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コロナに罹患して感じたこと。


こんにちは、山下です。


セミがうるさい日々で、本格的な夏が到来したなぁと思う日々です。☀️🌀
約1週間の寿命を終えたアブラゼミを道やグラウンドでよく見ます。


と、7月に僕も本当に「死を覚悟しました。」
流行り病に罹患しました。🤒

あの第何波かわからないあの時期です。
特に出かけていないですけど、かかりました。
寮生活なのでもらったのかなと。

もうなりたくない、このまま死ぬのかなと思うほどでしたので、備忘録に。


症状記録

喉がカスカスするなぁと思っていると、夜に急に39.3℃まで熱が上がり…

寮生活なので総務に連絡し、隔離ができるように手配。

翌日には抗原抗体検査をしに行き、数秒で陽性確認
ものすごい喉の腫れと高熱の状態でした。

帰宅後、寮での感染拡大防止のため、急いでホテル療養の手続きへ。
症状は39℃の熱(下がらない)、唾液も飲めない喉の腫れ、頭痛、悪寒。

解熱剤を飲んでも全く下がってくれず、高熱で気持ち悪さもあり、、
療養数日でもう無理だと思いましたね。

解熱剤が効かなかった理由

なんでこんなに解熱剤が効かないのかな。と、しんどい身体の状態で考えていました。

・・・
「親知らず抜いたわ」


上の親知らずをどちらも直近で抜いていたんです。
その際に抜歯の痛みや、熱が上がるので、かなり解熱剤を服用していました。

1週間くらいしんどい時が続いていたので、その際にかなりの期間、解熱剤を服用してしまっていた直後なので、効きづらかったのかなと。💊

ホテル移動。療養開始

陽性判断の翌々日にはホテルに移ることができました。

ホテルには看護婦さんもおり、発熱しているなど、症状が重い人には、朝昼夜と1日3回の電話による診察がありました。
僕は高熱・喉の腫れ等々あったため、重症患者の分類に入り、診察は1日3回ありました。

療養中一番しんどかったことは、事前に解熱剤や陽性判断の際にもらった抗生物質を飲めないことでした。

服用しないそのままの症状を診て、症状に合わせて看護婦さんの指示でしか服用がだめでした。
夜になると39℃まで上がることがわかっていたので、夕食前後に解熱剤を飲みたかったのですが飲めなく、案の定高熱になり、心身共にやられていました。

感染4.5日目には流石に我慢の限界で、深夜に服用許可を得る電話を高熱で意識が朦朧としながら、パンパンに腫れて喋れない声でお願いしました。笑

全く熱も下がらず、唾液も飲めない喉。

「これ治るのか。死ぬのかな。」
などと、かなり精神状態もやられていました。

感染6日目になるとようやく身体も楽になり37度台の熱で安定してきました。(それでも微熱)
倦怠感や喉の腫れは軽くなったもののある。

熱が下がったことで食欲が復活したため、出されたご飯や、持ち込んだものはストレス発散もあり爆食しました。

ご飯が食べられるようになってからは早く、7日からは元気になり、看護婦さんの電話も0になりました。(極端だなって思った笑)

衰えを感じたので部屋内でサーキット練習。
病み上がりにやることではなかったけど、久しぶりの運動に回復を実感しました。

肺がえげつなくしんどかったですけど。!!


元気になってから、、


そこからは時間を持て余して暇だなぁと思う日々です。
解熱後72時間、感染から10日間ですので、丸3日はホテルの部屋のみの生活です。

基本寝てましたね、それか動画見漁ってました笑

熱が下がってからは、どでかい緑色の痰が複数回出るくらいで、後遺症というものは特にありませんでした。

無事に退所し、普段の生活に戻ることができました。

今では肺も元に戻り、追い込む日々に戻れています。

「このせいで秋シーズン負けたとか絶対言いたくないから!!!」

これ欲しかった、あってよかったもの

・のど飴(多めに)

喉が腫れすぎて、喉を潤したかった。
二袋あったけど、全く足りなかった!ずっと舐めておきたかったから。

・非常食

豪華なものが出ていたのだけど、やっぱり運動している身からすると全然足りる量ではなかった。何か非常食は持っておくべきだなと。
体重3kg減った。
家での療養も、パッとつくれるものが欲しかったかも。

・解熱剤 複数種

一つだと効きずらいことが身で感じた。


二度となりたくない!!!


皆様もお気をつけください。
2回目の注意も。

備忘録が何かの役に立つことを。
自分の警戒の引き締め直しにも。

最後まで見てくださりありがとうございました。
また、療養に携わってくださった方々、この場を借りて感謝いたします。





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