インフレの実感とは
大分前、ある私立大学で非常勤をしていたことがある。教えていたのは大学1年生向けの解析。いわゆる微積の基本。ただしそれに至るために基本的関数も説明しなければならなかった。某元鹿児島県知事が女子には必要ないと言ったサイン・コサインは勿論、指数関数は微積の感覚を得るには必要不可欠だった。それに学生の多くは「奨学金」という名のローンを組んでいるので、少なくとも指数関数的増加がどんなものか、金利が少し増えると長期的にどれだけ大変になるかは知ってほしかった。
そこで「インフレ」という言葉を使った説明を試みた。が、ほとんどの学生がキョトンとしている。インフレって何?誰もそれが何であるかを知らない。金利が付けば、お金が増えるという感覚もない。その時やっと気が付いた。平成生まれの学生は、デフレという言葉は聞いたことがあっても、インフレは何なのか以前に、その言葉さえ知らないのだ。金利など意識もしないのだ。そして学生だけではなく、実はほとんどの日本人がインフレがどんなものか、知らないのではないか。複利とはどんなものなのか、実感がないのではないか。
今も、「物価上昇」や「値上げ」という表現は使われるが、インフレという表現はまだあまり聞かない。物価上昇をそれぞれの物の単なる値上げだと理解しているのかも知れない。構造としてのインフレとして報じることを、まるで多くのメディアでは避けているように感じる。
インフレという言葉が頻繁に使われていたのは、デフレから脱却するぞと言っていた「インフレ2%目標」の時。
そしてインフレについて、こんな説明までしなければならなかった。
インフレは「モノの価値が上がる」分、反対に「お金の価値が下がる」ため、預貯金、つまり現金の価値に影響があります。
モノの値段が上昇し続けると、同じ金額で買えるモノの量が減ってしまいます。それはつまり、「実質的にお金の価値が減る」ということです。
最近の発表として見つけた記事は、インフレを物の値上がりリスクとしかとらえておらず、電気やガソリン値上げは補助金で何とかなると考えている。別の主張では、日本に対してではないが、「インフレが賃金上昇を加速させ、それによってインフレ率のさらなる上昇に拍車がかかるという循環の長期化につながる」と懸念していて、賃金上昇がスパイラルに陥る悪いことのように表現している。
つまりインフレを物価の上昇と捉えるものの、賃金も同時に増えないと大変になっていまうという視点がないようだ。確かにインフレスパイラルになるのは困る。しかし、物価だけが上昇して給料があがらないと、給与や年金で生きている人たちは困ってしまう。特にぎりぎりの生活をしていたらなおさらだ。つまり値上げを自分でできない給与所得者や年金受給者にだけ損をさせていることになる。
但し今の物価上昇3%は、少し余裕がある人にとっては、人ごとなのかも知れない。
しかし本当のインフレ状態が続くとどうなるか。たとえ給与があがっても、年金があがって、超インフレが起きた時に大変なのは、定額収入の人たちなのだ。何が起きるのか。
一般の、余裕がない人はお金が入ったら速やかに物に替える。スーパーなどに必需品を買いに行く。劣化しないものは、手持ちのお金がある限りできるだけ沢山購入。値札がまだ入れ替わっていないお店を探して買い物する。物があれば品質も問わなくなる。そして生活必需品以外は買う余裕がなくなっていく。
少し経済力がある人は、海外の通貨などへの退避や外貨での貯蓄を考えるかも知れない。何が良いかはその時次第。いずれにしても知識とある程度の資金が不可欠で、一般人がそう簡単に真似できるものではない。
一方の売る側は、どんどん値札を書き換えればよい。品質が悪くても売れる。多少高くても時間がたてば売れる。そして売れ始めたらまた値上げ。仕入れが上がったと言えば、誰も文句は言わない(言えない)。売る側は物を持っているのだから、絶対に損はしない。これほど楽なことはない。
生産現場も、必要な資材は資金調達できた時に、速やかに購入、ストックしておけばいい。インフレで簡単に製品価格を上げられるし、文句は言われないので苦労はない。資金繰りが厳しい場合は早めの資材調達ができないため利益が減るが、価格転嫁は簡単。そして、製品の細かな品質向上など誰も意識しなくなる。つまりイノベーションの機運は下がっていく。
あとはインフレ率と銀行金利によって、多くの人の行動に違いが出るだろう。例えば利子がインフレ率と同等ならば、物を急いで買うより、とりあえず銀行にお金を預けるという対策をとるかも知れない。しかしインフレ率が金利より高い場合は、物に替えようとする圧力が高まる。いずれにしても、タンス預金は減る。現金を持たない方が有利。決済のスピードが大事になり、電子マネー化は必然的に加速するだろう。
こうして皆がお金のことを考え、余裕がなく、品質向上が難しく、現状維持で精いっぱいという社会になる。超インフレが起きるということは、こういうことなのだ。
唯一、全体としてプラスに捉えられるかもしれないこと。それは誰もが物の値段について考えるようになる。指数関数的増加がどれだけ加速度的な値上げにつながるか、経験的に理解する。微分とは何かがわからずとも、値上がりに影響するのは率なのだと理解できるようになることかも知れない。(本当は、学校教育で理解してもらいたいことだが)
なぜこれを書いたのか。
それは以前体験した超インフレの社会への影響が忘れられないから。
参考:
日本のインフレ率が高かったのは敗戦直後1946年の289%、その後1952年以降は安定。その後の最高は1974年の23%(その前後の年は11%)。1980年から次第に安定し、消費税が増税された年を除けばほぼ1%かまたはマイナス。
日本のインフレ率の推移(約100年分)
最近の日本のインフレ率(〇は消費税率が導入またはアップされた年)
1946年のインフレ率289% は、1年で物価が4倍近くになること。つまり給料が上がらなければ、お金の価値が1/4になってしまうものです。これは敗戦後の特殊事情(国内債務調整?)によるもので、今議論している長期的なインフレとは分けて考えるべきでしょう。
一方1974年前後のインフレは、前後の数年の累計でも200%(3倍)には届きません。そして当時は物価が上がるが、初任給もどんどんあがっていました。これは経済分野の人が言う「良いインフレ」と理解されると思います。
最後に。物価を下げる一番確実な方法は、消費税を下げるもしくはゼロにすること。消費税をなくせば、食料品で8%、その他一般では10%価格が下がる。これは消費税が上がった時の物価上昇率と真逆が起きる訳だから当然だ。
にも関わらず、真逆の消費税増税が議論されていると言う。消費税は逆進性。今、ぎりぎりで生活している人を、インフレ以外でさらに追い詰めようとするのか!