面と向かって言うには、近すぎて。
この度、自社メディア『CINRA.NET』の編集長が柏井万作から佐々木鋼平にバトンタッチすることになりました。
※柏井によるFacebook投稿文はこちら
柏井は2007年の開設以来、15年近くこのWebメディアの編集長を務め、後任となる佐々木は、メディア初期よりジョインして共に育ててきたメンバーです。
事実上、柏井は会社の事業の1つであるこのメディアの責任者という枠を超えて、全社的にインパクトのあるプロジェクトをじゃんじゃん生み出す動きが多かったため、組織上も実態にそぐうような形での体制変更になります。
それでもやはり、激動のオンラインメディアの編集長を15年近くやるというのは、自社ごとながら並大抵のことではなく、自分では200%できないことであります。自分ではできないことをやりたいから会社をやっているわけですが、それを体現してくれた15年間でありました。これからも引き続き一緒にやっていくわけですが、区切りと言えば区切りです。
そういうわけで、このnoteは、あまりに関係性が近く、もはやまともに面と向かって伝えられなくなってしまったが、一方で胸にしまっておくのも難しく、本人の許可すらとらずに無作為に放たれる、こじらせ内輪テキストです。なかなかに自意識・自社意識の高い内容となっているので、不快な方はそっとブラウザを閉じていただけたらうれしいです。
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「人生で、最も近くで生きてきた人は誰か?」
ぼくの場合はそれは、親でも兄弟でも配偶者でも子どもでもない。どこからどう計算しても、血縁上も戸籍上も関係のない、事業パートナーである、彼だ(さすがに個人名を連発するのは気が引けるので「彼」と記す)。
小中高を同じ学校で過ごし、大学でとうとう離れたなと思いきや、20歳ではじめた学生団体で再び合流し、日夜を共にし、その後その学生団体がそのまま株式会社化してはや16年というわけなので、圧倒的首位で「最も近くで生きてきた人」というわけだ。
会社をはじめるとき、仲の良い友達や知人と立ち上げるというパターンは多い。それはとても自然なことだけど、横をみると、少なくない確率で途中でブレークしてしまうケースが多い。人間は変わる、会社も変わる、社会も変わる。だからある意味それは必然だし、そのブレークは、何かの終わりであると同時に何かの始まりでもあるわけで、けして悪いことじゃない。
けれど、ぼくたちは、どうしてここまで長く続いているのか。
彼から言わせれば、「俺が我慢してきたからでしょ」と一笑されるだろうし、それは大正解。絶対。けど、他にもいくつかある。日頃めったに振り返ることもないし、こういう区切りだし、改めて記しておきたいと思う。
まずはじめに、ぼくらにはずっと共有しているビジョンがある。「新しい文化を自分たちの手でつくる」という、20歳の立ち上げ当初からずっと変わらないビジョンだ。
正直、お互いの至らないところやズレなんていくらだってあるわけだが、時には彼がぼく以上にそのビジョンを信じているから、お互いに「いや、それどころじゃねーな」と前に進むことができる。ビジョンがあるから、たとえばお金とか肩書きとか名誉とか、そういうところでぶつかったことが創業以来一度もない。これは大きい。
もう一つある。ぼくが苦手なことができるということだ。
どうでもいい話だが、ぼくは名前に「一」がついている。彼は名前に「万」がついている。そういうわけで(どういうわけだか)、社内で役割が異なる動きをしている。
よく、0→1と1→10というけれど、ぼくは1を生み出すのが好きで、1を10にしていくことは苦手だ。一方の彼は、1を10にも、100にも、もしかするとその名の通り、万にもできてしまう力がある。15年、オンラインメディアを育てるなど、ぼくにはどれだけ探してもそんなコマンドは見当たらない。
さらに言えば、これだけ違うと、価値観としてぶつかることも多々あるけど、「彼が反対しても、それでもやるべきだと思うことはやるべき。そうでないことはとどまるべき」という風に、経営判断をする上でこんなにいい壁打ち相手っていない。恵まれすぎている。
まだある。
これは最近、冷静になって気づいたことなのだけど、彼はだいぶ優秀ということだ(自社自賛だし、本人には当然言ったことはない)。人間なので、向き不向き、得手不得手はあるけれど、こと「プロデュース」にかけて、彼ほど優秀なプレイヤーをぼくは知らない。
お互いに学生団体からそのまま地続きなので、「企業への就職」という社会人経験がないままやってきたこともあるし、そもそも創業期からの事業パートナーを相対化し、認め合い続けることって実はとても難易度が高い。けど、ふと外と比べたら、「やっぱすごいな」って気づくことがある。
経営者の最も重要な仕事は、「自分より優秀な人をチームに引き入れる」と言われるけど、実は気づかないうちに、20歳のぼくはそれをやっていた。なんてラッキーな。
以上、内輪テキストであることからはどうやっても逃れられないけれども、「理想的な事業パートナーの探し方」という話でいえば、そこそこ汎用性のある話に仕上がっている気もしなくもない。
1.どんなときも手放さないビジョンを共有できるか
2.信頼できる異なる価値観の持ち主か
3.自分より優秀な人だと思い続けることができそうか
最後に、まったく汎用性も再現性もない個別の話だけど、おそらく他に機会もないので、この会社が続く上で最も大切だった創業期のエピソードを、もはや社内ブログの気分で綴っておきたい。
それは彼とではなく、今は亡き彼の父とのエピソードだ。
CINRAは自社メディアブランドと、クライアント向けのソリューションビジネスの両輪がまわっていることがその最大の強みであり、ユニークネスになっている。自社事業と受託事業の両輪だ。この両方に情熱を注ぎ続けることは、なかなかできることではないと自負している。
そんなCINRAも、創業当初は「受託仕事は、自社メディアを続けるためのガソリン」という風に思っていた。もしこの考え方のままだったら、たぶんこの会社は早々に学生の夢物語で終わっていたと思う。
その転機をくれたのが、彼の父だった。創業間もない頃、仕事がないぼくらに彼の父は自身が経営する会社のオフィスの内装デザインとウェブサイトの仕事をくださった。早い話、恩人だ。
その仕事が終わったときに彼の父が言ってくれた感謝の言葉のおかげで、ぼくはクライアントビジネスに壮絶なやりがいを見出し、それ以来15年、自社メディアが事業化したあとも、会社を自社事業と受託事業の両輪で動かすことにこだわりを持ち続けることができた。
そして同じようにこの15年、メディアの編集長として新たな文化を築き続けてくれた彼に(親子の間をぼくが経由するのはまったく出過ぎた話ではあるけれど)、その言葉をそっくりそのまま伝えたい。
「おかげで素晴らしいものができたよ、ありがとう」
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冒頭に記載の通り、これからについて、柏井は事業の責任者の範疇を越えて、全社を引き上げるエグゼクティブプロデューサーとして、CINRAらしい、より社会にインパクトのあるプロジェクトをメンバーと共にたくさん生み出し、新たな文化づくりをしていってもらいます。ぜひ、お楽しみにしていてください。
そして柏井からバトンを受け取り、二代目編集長となった佐々木は、とんでもない好奇心と、あくなき批評的精神を持つ、ぼくや社内から絶大な信頼を寄せる編集者です。彼が率いる『CINRA.NET』も、新たな方向性に向けて少しずつ動き始めています。こちらも、ワクワクが止まりません。
最後に、CINRAはこの春から秋にかけて、全社をあげたこれまでにない大きな変化を遂げていく只中にあり、この体制変更もその一部です。この流れの中心にいるのは、ぼくでも柏井でもなく、敬愛する共にはたらくCINRAのメンバーです。全貌は、少しずつ都度お知らせしたいと思います。さらに、素晴らしい仲間もこの春にたくさん増えました。ご期待ください!