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21年3/6 小説📖パロディ「痔滅の刃」No.112 第四章1 🔴業容拡大
第四章では、大嘘都鬼組との今迄の抗争に「竈門総合病院」が加わっての、新たなドタバタ劇を描ていきます。(大正5年4月・1916年~?)
⬜⬜ 大正バブル
大正3年7月(1914年)に始まった第一次世界大戦の影響によって、
日本経済は好景気に沸いていました。
この大正バブルの恩恵により、竈門炭痔郎の持株会者「竈門本社」も、
鬼舞都痔無惨の「鬼舞都痔会社」も、急激に規模を拡大しているところでした。
4月は炭痔郎にとって多忙な月となりました。
理事長の横領により経営難に陥った病院を今年の2月に買い取り、「竈門総合病院」として4月1日から新しく開院、
8日土曜日には大隈重信内閣の観桜会への出席、「炭火焼・かまど家」を始めとする持株会社の急成長による対応等、炭痔郎は寝る暇もないほどの大忙しなのでした。
⚪「炭火焼・かまど家」
「炭火焼・かまど家」はそれ迄の鍋物中心のメニューに加え、竈門家特産の備長炭を使用した焼肉が大当たりして、全国展開を始めていました。
炭痔郎は全国展開を始めるにあたって、責任者を胡蝶痔のぶから鱗炊左近痔(うろこだき・さこんじ)に交代させました。
鱗炊左近痔は魚の鱗を取って料理するのは得意でしたが、これからは焼肉料理にも挑戦することになります。
⚪「カフェー・舞都(待つ)」
一方、鬼舞都痔家の「カフェー・舞都(待つ)」は、あみんの「待つわ」の大ヒットの影響を受けていました。
🎵🎵🎵 「待つわ」 あみん
岡村孝子 作詞/作曲
私待つわ いつまでも待つわ
・・・
待つわ いつまでも待つわ
ヒット曲のお陰で、「カフェー・舞都(待つ)」の認知度は急速に上がりました。
しかし従来の如何(いかが)わしいカフェーでは、「鬼舞都痔会社」のイメージが悪くなるばかりです。
そこで思い切って庶民的なカフェー「純喫茶」へと転換したところ、人気の喫茶店となり、全国展開を始めることになりました。
痔(次)号に続く