んでください」と言った側を擁護するコメントを見聞きしてしまいました。それも一ヵ所ではなく、各所プラットフォームで。

あ~~~~~確かに考えてみればそうですね💡
良かれと思って「死んでください」と言う方がいるのなら、その発言を良かれと思っている方がいるのは自然ですね。わたしの想像力が足りませんでした。

某発言を擁護する方の言い分としては、わたしが観測する限り「表現の自由・言論の自由」を主張しています。「人権」という名目で個人の自由を保障する権利が存在しているわけなので、誰が何を言おうと自由だ、某芸能人が「死んでください」と言うのも自由だ、という理屈のようです。

言いたいことはなんとなく分かります。
しかしこの理屈を通すなら明らかにしておかないということがあります。

某芸能人の某発言は"表現"なのでしょうか?

「死んでください」と発言することで、某芸能人の方は相手に対して何を言いたかったのですか? 殺人予告がしたかったのですか? それとも「死んでほしいと思うほどあなたを妬んでいる」と言いたかったのですか?

何が言いたいのか相手に伝わってない時点でそもそも表現も言論もできてないじゃないですか。

わたしが思うに「誰かが他者に対して一方的に自分の考えや気持ちを押し付ける」って、「表現の自由」で保証されている「表現(および言論)」ではないです。

わたしの好きな言葉のひとつに「真理と虚偽を組打ちさせよ」と言う言葉があります。考え方は人それぞれですが、それを突き合わせることで、やがて正しい結論に行き着くはず、という格言です。『失楽園』を書いたジョン・ミルトンの言葉で、先の発言で「表現の自由」の重要性を説いています。

わたしはこの考え方を支持しているので「表現者(何らかの主張をする人)」と「表現の受け手(主張に対して何らかのリアクションを起こす人)」の両者が揃っていないと「表現の自由」でいうところの「表現」は成立しないと思っています。

例えるなら、役者がひとりいるけれど、観客が誰一人もいなければ、共演してくれる他の役者、監督、照明や音響の担当者がいない状況と同じ、というイメージです。役者一人しかいない空っぽの劇場で演技しても、その人の台詞が寂しく場内に反響するだけです。それって「演技」と言えますか?

なので「表現」をしたいならば、まずは「人を募る」という工程を挟むはずなのです。「今から自分は”表現”をします」というお断りを入れて。

その工程を挟まずにとりあえずその辺にいた人捕まえて自分の思う"表現"を無理矢理見せつけるって露出魔と発想が同じになっちゃうじゃないですか!! その自由が保障されたら日本人が服着てる意味ないじゃないですかこんなバカ暑い日が続いているのに!!?!?

おっとすみません、連日の猛暑に対するやり場のない怒りが漏れてしまいました💦

話を戻しますが、独りよがりの行動を「表現」ないし「表現の自由」の一点張りで押し通すには無理がありすぎます。

「会話のキャッチボール」という慣用句がいい例で、相手がまだグローブ嵌めてないのにボール投げたら「こっちまだ準備してないんだけど💢」って怒られますし、相手がグローブを嵌めたところを見届けたところでタックル決めたら今度は「アメフトやるって聞いてないんだけど💢」と言われ全然ラリーが続かないです。

何が言いたいかと言うと、「表現」をしたいなら、好き勝手な自分の都合より相手の準備を待つことが先決なんです。相手が自分の「表現」に付き合ってくれるのか。その了承を本人から取ったのか。 相手から「表現」を否定されても、相手の意見と権利を尊重できる心づもりが自分には備わっているのか。

それができない人に担保される「表現の自由」はありません。そもそも"表現"できない人物なので。
車の免許を持っていない人が車を運転できないのと同じですね。免許が無いのに運転できないことは自由の侵害ではありません。

……と、思わず長々話してしまいましたが、某芸能人の一件については当事者の方が(表向きには)謝罪をしたとのことなので、やがて何らかの形で収束するんでしょう😌💭 そもそも本人は「表現の自由」を主張していないようですし、解決に向けた動きに素直に応じるんじゃないですか? 分かりませんが🤗

しかし意外性(というか憤り)を感じるのは当事者本人より各所で飛び交う「表現の自由」の主張ですね。 音楽に読書、そしてnote、あらゆるカタチの表現を愛する一人として「表現」ということばをぞんざいに扱ってほしくないな✨

あでも、もし、国民が「表現(の自由)」を広義に捉えすぎたあまり、国が「表現」の幅を厳重に規制し始めたら…。「表現の自由」を追い求めるあまり「表現の自由」を手放す展開…。それはそれで皮肉が効いてておもしろいですね(おもしろくない)

さて、今日はここまでとさせていただきます🍥
最後までお読みくださりありがとうございました!

また遊びに来てください🍵


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