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遺記 ~ギャグ小説家になろう(前編)~



出囃子

皆様はじめまして。そろそろ元・ラノベ作家の有象利路と申します。
この度はこの……政府との癒着が透けて見え始めた政治思想色濃厚ツールことnoteにて、例によって懲りずに記事を作ってみました。

どこかの小説投稿サイトに喧嘩を売っているようなタイトルですが、別に某小説投稿サイト様と本記事に関連性は一切ありません。
さて、皆様は生まれてから現在に至るまで、一度はこう考えたことがありませんか?




ギャグラノベ作家になりてえなあ……




ありますよね? 私はないです(豹変)
まあそんなことを考えてしまった方は一度己を見つめ直す機会を設けた方が良いですよと忠告しつつ、今回の記事の趣旨を簡単に述べますと、

ギャグラノベってどうやって書いて(考えて)いるのか!?

という、アレなソレを皆様にお伝えしようと思った次第です。
あっ! ぼくこれ知ってるよ!

図に乗った作家が己の創作論をペラクチャペラクチャと喋るやつだよね!?

黙れクソガキ、殺すぞ……!!
と言いたくなりますが、実際そんな感じです。
とはいえ世に小説・ラノベの創作論なんてスネ毛よりも多く生えていますが、『ギャグラノベ』というウルトラハイパーファッキンマイナージャンルにおいてはまるで不毛です。
少なくとも私がチャレンジする時はググっても出ませんでした(半ギレ)

一般的な創作論は人それぞれで、ぶっちゃけ取捨選択は書き手側次第なので本記事で申し上げることはありませんが、ギャグラノベをやった(そして死んだ)者として、ギャグラノベの創作論について何か遺すものがあった方が良いと思い、筆を執ることにしました。

前提知識としましてはこれ(昔の記事)にある「書くにあたってやったこと」を踏まえてつらつらと述べていこうと思います。
これを読んで君もギャグラノベを書いて人生お先真っ暗だ!!


※あくまでギャグ小説の作り方なので、それ以外の転用には多分使えません


心構えの話

そもそも小説を書いたことのある方にしか分からないような記事なので、いわゆる『小説執筆経験者なら分かる』という話になりますが、、、

初心者ほどギャグを舐める

という傾向にあります(己調べ)
ソースは私自身です。まあ私がギャグを舐めていたという記事は過去の記事にありますので。。。
いわゆる「いやあんなんテキトーにふざけて書けばええんやろ?w ラノベやしw」という心構えで取り組んでしまうのですね。

それでも作れないことはないですが、本当に読み手を笑わせるのであれば、適当にふざけて書いたものでは不可能です。
(それで出来たらガチの天才です)

少なくとも純正な「ギャグ小説」であるのなら、目指すべきは「フフン」みたいな読者が鼻で笑うような小笑いではなく、声を出して笑うような大笑いであるべきですね。
基本的にラノベ業界は前者で満足する傾向にありますから(問題発言)

それは読者層の話であったり、作者側のプライドの問題であったり、編集側が超絶営利主義であったり、恐らく原因は複数あるのでしょうが、どうせやるならデッカイ花火打ち上げようや!! という勢いでなるべくギャグ小説は作って欲しい!!
そういう願いでこの記事を書いているので、決してラノベ業界そのものを貶めているわけではございません。
ともかく、甘い気持ちでチャレンジしたら痛い目を見るぞ、というようなジャンルというわけです。


さて、話は変わりますが皆様は榎宮算をご存知ですか?

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榎宮算とは、つまり榎宮先生が提言されたこの「ギャグラノベは2巻でギャグマンガ6巻分(1冊ギャグマンガ3冊分)」という計算式です!!!!

いやー、褒められて嬉しかったっす(照)

とはいえこれは本当にその通りで、とにかくギャグラノベはものすごーくコスパが悪く、その割にリターンが少ないので、もしやるならその辺りを覚悟してやらなければなりません。
ただ、数少ないメリットとしては「競争相手がかなり少ない」という一点に集約されますので、すげーのが書ければ賞レースでいいとこ行けるんじゃないですかね?(適当)
あ、プロの方は売れないのでギャグはやらない方がいいです(正直)
でもやってほしい・・・読みたいので・・・

というわけで、具体的にどのくらいの肉体・精神的コストが必要か? を見ていくことにしましょう。


数字の話

この記事は偉い人が書いた文献を元に、数々の明確なデータを示した上で何かしらを提示するようなしっかりしたものではないので、あくまで私の主観だけで語られるというザ・素人創作論そのものなのですが、一応数字を出せば人間は割と納得する側面があるので、数字を出したいと思います。

大体ギャグ小説一冊分を書くにあたって、どのくらいボケ・ツッコミが必要になるのか!?

あまり深く考えたことはないと思われます。誰も書かないからね……。
さて、一般的にライトノベルは(作風によりますが)一冊大体300p前後で、文字数に起こすと約11~13万文字ぐらいです。
私は書き込むタイプなので、常に13万~15万弱というオーバー気味ですけども……。

そして電撃文庫の書式は42文字×34行で見開き1pを構成しています。
文字数ではなく今回は行数で考えていくとしましょう。
で、その見開き1pをおよそ150p(文庫本換算300p)分ぐらい使って一冊作ります。
作家によってはもっと長かったり短かったりしますが、大体の平均値はこのくらいじゃないんすかね(適当)

で、これでいくと300pとは余白抜きで5100行(34行*150p)使えることになります。
いわゆるボケ・ツッコミが一行ずつ二文で1セットとするなら、マックスでその掛け合いが2550セット必要になります。

多すぎん??????????????????(計算ミス)

実際は地の文もあり、更に一行でセリフが終わるとも限らないのでもっと短くなりますね。
大体セリフ・地の文の量は3:7ぐらいになるので(ラノベはもっとセリフに比重が寄りますが)、それでいくと行数配分はセリフ:地の文で1530行:3570行です。
ボケ・ツッコミ掛け合いで割ると、765回……ナムコ!?(パックマン)

更に765セットに対して複数行使う、余白ページがある、挿絵がある、特にボケ・ツッコミしないセリフもある……などを加味すると、なんとミラクルな計算が起きて(数式なし)、必要なボケ・ツッコミ掛け合い数は大体350回ぐらいです。
350セット掛け合いのストックがあれば一冊分満足に作れる、という意味での個数であり、必ずしもこれだけ必要というわけではないですけどね。
ただ仮に350セット分ボケ・ツッコミが用意出来たら、その中でネタの取捨選択も出来ますし、間違いなく楽に作れます。


そんな作れねえよ(憤怒)


ですよね^ー^

当たり前ですが、ネタの用意が一番時間がかかり、更に一番難しい部分なので、ジャンルの認知度の割に現在ラノベ界隈でギャグ作品が少ないのは、この圧倒的面倒臭さと、その割にリターンのなさにあります。
例えるならば、1円玉貯金を毎日一年間頑張るような感じで、これを頑張ったところで年間365円ですからね。
売れ線、流行ジャンルが500円玉貯金なら一日でぶち抜かれるでしょう……。

まあそんな虚しさはどうでもいいとして、ともかくガチでギャグ小説を作るのなら、事前に最低でも300セットはボケ・ツッコミのネタを作っておくと安心、というわけです。
350セット用意出来たら万々歳でしょう。

がんばってね(放任)

……っていうと適当にも程があるので、私自身を例に出すと、実際に私がストックするネタは多くて100個ぐらいです。
ボツ分含めると(クソみたいなネタ含むと)300以上ありますけど、やっぱり実用に耐えうるのはかなり減りますからね。
恐らくこのネタの用意が出来た時点でもうほとんど完成は目に見えたようなものでしょう。

じゃあなんで一冊分に必要なボケ・ツッコミのセットが用意出来ていないのに作品が生まれているのかというと、自分から見て『笑いの攻撃力が低い』ものは大した労力なしに書けるからです。
水増しっていうと言葉は悪いですが、事前に考えて仕込んだネタと、その場の流れでポポンと書いたネタが混在して私は一冊作っているわけですね。
(まあ即興で考えたとしても後から練り直すのですが)
笑いの攻撃力というか波の考えについては後々話しますので、つまり私はその波に沿って力を抜いているところは抜いているとお考えください。

とはいえ先述の通り、こういう事前準備なしで全編クソ笑えるギャグを書けますよって方は本物の天才なので是非執筆してください。
やり方分かんねえよ、って方は考え方とかの例をこの後つらつらと述べていくのでこの先も読み進めてください★


(閑話)笑いとは?

閑話か本題かは迷うところですが、多少外れた話になる気がするので、一応閑話と付けました。
笑い……笑いとはなんぞや? よくわからないですよね。
無論私も全然分かっていないのですが、少しでもその外郭に触れられるよう、その切っ掛けとなりうるものを引用させて頂きます。

さて、前項で偉い人の書いた文献云々と述べていますが、唯一引用させて頂きたいものが一冊ございまして。
落語家・桂枝雀氏が書かれたらくごDE枝雀という著書なのですが、恐らく知っている方はとっくにご存知な一冊だと思われます。
内容は氏の持ちネタ五席を紙上再演、及び対談形式による「笑いのメカニズム」の解析なのですが、後者がとんでもなく素晴らしいので(前者も面白いですけど)幾つかご紹介します。

(※笑いの極意・「ここじゃ」というポイントについて)まず思いついたんが、知的には「変」、情的には「他人のちょっとした困り」、生理的には「緊張の緩和」、社会的とか道徳的には「他人の忌み嫌うこと」ないし「エロがかったこと」。この四つになったわけですわ。

(らくごDE枝雀 p48より引用)

この一連の流れを本文ではさらりと述べられているのですが、もう死ぬほど勉強になるので、出来る限り原文をお読み頂きたいですね。。。
私の解釈を交えて(不純物)これらのポイントを簡単に解説すると、

・「変」→けったいなこと、おかしなこと。普通じゃないこと。そういう状況を『緊張』とし、そこから通常の状態に戻る『緩和』を経て笑いが起こる。
・「他人のちょっとした困り」→「困り」が『緊張』に相当する。が、「他人のちょっとした」という但し書きが重要であり、笑えないような困りごとでは『緩和』が起こらない。
・「他人の忌み嫌うこと」→「忌み嫌うこと」が『緊張』に相当する。普通の社会的常識・規範から逸れたことをボケ側が発言・行動することに対し、そこの範囲内にあるツッコミ側が正すことで『緩和』が起こる。
 エロも同様だが、『過激すぎる、汚すぎる』と笑えなくなる。
・このような笑いの生理的メカニズムを『緊張』と『緩和』が引き起こすとし、『緊緩の法則』とする。

なんとなく話は見えてきましたでしょうか?
お手元にあるギャグ作品(小説でも漫画でも)をこれらの項目を照らし合わせて研究してみると、必ず何かしらこの項目に引っかかっています。

私は私の自著で例えるしかないので、申し訳ないですが『賢勇者』シリーズで例えてみます。

・「変」→登場キャラクター全般のふざけた言動
・「他人のちょっとした困り」→被害に遭うサヨナ
・「他人の忌み嫌うこと・エロ」→変態の存在、下ネタ

といった感じで、絶えず300pで緊張と緩和を繰り返しています。
いわゆる「いい天気ですね」「そうですね」「お茶でも飲みましょうか」「お菓子出しますよ」「「おいしいなあ」」みたいな、何の山も谷もない会話劇は極力していません。
この会話は『緩和』のみであり、読み手側に『緊張』を全く与えていないので、笑うに笑えないからですね。(ほのぼのはするでしょうけど)

とにかく書き手側の認識としては、読み手を常に刺激する、セリフの8割ぐらいは『緊張』に属するふざけた言動をするぐらいでいいでしょう。
ギャグ小説は数撃ちゃ当たる方向で制作するほうが望ましいです。
絵と違って媒体上、どうしても表現の質に劣り、一方で量だけで勝るならそうするしかないですからね。

自分でギャグを書いてみて、これらの項目に相当するか否かを考えるだけでも、それがギャグとして成立しているか否かを自己判断する材料になると思います。
ともかくギャグ小説は作っている最中に「自分以外の誰かに読ませないと反応が分からなさすぎて困る」という部分で常に頭を悩ませるので、最低限の自己採点基準を持っているだけでも気分はかなり楽になります。
「変」か? 「困り」か? 「忌み嫌うこと」か? 「エロ」か?
そこに「緊緩」はあるか?
常々意識し、考えながら、ふざけたことを作っていきましょう……。

ただ、じゃあ適当に『緊張の緩和』をすればいいのかというわけでもなく、

この「緊張の緩和」も、「緊張」がボチボチ「緩和」したんでは笑いになりまへんねん。速くポーンと「緩和」せんことには快感にはなりまへん。「緊張の緩和」ということは広い意味で言えば「快感」ですからナ。「喜び」なんですね。それがしかも瞬時に行われる時に「笑い」になるわけですわ。

(らくごDE枝雀 p56より引用)

と、あります。
どういうこと? っていうと、原書を読め……と言うとキリがないので、簡単に言うとこれはギャグ小説で言うところの『ツッコミの重要性』です。
※原書は落語の話ですが私はギャグ小説の話になるので、多少の応用はご容赦下さい。

ツッコミの話については恐らく次回(本記事は長くなるので分割します)かなりやるとして、『緊張(ボケ)』も『緩和(ツッコミ)』も両立させないとあきまへんで、という話です。
それ以外にもいわゆる『オチ』についての分類も本著内で詳しく分類されているのですが、これも次回に回そうかな……。

ともかく、今回は『緊張(ボケ)』について、私なりの分析を次の項目より述べていこうと思います。

ボケの分類

基本的なボケ・ツッコミについては、私は漫才をベースに考えています。
前項で落語云々って言ってたのに漫才かい!!
……と思った方、返す言葉もないぜ(降伏)

えー、これは落語か漫才かでいうと、恐らくは構造上落語の方が小説の連作短編だと近くなるのですが、ギャグ小説は短い間に何度も笑いを繰り返し取る必要がある以上、漫才の方が題材にマッチしているからですね。

で、その中で私はボケをどういう風に手札分けしているかというと、大雑把に5種類あります。
前項の『緊緩』の分類を更に細分化・明文化したものだとお考えください。
※あくまでギャグラノベを書く時のボケの分類です。

自著でいうと『賢勇者』シリーズはこの手札を全部採択しており、かなり節操のない作品となりました。
実際のところはこれらの分類から使う・使わないをまず考えてカードを切らないと、いわゆる世界観が滅茶苦茶になります。
そのへんの危険性もあわせてご紹介します。


①通常の掛け合い

これはいわゆる分類外、その他です。
初手その他かよ!! って自分で書き出して思いました(正直)
でもその他とちょっと違うのは、全ての基本だからですね。

これはボケ側がふざけたことを言う、という一点に尽きます。
前項でいうところの「変」に相当するでしょうか。
ただ、そのふざけたことの中身があまり尖っておらず、つまるところジャブみたいなものですね。
基礎も基礎なので、これが出来ないとそもそもこれ以外の分類のボケも出来ないです。
(或いは笑いの波が激しくなりすぎて寒暖差がひどくなる)
具体的に自著でいうどの部分かというと、、、

「おいうるせえぞアデル!!」
「まだ小生何も喋ってないけど!?」
 先んじてユージンがキレた。

(賢勇者三巻 第二十二話《大回転と弟子》より引用)

当該話の冒頭部分なのですが、これは(普段ツッコミだけど)ユージンがいきなりアーデルモーデルにキレるという導入となっています。
自分で眺めていても分かるぐらいに全く尖ってないやり取りですが、ジャブなのでこんなもんでしょう。
何か特殊なものを使うわけでもなく、『何も喋ってないのにキレる・キレられる』という奇妙さでボケ・ツッコミが成立しています。

人生で一度も喋ったことのない方というのは、恐らくそう多くはいらっしゃらないので(乳幼児の方除く)、誰でも分かるようなおかしさですね。
分析すると『普段アーデルモーデルはうるせえ』という作品の前提知識も踏まえた上での入りなんですが、それを抜いても成立する掛け合いです。

恐らく一般的なコメディタッチのライトノベルでも、これに準ずるやり取りというのは数多く存在しています。
というかコメディならこれがメインですね。
それだけにこの掛け合いの基礎はレベルを高く保ちたいところですが……まあそれが出来れば苦労はしないでしょう。
コメディなら許されても、ギャグを標榜するとこれ一本で戦うのは到底無理なので、他の手札が必要になってきます。

必然的にあまり波風の立たない掛け合いになるので、笑いの緩急でいうとかなり箸休めになります。
こういう掛け合いのジャブ連発でちょこちょこ稼ぎつつ、でかいのを一発見舞うのがギャグ小説のベースになるのではないでしょうか。


②下ネタ

説明不要!!!!!!!!!!!!!!!
といきたいですが、あえてきちんと言うなら『排泄や性的な部分に掛かるネタ』ですね。
『らくごDE枝雀』内でも「エロ」という形で分類されていました。

好みが非常に分かれ、下ネタ嫌いという方は数多くいます。
一方で下ネタ大好きという方も数多くいるので、人間のナンセンスな部分を一番お手軽かつ深く突いてくれるネタです。

『賢勇者』シリーズはこの下ネタがメインを占めており、読んだことのない方は作品タイトルの段階で「ああ下ネタがメインの低俗なラノベか・・」と思われたことでしょう。
その通りです(開き直り)
これはいわゆる一昔前のラノベのイメージで書いたので。。。

さて、下ネタといえばパッと浮かぶだけでもうんこ・ちんこ・おっぱいという三種の神器がありますね。
ラノベはおっぱいとパンツ限定って感じですけど。

ここで考えるべきは世にある下ネタの豊富さです。
とにかくこの世界には下ネタが多すぎる!! ありがてえ!!
と、いざギャグ小説を書いてみて思いました。
特に性的な方面だと18歳以上対象のネタがかなり多いのですが、全年齢対象のラノベでも私はそのへんを特に気にせず使いました。
どうせラノベ読むのなんてオッサ(略)

ただし、野放図に下ネタを使い倒すのも問題があると思いました。
過去の記事でも触れましたが、ライトノベル的な構文でいうと、美少女が下ネタを言うという構図が求められる中で、それを正直にやったところでギャグとしてはあんまりだな・・と考えたわけですね。
ラノベとしての正解は見えているものの、ギャグを本気でやるならラノベの正解は不正解でしかありませんから。

というわけで私はゲストキャラを極力変態のオッサンにし、特に二巻以降はその話のテーマに沿った下ネタを使うよう心がけました。

 ケツネタのトラクターピストンも収穫期を過ぎようとしていた。
「なあオイどこにオラの菌液欲しいべ? とっとと選べメス土ッ! 早出しか遅出しか!」
「先んじて釈明しておきますが、全て農業用語です」
「メス土って口にする農家が居るとでも?」
「あッ❤ 乾季一番射種(で)る……ッ!」
 腰を突っ張るようにして、ビクンビクンと脈動しながらケツネタが一番奥深くで種蒔きした。

(賢勇者三巻 第十六話《種付けと弟子》より引用)

きったねえなぁ……。
と自分で思いつつ、この話などは特に顕著で、基本的に下ネタを全て農業用語類で置き換えて連発しました。
この話で使ったのはほぼ全て実在する農業用語であり、それをどれだけ汚く見せるか……っていう大変に失礼な話です。
あ、いや、メス土は造語です。ごめんなさい(翻意)

とはいえ、単純に下ネタを連発するのではなく、その話のテーマに沿ったものでなぞらえつつ、一人で大喜利みたいな真似をしながら繰り出していくというのは、まさに作者の技量の見せ所であると個人的には思っています。
下ネタを使って他と差をつけるのであれば、こういう部分で自分の思うシモを発揮するのが良いのではないでしょうか。
あ、でも安定を求める方はとりあえず美少女に下ネタを言わせておけば、少なくとも担当編集レベルは満足します(編集説得RTA)

ただし! 下ネタは先述の通り非常に好みが分かれます。
好きな人は好きですが嫌いな人はとにかく嫌いなので、下ネタを使った結果「汚い話は無理」と言われても納得しましょう。他人へ強要できるようなものでは絶対にありません
あとはやるなら力強くやらないと、中途半端にシモを入れるとすげえオッサン臭くなるので注意したほうがいいです。

私は事前に作中で下ネタをやる・やらないを決めて作品を作るので、やらないと決めたら徹底的に排除しています。
これはそのくらい下ネタが人に与える影響が(やりやすさの割に)大きいと理解しているからで、そして作風にも影響が出る要素でもあるので。
何より下ネタで取る笑いはお手軽ながら文字通り下品・下賤なので、これだけに頼るのは作品そのものが低レベルに見られがちです。
(低レベルでいいよ、と開き直るのなら別に構わないですが)
もしプライドを求める方は、①の基礎部分も鍛えましょうね★


③パロディ

説明不要……ではないですね。
でもインスパイア、パロディ、オマージュ、リスペクト、パクリ等については説明すると長くなるので、各々ググった上で理解をお願い致します><
えー、そうですね。


ラノベ業界においてはパロディ及びパクリが横行しています(中指)


タイトルとかね……次々寄せていくからね。
恥知らずな業界と言われればパロディオナホ業界とタメを張れるのではないかと思いますが、主題とはズレるのでその辺を揶揄するのはまたの機会か、もしくは私が改めて何か書いたらそこで突っついておきます。

ラノベにおけるパロディと言えば、大体はアニメ・漫画・ゲームから引用されるものが多いです。
読者層を考えても、そこから引っ張ってくるのはネタの採択としては間違っていません。

「Oh! バチンキーの進化系も一緒ブヒか」
「やだなぁンポデカさん、俺のことゴリランダー扱いするのやめて下さいよ~」
(知り合いなんだ……)

(賢勇者三巻 第18話《王無砲流(オナホウル)と弟子》より引用)

パロディの元ネタを自分で解説するのは死ぬほど恥ずかしいので極力やりたくないのですが、これはポケモンネタの一種です。
自分としては全然面白くないパロなのでサヨナもユージンも大したツッコミも入れずに次へ行っていますが、ここで考えるべきは……

『そのキャラクターはそのパロディ元の知識を本当に知っているのか?』

という部分です。
つまるところパロディは元となる題材が我々が住んでいるこの現実世界に因むので、仮にファンタジーものでパロディをやるとこの問題にぶち当たります。メタネタと紙一重ですね。
『賢勇者』は一応理由としては現実世界のものがシコルスキ達の住む世界に流れ着く、的な設定上の言い訳をしていますが、基本的にもう何も考えずに連発しています(屑)

この辺りの采配というのは非常に悩ましく、『偶然キャラクターがパロディ元となるセリフを引用した』『キャラクターが狙ってやった』だけでも大きな違いが出ます。
極論を言えばファンタジーものでパロディはやめとけ、と言いたいところですが、今のなろう小説文化を考えるに設定上のパロディはもう何も言わずとも許される風潮があるのでしょうかね?
話がブレるので深くは考えませんが、そうなると気を付けるべきはセリフなどの引用によるパロディでしょうか。

舞台が現実世界でも危険であることに変わりはなく、とにかく発言内容がキャラクター性とマッチしないパロディをした時点でかなりキャラクター性にブレが出ます。
なのでコメディ系のものでパロディをやらないほうがいいと私は考えます。
これは、『ギャグなら許せる』ラインと『コメディなら許せるライン』が、読者の中でちょっと差があるからですね。

上述の賢勇者で私が開き直っているのは、元の作風が滅茶苦茶なギャグファンタジーなので、多少の強引なパロやキャラに合わないパロでも読者が笑って勝手に納得、つまり『緩和』がもう起こっていると信じているからです。
逆説的に考えると、様々なパロディをしたいのであれば、それを許容される空気感(世界観)とキャラを構築しないと、一気に読者が『冷め』てしまう危険性があると言えます。

また、特に自分のギャグに自信がない方ほど、パロディに頼りがちになる傾向にあります。
言い訳や水増しとしてパロディを入れる、とでも言いましょうか。

はっきり言って文字だけのパロディは労力が安く、誰でも出来ます
(絵によるパロディとの最大の差)
その安い労力で大きな笑いを取ろうとするのがそもそも作者側の傲慢でしかなく、あくまでこれもジャブの一つか、或いは文字だけのパロディで笑いを取るなら相当頑張って仕込まないとダメです。
単に有名漫画のセリフを引用してキャラに言わせる、ぐらいの安いパロディだと、最近の読者は恐らくクスっとも笑ってくれないでしょう……。

結果的に作者側の技量が問われるので、ギャグ小説で半端なパロディを入れるぐらいならそもそもカットするか、読者側が理解不能なレベルのリスペクトに近い領域まで昇華させた方がいいですね。
因みに私はパロで大きく笑わせられないと割り切っているので、アホみたいにしょうもないパロディを作中で連発していますが、笑いの主力には絶対にしませんでした。

小説でパロディをやるなら本気でやれ、が全てでしょうか。
或いはしょぼいパロを許す世界を速やかに序盤で作れ、とも言えます。

また、恐らく次回話すことになるでしょうが、パロネタはツッコミ側の技量もかなり問われるので……危ないんですよ。
メタも危ないとこの後に話しますが、パロはメタにかぶる部分があると先述したのを鑑みると、その危険性は確かです。


④メタフィクション

とは何か!? ググってください(怠惰)
掻い摘んで言えば「作中のキャラクターが(本来知るはずもないのに)現実世界のことに触れる」でしょうか。

「言葉の響きからして分からなくもないんですけど、何ですかおっパブって……」
「阿南と土屋が挨拶代わりに通っている施設です」
「不健康ランド……!?」

(賢勇者三巻 第二十二話《大回転と弟子》より引用)

これとか特に顕著なんですけど、阿南氏と土屋氏は私の担当編集であり、現実世界に存在している立派な電撃文庫編集部員です。
まかり間違っても賢勇者の世界の登場人物が知っているはずないのですが、一巻の頃からキャラクター達が二人の存在に触れまくっていました。
特に下ネタとのあわせ技(手札は同時に出すことが可能)で、このようにキャラクター達からイジられています。真偽の程は別として。。。
よくある(?)といえばよくあるメタネタの一つですね。

私は『賢勇者』シリーズにおいて一番特徴的なのは下ネタやパロディではなく、このメタフィクションを一切制限しなかったことだと考えています。
つまり、大した理由もなく登場人物達は我々の現実世界に存在する個人や企業やレーベルを叩き、煽り、時には媚を売っています。
本来の小説で考えるなら、そんなことはしてはいけないことです。
世界観がぶっ壊れる、ということがもう説明するまでもなく分かりますね。

でもそれをやる!!!!!(鋼の意志)

というのがメタネタの面白さと危うさです。
一つ前に私はパロを主力としていないと書きましたが、じゃあ何を主力にしたかというとこのメタネタです。
作品そのものを台無しにすることは分かってはいますが、それを上回るとんでもないボケを生み出すにはメタ以外ない、と考えたからです。
あとネタを考えるにあたっても、メタを解禁するとやれることがうんと増えて、思考の幅が一つ広がりました。

作品の構造上、『賢勇者』シリーズだと私は最終話に一番大きなメタネタを毎巻入れるようにしていますが、一巻だと禁呪、二巻だと三木一馬氏、三巻だと小学館……みたいな、いずれも現実に存在するものを強引に引っ張ってきています。
恐らく真面目にラノベが好きな方が一番許せないのはこのメタフィクションで、笑って許せるラインを余裕で超えていきます。
『緩和』もクソもなくなる、アンチが即爆誕するとでもいいましょうか。
キャラクター性もパロディ以上にブレますし、何より一度でもギャグでメタフィクションを本筋でやってしまうと、もうその作品はどれだけ大真面目にやったところで消えない傷跡が残りますからね。

対処法としてはやらない(またか)或いはそれを許容する世界観をパロと同じく構築する、ぐらいでしょうか。
シリアスものでもメタな部分を使うと一気に冷めるという話はよくありますし(ゲームですがSO3とか……)爆発物並みに危険です。
私はギャグだから、という理由だけでメタネタを使う決心をしましたが、いわゆるギャグコメディ(完全ギャグではない)でメタを使うかどうか悩んだ方は、基本的には使わないほうがいいです。

ただ、これもパロと同じく、メタもギャグに自信がないと作者がついうっかり使ってしまうのですね……。
例えば夢オチであるとか外伝であるとかオマケであるなら、「おい作者!!」みたいな一昔前のアレなやり取りがあっても構わないでしょう。
でも本筋でキャラが「作者は何を考えてるんだ?」みたいなことをキャラが発言するのはご法度です。
小説というか物語を作る時の基本中の基本ですね。

なのでパロと同じくやるなら全力でメタをやった方がよく、何かの言い訳じみた発言としてメタをするのはやめましょう。
逆に考えると真面目な作品なのに突如としてメタが出てきたら、その時は恐らく作者の方は何かに悩んでいるのかもしれないです(謎推理)

ファンタジー世界が舞台ならメタとパロはセットでオンオフを考え、現実世界が舞台ならそれぞれ別個にオンオフを事前に考えましょう、みたいなまとめ方をしておきます。


⑤時事・風刺

こちらはパロではなくメタと一部被るネタです。
漫才師で言うなら爆笑問題さんとかは時事ネタをメインに漫才を毎年披露されていますね。
時事、つまり我々の住む現実世界で今起こっていること・話題になっていることを、ストレートではなく風刺(皮肉)で面白く表現する、というようなネタです。
書き手にも読み手にも一般的な常識・知識がいるのと、ラノベは書いてから出版されるまでかなりラグがあるので相性が悪いということから、私はあまり自著では採択していません。

「レスト・イン・ピース――セルバンテス」
 砕け散った己の虫に対して、シコルスキは両手を合わせて拝んだ。
「祈り相手が違う!!」

(賢勇者三巻 第十九話《クソガキッズと弟子》より引用)

まあやってないわけじゃないんですけど(恥知らず)

えー、これは小説投稿サイト『セルバンテス』さんが閉鎖するとのことで、それを使った時事ネタです。
ただセルバンテスさんが閉鎖した時期と三巻が出た時期はかなり開きがあるので、正直やり直せるならやり直したいぐらいにはミスマッチなネタだと思っています。反省点ですねぶっちゃけ。

とはいえ、笑いの原点を辿ると風刺に行き着くように、元々笑いというのは風刺・皮肉の側面をはらんでいます。
なので時事はともかくとして皮肉や風刺自体は使える時にしれっと使うのはいいのではないでしょうか。
いわゆる「なぞらえる」方式ならパロディやメタとはまた違ってきますし、そういう意味では力量が問われるネタなので、個人的にはこういう毒を作中に自然と盛り込める作品は大好きです。

私はそこまで技量がないので、メタと風刺を強引に合わせて「今から”電”を叩きますよ」みたいな感じでストレートにやっています。
ヘタクソの最たる例ですが、笑いとは勢いだから。。。(言い訳)



このように、私はボケを考える時にまず分類上どれに当たるかを考え、或いは複数組み合わせてネタとしてストックしています。
適当に思いついたネタだったとしても、冷静に分類すればパロやメタにあたるな、と思うと採用するかどうか一考の余地が生まれますからね。

何でもかんでも使ったれ!! という作品を書いておいてアレですが、私は何でもかんでも使いながらも使ったモノの種類だけはしっかりと把握し、自分の中で経験値として貯めていくのが成長に繋がると思っています。
これからギャグ小説を書く方は、まず使う手札をどうするか己の中できちんと線引きをした上でネタを揃えてみてはいかがでしょうか。


一時的なまとめ

努力に次ぐ努力が必要な割にリターンが少ねえクソみてえなジャンル!!!

それがギャグ小説だ!!!!!!!!!!!!!(台無し)


※続きますor本記事に加筆して後日再投稿します

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