食わず女房-Kuwazu Nyobo-
blogの名前的なものにしようと思ったけど、noteにはそのような概念は無いんですね…
最近「食わず女房」のことをずっと考えている。昔話通りに「あー、食費のかからない安上がりな奥さんが欲しいな」という意味ではない。仕事をしている中で、「やれ。自分はできないけど、お前はやれ」と、平気で言う人が山ほどいることに辟易することが日々ある。できない理由も色々なパターンがあり「やり方は教えないけどやれ」「時間に対する量があきらかにおかしいけどやれ」「指示が曖昧で、指示してる側も見えていないのに最高のものを作れ」「革新的なもの、仕組みをなんかつくれ」等々。昔から人を育てるのに、山本五十六の「やってみせ…」がよく言われるが、平気でそのセオリーと真逆の無理難題を言う人が本当に多い。よく「育てるほど人的余裕が無くて」と聞くし、それを言えば許されるみたいな風潮があるけれど、よくよく考えたら理由になって無いし、平気な顔して言ってる姿が自分には「飯を食わずに働いてくれる女房が欲しい」にしか見えない。
100歩譲って「飯食わない嫁が欲しい。自分も食わないので」と言うのならば、まだ理解できる。しかし、言ってくる人物は平気で食う。なんなら人よりも食う。自分がいっぱい食いたいがために、他人には「食わないで欲しい」と平気で言う。自分の腹を満たすために他人に不幸を強いるのに「みんなの幸せのために」みたいなことを平気で言う。
そんなことを毎日のように考える。
当たり前のような結論として
「指示している側もできないような指示は受けるべきじゃないし、そのようなことばかりいう人物とは距離を置くべき」に、たどり着いた。
飯食わぬ女房なんかいない。
後頭部から喰われてしまえ。