ta96の演技に関する基本的な考え方

「存在する」というのは、「その時間の住人」となること。
それは「居る」だけでは成立せず、演じても「居る」ことにはならない。
「存在」できていなければ、「役」という名札がそこに居るだけであって、役を演じる俳優が居るわけでも、役がそこに生きているわけでもない。


観客にわかりやすい演技をする。これくらいしなければ観客は理解してくれない。
それは観客を舐めてバカにしてると思う。
関係者が何か月もかけて悩み努力して作ったものを、観客は上演時間である程度読み取る。 場合によっては作ってる側以上に作品を読み解く。
むしろ観客の方が賢い。もっと言えば、論理的ではなく感覚的に捉える子供の方がもっと賢いかもしれない。
伝わらないのは、こうすればこう捉えてくれるっていう演劇的なお約束に甘えて伝えるべきものを伝えきれていない、俳優たちが舞台上で必要のない情報・必要以上の情報を演技を通して伝えている、素に戻る隙を与えている……というケースが多々ある。
観客は違和感に敏感に反応する。自然である必要も自然に見える必要もないけれど、違和感を与えれば素に戻る。好みの演劇だとしても演技を通して違和感を与えれば素に戻ってしまう。
素に戻らないのはファンや演劇のお約束事にやさしい観客だと思った方がいいくらいだと考えてる。
 
だから、俳優は違和感を与えない演技を根底として身に着けておくことが大事だと思う。
それはどんな表現形態でも、日常に近い演技でも、過剰な演技でも、ここを押さえておくことが重要なのだと思ってる。


ここに書いてあるレッスンの内容や練習方法は、読んだ人が当たり前だと思うようなことしか書いてない。
でも、実際はこれをちゃんと出来ている人は多くはない。
出来てるつもりになっている人、出来てる風を装ってる人、他の小手先の技術で誤魔化している人は少なくない。
出来ているかどうかを確認する意味でも試してみて欲しいと思う。

ワークショップの資料も載せていく予定だけど、こちらは少しマニアックな内容になっているので、必要性を見出せないかもしれない。
けれど、これらを繰り返しやっていくことで、書いてある練習方法が目指す肝の部分により深くたどり着ける内容にはなってます。