どんな対策方針が考えられるのだろう
以前のように自由に集まり自由に旅行したい。2年を超えた今、多くの人が思っていることだと思います。ならばどうなれば良いのか。極端に言えば2つの方向性を考えることができると思います。(1) 感染症を無視する。(2) 感染をできるだけ封じ込め続ける。
(1) 感染を無視するということは、これは風邪と同じだ、普通のインフルエンザと同じだ、と思って行動することです。今すぐこれまでの生活様式を取り戻したいならば、これが良い方法かも知れません。確かにこのまま弱毒化してくれれば、終わり良ければすべて良し。神風が吹いた、と終わることができるかも知れません。しかし最悪の何かが起きるリスクがある。例えばこの感染症が蔓延し、さらに遅れて来る深刻な後遺症が知られるようになったとしたら、時すでに遅し。もはや何もできない、ということになる。その影響を受けるのは、今の私たちではなく、将来の大人や次世代の人々かも知れない。
(2) 感染症をできるだけ封じ込めるには、科学的&理性的な対応が求められることになります。多くの人が納得できる危機管理を行うこと。理由を説明でき、すべての施策が同じ目標に向かっていること。判断のプロセスも開示され、方針が変わるのは新しい知見が得られた時。最悪を想定しつつ最善を尽くす。そのための根拠はデータ。データ元に、判断を行うこと。そうすれば、たとえ途中で何か起きても、将来の世代にきちんと説明ができるはず。
しかし一番いけないのは、どちらつかず。意思を持って(1)を選ぶのならまだ良し。(2)をやっているように見せながら、実質(1) になるなら、最初から(1)に徹するよりも問題を悪化させることになるでしょう。中途半端な行動は、そうなってしまう可能性が高いはず。それこそが、危機管理を失敗した時に起きること。
そして将来の人に、なぜこんなことをした?と問われたとしても、総合的判断(=利権+雰囲気+圧力+流れ)としか答えられない。要するに、今だけ、金だけ、自分だけ、で判断された結果なんだね、と言われることになる。
だから言いたい。
データを大切にしよう。
データをしっかり集めよう。
データに基づいて判断しよう。
最悪を想定して最善を尽くそう。
将来の検証に耐えうる判断をしよう。