20年10/25 小説📚パロディ「痔滅の刃」No.3 第一章③ 🔴これでよしなに
⬜⬜「鬼舞都痔家」と「竈門家」の恩讐
⬜「自(痔)衛隊」の結成と「騎(鬼)兵隊」
炭痔郎は家の子郎党や生き残った若者を集めて自(痔)警団を結成し、その名前を「自(痔)衛隊」と名付けて村の警護にあたらせました。
【恩讐】(おんしゅう)恨み。
【家の子郎党】何代も続いている家の家来。
【自警団】私的な警備団体。
一方鬼舞都痔は大正時代の大地主がそうであったように、蓄財を元手に金貸し業から金融業へ変貌を遂げ、
資本家へと伸し上がって行ったのです。
そしてその財力を使って、村を急襲(きゅうしゅう)した時以上の強力な攻撃力を持つ、騎(鬼)兵隊を編成することにしました。
⬜「鬼舞都痔家」と「竈門家」
歴史に翻弄(ほんろう)される両家
「鬼舞都痔家」
「鬼舞都痔家」は代々、都(京都)の朝廷で「鬼の舞を踊る」役人でした。
朝廷からは、「都で鬼の舞を演じる」ことから「鬼舞都」という名が与えれれるほどの名門です。
現在でも平安神宮応天門の節分では、「邪鬼の舞」として奉納されています。今でいえば、国お抱えの芸人ということでしょうか。
「竈門家」
「竈門家」も代々、将軍家の台所を預かる重要な役目でした。今でいえば、総理官邸のコックさんといえるでしょうか。
どちらも名門の子孫に違いはありませんが・・・。
⚪歴史的には「鬼舞都痔家」が格上
「鬼舞都痔家」は朝廷で舞を披露するとはいえ、悪役の鬼を演じるわけですから朝廷の役人といっても、下級役人にすぎません。
しかし歴史的には「鬼舞都痔家」の方が何百年も古く、徳川幕府が誕生する迄は「鬼舞都痔家」の方が「竈門家」より数段も格上の家柄でした。
⚪徳川幕府誕生で逆転
それが1603年の徳川幕府誕生により、「竈門家」が将軍家の「台所役人」に任じられてからは立場が逆転しました。
【台所役人】江戸城内で将軍と正室の為に料理を作る役人。
それ以来「鬼舞都痔家」は約260年もの長い間コンプレックスを感じることになったのです。
⚪転機は1868年の明治維新
徳川幕府が終焉(しゅうえん)を迎え、天皇親政の明治維新が出来たことにより、両家の格がここで又、逆転することになります。
【天皇親政】天皇自身が政治を行うこと。又はその政治形態。
機を見るに敏な「鬼舞都痔家」は、昔からの朝廷に繋がる縁と財力により、新政府に取り入っていきました。
⚪「竈門家」への襲撃
それから約50年、無惨の代になってようやく家の格の問題だけでなく、名実ともに「竈門家」の上に立てる実力を作り上げることが出来ました。
300年以上に渡る「鬼舞都痔家」の屈辱を果たすべく、配下の鬼(小作人)達を従え、ついに「竈門家」を蹂躙(じゅうりん)したのです。
【蹂躙】(じゅうりん)踏みにじる。
「竈門家」に対する極悪非道な行いに対しては、「鬼舞都痔家」の長年の新政府に対するロビー活動が功を奏し、お咎(とが)めは全くありませんでした。
痔(次)号に続く