ツヂ的笑い論〜王道と邪道の漫才〜
こんばんわ、ツヂです。
前回は「毒で笑いを取る難しさ」というタイトルで、僕の持論を長々と書き殴りました。
今回は「王道と邪道の漫才」というタイトルで、再び書き殴ってみようかと思います。
昨年のM-1チャンピオンのマヂカルラブリーさん。2本ともボケの野田クリスタルさんがステージで動き回る、というアクティブなネタで大爆笑を巻き起こしました。
しかし、大会後には「あれは漫才なのか」と論争が起きましたね、今年のM-1の煽りにも使われていました。
簡潔に言えば、僕はあれも漫才と呼んでいいと思います。
前述の通り、ステージを動き回る野田クリスタルさんの隣で、ツッコミの村上さんは常にセンターマイクの前でツッコミを入れていました。これだけで漫才と呼んでいいのではないかと思います。
このセンターマイクの前でボケとツッコミが完結する、このスタイルこそが王道というのは僕も納得です。むしろ僕もそう思います。
逆にステージを所狭しと動き回る漫才、このスタイルは言い方を悪くするならタイトルの通り「邪道」となるでしょう。しかし僕はこの邪道も漫才の一種だと思っています。
正直漫才の線引きって難しいんですよね。過去のM-1でも唯一「これは漫才か?」と子供ながらに思ったのも2002年のテツandトモさんくらいでしたから。
漫才は常に多様化をしています。その多様化について行くためには、王道を攻めるよりも邪道を武器にするのも一つの手でしょう。
王道のしゃべくり漫才はどうしてもテクニックが必要となります。例えるなら武器を持たない素手のバトルです。
逆に、邪道を攻めると一発ぶっ飛んだことをすれば跳ねる可能性があります。いわば飛び道具を手にするようなものです。
でも、その飛び道具は漫才という競技の中ではルール違反ではありません。となると、邪道なイロモノと呼ばれる漫才も、れっきとした漫才というジャンルにカテゴライズされるのではないかと、いうのが僕の考えです。
センターマイクと言葉のやりとり、この二つが兼ね揃えば、漫才なんだ。そう言ったスタンスで改めて邪道と呼ばれる漫才を見てみると、違った発見があるかも知れません、という締めで今日はここまで。