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手術と集中治療室(ICU) 2

1月に入りなんとなく意識は戻ったものの四肢に力が入らず、スマホを手に持つことすらままならない。持てたとしても、震えがひどく文字は読めないし、フリックもタップも定まらない。時間をかけLINEを開くと、知人友人から届いた200件以上の未読。読む気力も無いので、差出人とメッセージの冒頭のみをスクロールする。その中に1月1日付けでM嬢から「意識が戻ったようでよかった」的な書き出しのメッセージがあった。彼女との間に共通の知人はほぼ居ない。こちらからは誰一人として連絡を取っていない。病院は2親等以内でなければ情報の開示は一切しないし、面会も同様で家族のみに限られている。
後日、判明したのは以下のことだった。
私の行きつけの飲食店で、かつて彼女と一度だけ食事をしたことがあった。彼女はその時の記憶を頼りに、もしかしたら私の消息を店主が知っているかもしれないと思い、その店を訪れた。そして店主から伝手を辿って最上流の情報を入手し、私にメッセージを送ってくれたのだった。

病院のベッドは電動式のリクライニング機能がついていたが、ベッドの背中を起こしたとしても、自分を支えることができずずり落ちてしまい、座ることも出来なかった。起きている間は天井を見るしかなかったのだが、1月の中旬頃にベッドを窓際に移動してもらうことができた。晴れたり雨が降ったり、ビルが光ったりしていた。文鎮あるいはクソ袋状態だったので、洗身もすべてナースが毎日病室のベッド上でやってくれていた。どういう基準かはわからないが、ある日からシャワー室での洗身や傷の洗浄ということになった。自室のベッドの横にストレッチャーが持ち込まれ、鉄の板を橋渡しにしてナース二人がかりでよいしょっとスライドさせてストレッチャーへ移動。そのままシャワー室まで運ばれ、そこには更にストレッチャーが備え付けられていて同様の手段でよいしょっと。寝たままマッパでシャワーを浴び、傷口をゴシゴシと洗われた。その頃にはもう羞恥心の欠片も無く、ニルバーナ。シャワー講習的なことは無いらしく、担当者によってやり方が皆違ったが、頭を洗ってもらうのはとても気持ちがよかった。シャワー前に鎮痛剤を入れていたので、傷口の洗浄時に痛みは無かった。陰嚢陰茎部分の扱いが人によって全く違い、はじめての担当者の時は緊張した。イタイイタイタマヲニギルナ。

1月10日前後、右手に今までと違う痛みを感じた。あいうえお表とマバタキ、涙目を駆使して状況を伝えると、その場が緊張した。すぐにMRI、CTを撮って、一度腕を開いてみようということになった。一時的に管がすべてはずされMRIを撮った。体を台にベルトで強めに固定され、遮音性の高そうなヘッドホンを付けられた。イージーリスニングのような音楽が流れていて、撮影には1時間ほどかかった。
病室に戻ると、半透明のシートでベッドのまわりが覆われていて、腕をかっさばく準備がそこには出来ていた。手術室ではなく今すぐここでやるとのこと。状況によっては、そのまま大きい手術になるかもしれない、最悪の場合は腕を切り落とす可能性もあると。全身麻酔ではなく例のキマる鎮痛剤を打たれ、肘から手首の真ん中あたりを「とりあえず」と10cm弱を縦に開かれた。毎日鎮痛剤生活で、耐性ができているのか医者の話もよく聞こえてきた。落ち着いた声で「これは大丈夫だ、きれいだ」と。

その頃から、救命の医者が担当ではなく形成外科へと徐々にシフトしていった。具体的には、今までは日々の傷の洗浄を救命スタッフがやっていたのを週2で形成の医者がやるようになった。女性の医者3人+ナース+学生を伴って毎回5人ほどの大所帯でやってきた。救命スタッフと比べると、洗浄は容赦なくゴリゴリと削られ形成外科の日は毎回怯えた。怖かった。ICUではとても甘やかされていたので、形成ではなくずっとここに居たいと思った。

1月の下旬から2月の上旬にかけて人工呼吸器や透析マシンなどが徐々に外れていった。人工呼吸器が外れてしばらくは殆ど発声が出来なかった。4月現在、今も抑揚をつけて話すには意識しないと声が出し辛い。救命の医者が何度も何度も「また話せてほんとうによかった、ほんとうにうれしい」と言ってくれた。「う、うぉ〜た〜」と最初に発声したのがサクッと伝わり笑ってくれたのがうれしかった。最初は「うぉ〜た〜」と言うことは事前に決めていた。ベッド上でもたれながらではあるが、座ることも出来るようになり経口での食事もはじまった。最初は全粥の上澄み汁。白濁した白湯のようなものだった。重湯か。自力で摂ることは出来ないのですべて介助。要は「あ〜ん」。米は徐々に「分」が増え、おかずも少しずつ形のあるものへと変わっていったが、味覚がおかしくなっていて食事は毎回苦痛だった。咀嚼も重労働。1日1時間程度のリハビリも開始された。最初にやったのは、小学生の頃にやったような、漢字ノートみたいなもの。「◯」や「△」を10個書きましょう。「あ」を10個書きましょうというやつ。全く書けなかった。ミミズ。
リハビリの先生は20代女子で一般病棟に移った後も退院まで担当だった。実は意識がない内からリハビリはじめてたんですよ、っと聞いた。指を握る練習とか、らしいが記憶には無い。

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