どうしても理解できないこと
新型コロナ・ワクチン関係で、どうしても理解できないことがあります。新型コロナは風邪のようなものだという考え方です。
前提として、
「最悪を想定して最善を尽くす」
という考え方をとります。これは言い換えると、
(1)不明なことは危険だと仮定して警戒、(2)危険がなければ(3)警戒を緩める
ということです。
(1) わからないことが起きたら、まずは最悪を想定して慎重に行動、できるだけ危険かも知れない状況から遠ざかる
(2) できる限り様々な立場の人からの情報を収集して、現状を把握する。その際、正常性バイアスに注意しながら、正常性バイアスや現状維持バイアスに陥っていないかを自己点検する。リスクとベネフィット両方を把握するが、どちらかと言うと、慎重な状況分析に重点を置き、根拠がない、または根拠がない楽観論は遠ざける。
(3) 警戒を緩めても大丈夫だ、という結論が出たら、慎重に行動を開始する。
以上が私個人の基本の考え方です。
例えばワクチンを推進する人、ありがたがって3回目接種に積極的な人の考え方は、理解できます。
新型コロナま重症化したり死亡する場合がある。後遺症も長引く可能性があしそうだ。ワクチンの効果は、重症化したり死亡しないようにすることだ。後遺症予防効果もあると聞いた。だから多少のデメリットがあってもワクチンを接種する。
こう考える訳ですね。新型コロナを警戒し、それの対策としてワクチンが効果がある(と信じている)訳ですから、筋はとおっています。
私自身、採用はしませんが。
では、何が理解できないと感じていることか。
それは、新型コロナは風邪のようなものだ、という考え方です。世の中、私たちが知らないことばかりです。むしろわかっていることの方が少ない。いやいや、科学が新しいことを解明すると、その周辺にかえってわからないことが増えるのだと思います。
新型コロナの症状として、軽い人にとっては風邪のようなものかも知れません。しかし、時々急に症状が悪化し、死亡する人がいる。個人的に一番ショックだったのは、2020年12月の立憲民主党の羽田議員(53)の突然の死去。発症後たった4日。重症化リスクが高い人云々言われていますが、実際には誰がこうなるかわからない。自宅療養で良いとされた人が突然亡くなることも頻繁に起きています。
少しづつ解明されているとは言え、新型コロナが体にどのような影響を与え、どのような症状を起こすのか、誰のリスクが高いのか、わかっていないのです。
オミクロン株も最近は死者数が増えて来ましたが、当初は症状が軽い、風邪と同じだ、という風潮がありました。しかし慎重に考えるなら、今まだわかっていない、将来の変異がどうなるかもわからない、と考えるべきだと思います。
つまり新型コロナは風邪のようなものだと考える根拠はまだないし、今後の弱毒化の保証も一切ないのです。思い込みで風邪のようなものだと思ってしまうことは、最悪を想定していないと言えます。
要は、「わからないことをわからない」と受け入れることができるかどうか、です。(良かったらデータリテラシー向上を を参考にして下さい。)
ところで頻繁に目にする主張として、感染していて死亡すればコロナ死と数えるから、コロナの死者数が水増しされているという人がいます。
統計データを集める際に重要なのは、定義が明確で客観的なデータが得られるかどうかと言う点です。仮に偶然、感染者が別の原因で死亡したとしましょう。あり得ます。しかし、それを誰が判断できるでしょうか?今可能な客観的判断は、PCR陽性だけです。この状態で、できるだけ継続して、同じ条件で、かつ客観的に集計しようとするなら、PCR陽性者で死亡したらコロナ死、とする以外、方法はあるでしょうか?確かに、元々別の病気で入院中だった人が死亡した場合は、それを後から区別できるよう、データを集めておくことは重要だと思います。もしもそれ以外の偶然も含むために過剰となることがわかったら、解析した後に補正すれば良い話です。(むしろ問題は逆で、PCR検査を受けずに死亡した人の死亡原因が本当はコロナだった、という場合です。少なく計上されている可能性は大きいでしょう。これは超過死亡のデータから示唆されています。)
この議論は、ワクチン接種後の死亡者数の議論と似ています。関係がないかも知れないが、まずは集計することが重要。これは多くの人が指摘しているし、ワクチンの危険性を訴える人も理解していると思います。(しかしワクチンは、届け出で医師の判断が入るため、客観性に乏しい、少なく報告されている可能性があります)
本来は情報を集め、因果関係を調べる、だったはずであるのに、できていないことは別の大きな問題。
ということで、今回は新型コロナが新型コロナは風邪のようなものだと考える根拠はまだないはずだ、最悪を想定するなら(ワクチン以外の)感染予防対策をできる限り行うべきなのでは、という基本的な考えを書いてみました。