No.3「卒業式は誰のため?」

連日、コロナ対策での自粛などで、なかなか日常に戻れそうにありません。

教師は暇してるの?と聞かれます。
いやいや、子ども達がいて授業する方が、何倍もいいです。
もちろん、けっして授業をしている方が楽、という訳ではありません。

三月にできなかった学習を全教科エクセルで一括管理し、教室や廊下、特別教室などの清掃と整理整頓は職員で行いました。
また、イレギュラーな変更が続き、毎朝職員会議で情報共有。おまけに、指針をたてるための拡大会議と報告の連続。

授業が後回しになった分、本来必要なかった業務がわんさかと出てきました。

あらためて、日常の当たり前が、有り難い日々であると感じます。

さて、昨日は卒業式がありました。

練習もなく、在校生も来賓もいない中の卒業式。
正直、心配しかなく、仕方ない、と思っていました。

前日準備とリハーサルも職員だけで行いました。

当日。
卒業生たちは、久々の再開を喜んでいました。
全員が出席し、見事な晴れでした。

式も、卒業生の姿が非常に感動的でした。
こんなにも、練習せずとも堂々と授与を終え、呼び掛けができるのか、と。
失敗や不揃いなところはありつつも、そこは、関係ないか、と思いました。

卒業生のための卒業式。

普段だと、そうは言っても、どこか『よりよく!』を求めて何度も何時間も練習することがあります。

でも、それは、なんのためなんだろう?と今回、思いました。

学校ってなんのためにある?

これを言い出したら、さまざま意見があります。
自分自身として、今回の措置を通して思ったことは、

学校は、子ども達の成長のためにある

ここに尽きます。
当たり前なことかと思いますが。

卒業式もあらためて、今回は「卒業生のため」に行われました。
そこには、すごく簡素化し、他にもたくさんの価値があった卒業式だけれども、確実に卒業生のためだけの時間でした。

この式への準備は、ほとんどありませんでした。

それでも、「卒業生」のため、には十分だったように感じました。

最近では、時間を大切に、時短が叫ばれています。
今回のケースも、場合によっては、来年度以降の式の考案にあれこれと出てくるかもしれません。

ですが、それもまた今回の得たものではないかなと思います。

このようなケースを経験できたからこそ、この一事にあらためて目を向け、一番大切なことから始め、その次に必要なこと、大切なことを考えて卒業式を見つめ直すことができたのでは、と思います。

個人的には、来賓には感謝を成長した態度で、そして親のためにでもあるし、在校生のためにでもあってほしいと思っています。

増え続けていく、ビルドアンドビルドの教育社会では、こういったイレギュラーから学び、教育を変えていくヒントがたくさんあるのではないかと思います。

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