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手術と集中治療室(ICU)

気が付くと、年が明けていた。

意識が戻ったとはいえ、朦朧とした状態が2週間程度続き、状況を理解できたのは1月の中旬あたり。気管切開されて人工呼吸器、4点の電極、点滴、血液パック、人工透析マシン、排血パック、バルーン、そして膝から鼠径部までぱっくりと開きっぱなしの状態。内ももの傷口からは骨も見える。ゾンビやスプラッター映画はよく出来ているなと思った。体に力が入らず、手は震え、寝返りすら自分では打てず、喉に穴が空いているので声も出せない。自分でコントロールできるのは、指先と瞬き、そして涙を流すくらい。ホーキングの顔、そして「ジョニーは戦場へ行った」のラストシーンが脳裏をよぎる。後頭部は床ずれになっていてカサブタが剥がれた。

私がいたところはICUで、部屋の真ん中に医者とナースの島があり、それを囲むようにベッドが並んでいた。ある日、ストレッチャーに乗せられオペ室まで運ばれ、しばらく放置された後にICUに戻されたような気がするが、夢だったのかもしれない。毎朝6時に体温や血圧、採血などのバイタルチェックがあり、午前中に傷口の洗浄。洗浄時は、点滴あるいは注射で鎮痛剤を打たれ、3人がかりで処置をしてもらう。ベッドにうつ伏せ状態で、天井のライトが逆光になり人影のみ認識できる。
何かを話しているのはわかるが、外国の言葉に聞こえる。
何やら足をいじくり回されているのはわかるが痛みはない。
その時に確信したのは、宇宙の意志とのつながり、そして今自分の体内には悪魔がいてそれを取り除く処置をしてもらっていること。そして最新医療は、物質世界の上位に位置するシャーマニズム、または祈りであり、今自分を助けようとしてくれている人たちは、バチカンの地下15階でエクソシズムを何年も学んできたエリートということ。普段はスピリチュアルな思考よりは、柳田國男、京極夏彦あるいはムーなどの方が相性がいいと思っていたが、それらの考え方の角度は一切出てこなかった。後に医者にこの話をしたところ、フフフと笑いながら「この痛み止めは悪夢を見る人がたまにいる、ちょっと強いんだよね」と説明をされた。LSDなどの瞳孔が開いたジャンキーが宇宙とつながりがちなのも、アメリカ映画で必死に薬局を襲いがちな理由も身をもって理解できた。こりゃはまるわ、と。
実際に行われていた処置は、キャップ部分がシャワー状になったペットボトルのぬるま湯と洗剤で、患部をゴシゴシと洗い流すという至って普通のこと。あれも聖水だと思っていた。

ICUでは一人のナースが患者2、3人を担当し、2交代制で24時間をまわしていた。基本的に連日同じ担当者が付くことは無く、日替わりでローテーションする。重篤な患者ばかりで、一人ひとりに対応する時間が長い。私のベッドのお隣さんは、70〜80代の男性で意識もほぼなく、1日に何度か呼吸が止まりマシンがピーと鳴っていた。駆けつけたナースが毎回「Sさん息するの忘れないで、ほらっ」と言っていた。数日でSさんはいなくなった。

日々の回診やナースとのやり取りの中で、自分が「マジでやばかった」ことを少しずつ認識した。皆、異口同音に「非常に危険な状態だった」や「インフルにかかってたし肺炎にもなった」、「心臓も肺も4回くらい止まってたよ」、「何度も手術したし、中は緑色であちゃ〜と思った」など言われた。死んだ場合の引き取りについて家族に連絡もいっていた。
徐々に意識を取り戻し始めた頃、というか最初の記憶。
Aさんというナースがその日の担当についた。20代中盤の女性で髪は染めていて、腕には薄っすらとリスカ跡がある。マイメロのアクセサリー。彼女はバイタルチェックや洗浄など日々のタスクに加え、ひらがなの表と指す棒(ボールペン)を持ってきた。それらを使い何時間も話をしながら、私の全身をおしぼりとペットボトルシャワーで洗身し、爪を切り、髭まで剃ってくれた。
髭を剃る際に、「やったことないからうまくできるかな」と彼女は言った。この時、「彼女は私のことが好きに違いない、私も彼女のことが好きだ」と思った。「フェノミナン」という映画の中でジョン・トラボルタが髭を剃ってもらうシーンを思い出した。退院したら、荒川沿いの小さなアパートで一緒に住もう。お迎えとか行きたいけど、たぶんしばらくは動けないから、お家でいい子にしとこう。彼女の愚痴を聞いて、留守番中はパンとか焼けるようになろう。部屋はピンクピンクになりそうだけどそれもいいな、、、。
次の日も彼女が私の担当についた。「変わってもらっちゃった」と。本気で恋に落ちたが、それっきり彼女が私の担当に付くことはなく、ICUを出るまで一切の接点を持つことはなかったし、その後、私は毎日、朝夕と2回ずつ恋に落ちた。ICUのナースは皆天使だと思う。
意識が戻ってまず辛かったのは、おむつに大便すること。小便は管がついていて自動排泄されるので問題ない。赤ん坊でも老人でもない、意識もハッキリした上でのおむつプレイには非常に抵抗があった。3日ほど耐えたが、夜まったく寝れなくなり、眠剤も飲むタイプの下剤も効かない、というか必死で我慢してしまう。体調も最悪だったので夜中に当直のベテランナースに相談した。「どうしようもないのはわかるが、おむつにうんちは魂的に無理だ、どうしよう」と。彼女は「わかった、んじゃ納得できるまでお話しよう」と、夜中の3時間もクソ悩みに優しく諭しながら話を聞いてくれた。結果、立ち会いのもと大盛り座薬を入れられ強制排泄することになるのだが、その時の「うわぁ〜いっぱい出たね〜」の一言に何となく新しい扉を開けた気になったというか精神的にとても助けられた。僕はおむつにうんちしてもいいんだ、褒めてもらえるんだと。ICUのナースは皆天使だと思う。

この頃はまだ食事は点滴経由、飲料水の量も記録を取られ制限されていた。
筆談交渉の上許されたのは、氷。水より長持ちするし何となく食べてる気にもなる。これが一日の楽しみだった。ICUの頃は頻繁に採血されていた。血管も細くなっていたせいで何度も針の刺し直しをされた。腕は穴だらけになり、足から採血されることも多くなった。ある日の夜中、寝てる間に採血に来たが10回以上刺しても当たらない。気を遣わせないよう、寝たふりを続けたが、「こんだけ刺しても起きないのすごいね」とヘルプに来た別のナースと話しているのを聞いてイラッとした。その後、食事が出来るようになったときに彼女は毎回おかゆの上に海苔の佃煮とかで絵やメッセージを書いて持ってきてくれた。ICUのナースは皆天使だと思う。

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