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僕のカメラ遍歴① COOLPIX P5000

「僕のカメラ遍歴」シリーズをはじめます。

 カメラを持ちはじめてかれこれ15年ぐらい、自分の歴代カメラについてまとめる記事をシリーズで出していこうと思います。そのカメラのレビューというよりも、自分のその時々の生活においてそれぞれのカメラがどんな役割を果たしてくれたのか?また、どんなところに限界を感じなぜ次のカメラへ移っていくことになったのかを記述していこうと思っています。
 自分のカメラ歴が良かったとは思っていなくて、自分がカメラに投資できていればもっと思い切った決断をできていたんじゃないかと思うこともあります。ゆっくり徐々に登ってきた機材歴を紹介し、この後の僕の記事を読んでくれる人に少しでも自分のことを知ってもらう手掛かりになればと思う次第です。

人生初カメラ Nikon COOLPIX P5000

 初回は、僕が一番最初に持ったNikon COOLPIX P5000について記載します。このカメラは、Nikonが2007年に発売したコンデジです。当時、可愛いデザインのコンデジが多い中、ちゃんと厚みのあるグリップ、素通しのファインダー、フラッシュまでついた、かなり本格的な製品という感じでした。

 自分がこのカメラを手にしたのは、中学3年のとある日。今は亡き祖父から譲っていただきました。祖父は、プロカメラマンではなかったですが、アマチュアで個展を開くぐらいライフワークとして写真に真剣に取り組んでいたような人でした。そんな祖父が楽しそうに写真を撮っているのをみて、自分も見よう見まねでシャッターを切ってみたというのが、僕のカメラライフの最初の瞬間です。祖父は、僕の姿を見て、快く僕にこのカメラを譲ってくれました。今でも鮮明にそのシーンを覚えています。楽しい趣味に結びつけてくれたこと、感謝しています。

粗末な写真ライフの中で見出した写真の楽しさ

 譲り受けてから大学生3年までの約7年間、僕はこのカメラと一緒に過ごしました。といっても、使用頻度はそこまで高くありません。学生時代は音楽系の部活やサークルに所属していたので、その時の自分にとっては写真は趣味ではありませんでした。なので、カメラを持ち出す時と言えば、合宿や旅行ぐらいです。さらに言えば、JPEGしか撮れないので撮影後も大した現像はせず、スマホもないので共有もせず自分が見返すためだけのものになっていました。今思えば大変粗末な写真ライフです。

 しかし、そんな自分でも、徐々に写真の楽しさに気づくことになります。高校生の後半から大学生に入るとFacebookが流行しはじめ、撮った写真を共有するようになりました。この頃から、徐々に撮影枚数が増えていきました。そうすると、何百枚に1枚「この写真いいな」と素人ながらに思うものがあるのです。この写真に写っているのが「いい瞬間だな」とか「いい表情だな」など、写っているものに対して感じたものでした。そして、それを見て自分は「その時、その場所で、シャッターを押してなければ、その写真は撮れなかったんだ」と至極当たり前ではあるのですが、このように解釈しました。そして、瞬間や表情を切り取ることができる写真に楽しさを感じるようになりました。

 下の1枚は、僕がこのカメラで撮ったお気に入りのうちの一つです。家族でサンフランシスコを旅行している時に撮ったもので、移動中の車の中から窓を開けて雑にシャッターを押して撮れた写真です。その日は、とにかく夕陽が綺麗で、その絵を収めるべく交差点のたびにバシャバシャとシャッターを押していました。正直、偶然の産物ってぐらいです。
 ですが、旅行から帰ってこの写真を見返したときに、この夕陽と左下に映りこんだ肩車してこの綺麗な夕日を眺める親子にすごく引き込まれたのを覚えています。この親子は、どんな会話をしているかな?とか、お父さんに肩車されて見ている夕陽はどんな風に見えているのかとか?いろんな物語が浮かんできて、とてもいい瞬間を切り取ったなと感じました。
 もちろん今の自分が見るとダメ出しばかり思い浮かびます。これ主題何?とか水平取れてる?とか、もっと左から望遠で撮れなかったのか?とか、写真が未熟なのも事実です。でも、その日、その時、その場所で、シャッターを切っていたことこそ、正義なんだと思っています。

サンフランシスコの坂に差し込む夕陽 by Nikon COOLPIX P5000

 このカメラで知った写真の楽しさは、今も変わらないです。こういう写真を撮れた時の瞬間は最高。脳汁!みたいなそんな感覚です。最近は出会えなくなってきているような気がしますが、これがいつ訪れるかわからないからこそ、写真はやめられないし、カメラを手放せなくなってしまったんだと思います。

 この楽しさに出会えたのは、コンデジだったからこそなのではないかと思っています。とにかく雑に使って問題がなく、ポッケに入るぐらい小さく、すぐ撮れる。そんなNikonのコンデジは、写真がメインの趣味じゃない男子学生にとって最適なカメラ入門機だったと思います。

限界というよりも一眼レフへの敗北感

 さて、ここからはCOOLPIX P5000で感じた限界について書いていこうと思います。写真が楽しくなってきて、たくさん撮るようになってきたからこそ感じるようになってきた限界です。
 先述したように、自分は音楽系のサークルに入っていましたが、ライブなどでよく写真を撮っていました。しかし、サークル内には一眼レフを持つ人たちもちらほら。D5000番台などを使っている人に比べると、ノイズが乗ってしまったり、ボケ感がなかったりと、どうしても仕上がりが悪くSNSなどに共有しても写りで劣るなと思うことが増えてきました。それが自分にとってはとても大きな壁かつ、機材によって完全に劣った写真をあげていると感じてしまい、あまりライブなどで撮ることがなくなっていきました。また、スマホでも十分事足りるような時代になってきたのも相まって、徐々に出番が減っていきました。
そうしていたある日、次のカメラに出会うことになります。

コンデジは写真の楽しさを知る手掛かり

ということで、本日はNikon COOLPIX P5000について、まとめました。

祖父からもらった最初の一台は、今にも通づる写真の楽しみを教えてくれました。一方で、流石に一眼レフとの間の機材の壁を越えらえず、スマホの台頭もあり、出番が減っていってしまいました。
とはいえ、シャッターを押して、瞬間を切り取るという根本は同じ。その楽しさに手軽に出会えたという意味で、コンデジは写真の楽しさを知る手掛かりになったなと思っています。

今は実家の棚で眠っていたような気がします。
今度帰ったら電源つけてみようかな。

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