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身近な人の死という経験

映画ではしばしば、「身近な人の死」が描かれます。親が死んだ、兄弟姉妹が死んだ、仲間が、恋人が、世話になった人が……。どれも物語を彩る要素となっていますよね(あまり良い言い方ではないかもしれませんが)。

もちろん、これらの「死」はフィクションです。
でも、観客としての我々の「感動」を想起させるものですよね。
なぜ「感動」が想起されるのか、というと、これは「身近な人がもし亡くなったら…」という仮定の話を想像させるから、あるいは「身近な人を亡くした経験」を思い出させるから であると思います。

自分の「身近な人を亡くした経験」としては、小学校4、5年生の頃に母方の祖母を亡くしています。お葬式の記憶もあります。自分にとって初めての「身近な人の死」です。
思い出すと不思議な感覚になります。フワフワしている、というか、それこそ何か、何処かで見た『映像』のような感覚です。

最近、母親の長年の友人で、私もよく世話になる方(ここではAさんとしておきます)が「癌」で入院していました。それもステージ3。検査後すぐに入院が決まりました。
私の母は、彼女自身の母を亡くし、友人まで亡くすかもしれない。母自身もそれなりに歳なので、彼女自身も体調は不安定。
もし私が母の立場だったらどう思うだろう?それだけで、足場が消え失せるような不安に駆られます。

今の私は20代も前半でまだまだ若く、これから社会に出ます。周りの大切な人や家族が亡くなるという経験は、きっとこれからの人生で味わうんだろうなと、どこか遠い世界の話のようにも感じます。もしかしたら、自分が死ぬ、なんて可能性もあることにはあります。
『きっとこれから』がずっと来ませんように。 

以上

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