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あとでやる人間
世界には2種類の人間しかいない。
「いまやる人間」と「あとでやる人間」だ。
わたしは根が不精で、後者を自認している。
学生時代のことだ。
7月のある日、家に帰るとガスが止まっていた。ガスが止まるとどうなるか。お湯が出ない。すなわちシャワーは水を浴びることになる。夏場だったので「まあいいか」と思ってそのまま水シャワーを浴びた。夏場とはいえさすがに凍える思いだったが、そのあと暖かい格好をして寝た。
翌朝、積もったDMの山から最新のガス払込用紙を発掘してコンビニに向かう。払い込みを終えたが、ガスは既に停止されたので、お湯のシャワーを浴びるためにはガス会社に電話して再開手続きをしなければいけない。
それが億劫で「まあいいか」と思いながら、気温が下がって本当に凍えることになる9月末までの2ヶ月弱、水シャワーを浴び続けた。
水シャワー生活の終わりは、電気が止まることで訪れた。
ガスと同じ経緯で電気が停止した。気づいてすぐに払い込みをする。やはり再開手続きをしなければ電気は使えるようにならない。
大学に泊まり込んで課題やゼミの準備をして、ほとんど家に帰らない生活をしていたので、「まあいいか」思った。ケータイの充電は大学ですればいい。
なぜか水道料金だけは確実に払っていた。シャワーが浴びられればいいか、と思い、服を脱いでユニットバスの蛇口をひねる。
水が出ない。
当時住んでいたワンルームマンションはポンプ式の給水だったのか、電気が止まると水が出なくなるようだった。シャワーも浴びず歯も磨かず、人に会うのは流石にマズい。
これに懲りて、ガスも電気も再開手続きを取り、そのマンションを引き払うまで滞納することは無くなった。
その後に引っ越したアパートで2回、同じ過ちを犯すのだが…
今はこういう情けない生活から脱却した(と思っている)のだが、脱却できたのは、会社に入って仕事をするようになったのと、配偶者と共同生活を始めたことがきっかけになったと思う。
仕事では、自分が物事を進めないと自分以外の誰かが困る。家庭では、自分が公共料金を滞納すると皆が水シャワーを浴びることになる。
それは忍びないので、根が腐っているわたしでも、他人のためを思って重い腰を上げて「いまやる」生活にシフトせざるを得ない。
と言っても、わたし自身が「いまやる」人間に変わったわけではない。仕事や家庭の環境がなければ、自堕落な生活を続けていたに違いない。
環境は重要である。どれくらい重要かと言えば、わたしのような人間でも生活を変えられるくらいインパクトのあることだ。
どれくらいの人口かはわからないが、わたしと同じように「あとでやる」性格に自己嫌悪を覚える人も少なくないように思う。
しかし絶望することはない。
大事なのは、環境を変えるチャンスがいつか何かしらの形で必ず訪れるので、そのチャンスを逃さないことだろう。