部分切り取りの怖さ

「シンプソンのパラドックス」は統計学で有名なパラドックスです。部分で見るか、全体を見るかで結果が違う、という話です。最近では昨年8月に、イスラエルでの感染率はワクチン接種者・未接種者どちらが高いか、有効性はどの程度か、と言う話題がありました。(例えば「重症者の6割がワクチン接種者」

分かりやすいのは、学力の話題でしょう。国語ができる人は数学が苦手、数学ができる人は国語が苦手、という感覚を持つ人は多いと思います。高校ではそれが結構はっきり出るようです。統計で言えば、国語と数学の点数に負の相関がある、ということになります。
しかし、両方できる人、どちらもできない人もいるはずです。どちらかと言うと、よくできる人は両方できるような気もしますね。統計で言えば、国語と数学の点数に正の相関がある、ということになります。(但し多分弱い正の相関。)

この例は、全体を見るか部分を見るかで結果が違う、という例そのものです。多くの高校生が実感できると思います。なぜなら普通、高校受験があるから。

(全体で分析すべきか、部分で分析すべきかは、その「部分」が何であるか、次第になります。)


ここまでは長い前置き。
全体を把握するのに部分だけを見ていては間違う時がある。

実はこれ、数学や統計だけではないですね。「歴史修正主義」と呼ばれるものは、自論に都合の良い部分だけを切り取って、あたかも新解釈のように説明することなのかも知れません。部分を切り取れば、全体とは真逆の結論も得られる場合がある。目的としたい物語を幾らでも作り出すことができる。

最近例えば、ロシアのウクライナへの侵略に関して、NATOの東方不拡大の約束があったのか、に注目が集まっているようです。少し調べればわかりますが、
・ベイカーとゴルバチョフの会談の時、NATOを「東方へは1インチたりとも」拡大しない、という話題が口頭であった
・日付は1990/2/9

物事を理解する時、全体、歴史の流れの中で把握することが重要です。この1990年2月はベルリンの壁崩壊のすぐ後。話し合っていたのはアメリカとソ連(ソ連崩壊はこの1年半後)。話し合っていたのは、東ドイツにおよび東西ドイツ統合に関する話題。

だからこの会談が、ウクライナ(当時はソ連邦の一部)のNATO加盟を意図または意識しているはずがない。

関係がないことを持ち出すのは、部分切り取り、そのものと言えるのではないでしょうか。


自分の信じたいことだけを信じる。信じて探す。見つける。満足する。
これは情報の部分切り取りで、本当に危ないことです。

常に自問自答しようと思います。