カッコイイについて考える
カッコイイについて考える
カッコイイってなんだ?
すぐに思い浮かぶのは、外見だ。
その次に行動、そして言葉。整理するとこうだ。
1.外見 (顔、服装、雰囲気)
2.言葉(発言、思考)
3.行動(しぐさ、動き、所作)
一見、変えるのは難しいと思うが、柔軟に考えると簡単に変えられるかもしれない。
例えば、外見、鼻の高さや目の大きさを変えるのは困難だが、髪型や服装なら変えられる。
言葉もいつもネガティブだったとしても一言くらいならポジティブになれそうだ。
行動もいきなり起業するのは勇気がいるが、座った時に背筋を伸ばし、姿勢を正すことはできるだろう。
そうやって1つずつ自分の考えるカッコイイ像を形成していく。
エネルギーがある人は、目指すべき姿に向かって毎日突き進めるのだろう。だが、私のような中途半端系はそこまでエネルギーがない。
カッコよく生きたいと言いながら、辛いのは嫌だと思っている。ただの甘えだ。それでもこのままがイイとは思わない。成功に憧れを抱きながらもリスクが取れず身動きできない。石ころのような生き物。それが私だ。
キレイで整った服を着て、髪型を整え、ピカピカの靴を履く。
胸を張って素敵な声を出し挨拶する。
腕を振り大股で歩く。動きがスマートで美しい所作を身につけている。
常に落ち着いて余裕がある。
そんなカッコイイ人間になろうと努力したこともある。努力によって少しは成長し、それなりの自分は手に入れた。けど心は満たされない。まだ経済的に全く自由でないからだ。
挑戦するべき行動するべきと言われることがある。挑戦することで、成功する可能性があるからだ。だが、現実は困難で挑戦して成功する一方で失敗も多い。
失敗は表に出てこないので、知ることは少ないが、成功より圧倒的に多く存在する。
オリンピック選手だって、有名選手の裏にどれだけの敗北者がいることか。その者達の想いを背負って出場するわけだ。
つまり、カッコイイ自分を目指しても、カッコ良くなれない人が沢山居るのが普通なのだ。カッコよく成らねばと自分を奮い立たせるのは自由だ。
そのあとに、何も変えられなかったとしよう。それでも落ち込む必要はない。
何故ならそれが大半だから。
自分が目指した者になれる人は一握りだ。
ほとんどが成れない。それでも、目指すことは全員できる。だから目指すのだ。
これを一言で表した
吉田松陰の言葉がある
志を立ててもって万時の源となす。
(志が全ての源である。目的を決めて常にそばに置くことが全ての始まりとなる)
この事からも示されるように自分なりの志を持つことそれを源となすこと。
これが初めの一歩であると思う。
その先に、気分が乗らない日があったり、周りから否定されることもあると思うが、振り回されず生きてる人は間違いなくカッコイイ