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遺記 ~ギャグ小説家になろう(後編)~

前回の記事について、自分が思っていた以上に反響があり、ギャグ小説の書き方の手引については潜在的な需要があったのではないか? という錯覚に囚われそうですが、気にせず普通に続きを書いていこうと思います(ツン系クソ作家)



(閑話)最近の笑いの傾向について

初手が閑話か……と呆れられそうですが、許してぇ(懇願)
さて、皆様はどのくらい笑いの流行に敏感ですか?
私は大体中途半端に剥がしたカサブタの痕ぐらい敏感ですが、別段鋭敏というわけではないと思います。

しかしながらお笑いに全く興味がないわけではないので、ぼんやりと世間に流されながらお笑いを見つめ続けてきた結果、近年は大きく変化が生まれているように思えました。
それは、、、

・笑いの平易化及び普遍化
・ツッコミの重要性
・冷笑文化の成熟


と、以上の三点に絞って自論をお話しします。
あくまで自論にして持論なので、必ずしも合っているわけではないでしょうが、そもそも前回と今回の記事の時点で合ってるもクソもない自慰行為なのでその辺はご容赦下さい!!

まずは『笑いの平易化及び普遍化』ですが、これは嬉しいことにお笑いという存在がほぼ日本全国へ根付いたということですね。
お笑い番組を観たことない、という方は全国でもかなり少数だと思います。
興味があろうとなかろうと、誰しも一度はテレビで目にしたことがあるはずですし、流行語大賞なんかもお笑い芸人の一発ギャグが大賞になる(そして一年で消える)ことはザラですから。
誰だって笑いたいわけで、笑いという娯楽が未来永劫消えないのは人間の生理的欲求から見れば至極当然ですね。流行るべくして流行ったわけです。

ただ、この場合の『お笑い』というのは、いわゆる漫才・コント・ひな壇系バラエティなど、割と限定的です。
落語や寄席、漫談、喜劇など、笑い自体は幅広く存在していますが、その中で非常に一部分だけが根付いた感じですね。
逆に今挙げたいずれも、ガチでハマっているという方はあまりおられないのではないでしょうか。
事実、私ももっぱら漫才・コントが好きで、あまり落語などには明るくありません。(嫌いではないですし好きですが)

そして特に落語・漫談などはかなり聞き手側に一定以上の教養が求められることが多く、ぶっちゃけていうと全年齢にウケないのですね。
私はお笑い芸人の『なかやまきんに君』氏が好きで、氏のネタを見れば何億回でも笑うのですが、これは恐らく小学生も同じだと思います。
一方で落語を小学生が聞いても大多数がチンプンカンプンになるでしょう。小学生に限らず、大人でもそうかもしれません。

実際、落語のネタの多くは古典に関わる部分が多く、当時の生活様式や言葉遣い、文化を知らないと笑えないところもあります。
『粗忽長屋』なんて有名ですが、まず『粗忽』と『長屋』という単語の意味を知っている者がどれだけいるのかという話ですし……。

そういう意味で、分かりやすく笑えるものが広く好まれ、この辺の流行はラノベ業界も同じですね。
つまるところ娯楽に多様性が生まれた結果、消費者もなるべく取り入れるのがイージーなものを取り入れるようになっています。
お笑いもラノベもここらへんは同じだよ、というのはまず押さえておきたいポイントです。

次に『ツッコミの重要性』ですが、こちらは漫才・コントにおける流行の話とでも言いましょうか。
少し前までは漫才の花形と言えば基本的にボケ側で、ツッコミ側ではなかったのですが、今はどちらかというとツッコミ側が輝いています。

例えば誰もが知るコンビ・ダウンタウンの漫才は、基本的に天才・松本人志氏がローテンションで面白いことをズバズバ言うというスタイルで、それまでのしゃべくり漫才のあり方を一層しました。
一方でツッコミの浜田雅功氏はかなりオーソドックスな『どつきツッコミ』で、「なんでやねん」を中心にあまり凝ったツッコミは入れていません。

では翻って現在、例えばM-1グランプリ2019年度チャンピオンであるミルクボーイのスタイルは(”リターン漫才”の素晴らしさはさておき)、ボケ側の駒場孝氏が静かにボケ(お題)を挙げつつ、それに対してツッコミ側の内海崇氏がひたすらツッコミ(偏見混じり)を入れていくというものです。
生で観ていた方は分かると思いますが、これがもう異常なほどに面白く、ダントツでM-1グランプリの頂点を獲りました。

ただ、注目すべきは笑いの発生箇所がダウンタウン・ミルクボーイでは確実に異なっていて、ダウンタウンの漫才では松本氏がボケた時点でもう観客は笑いが起こりつつあるのですが、ミルクボーイの場合は内海氏の偏見ツッコミが炸裂してからようやく観客がドッと沸いています。
ダウンタウンの場合はツッコミがボケを100→200にすると考えるなら、ミルクボーイはツッコミがボケを10→200にする感じです。
後者はツッコミが笑いを爆発させている、とでも言いましょうか。

ダウンタウン・ミルクボーイを仮にメンツを入れ替えたとして、駒場・浜田両名では成り立たないでしょうし、松本・内海両名でも成り立たないでしょう。(まさにドリームマッチですね 観てみたいですが)
他にも今やテレビで見ない日はない千鳥も、主に取り沙汰されるのはノブ氏のたとえツッコミです。(大吾氏も普通にツッコミ上手いですが)

とかく今は『上手いこと言う』ことに対し、世間の関心が高まっているのではないか? と私は愚考しています。
そういう意味でツッコミ側の重要度は昔よりも上がっています。
まあ元々大事なんですけど……それはともかく、このツッコミ云々は今回の記事の主題なので、また後で長々と話します。

最後に『冷笑文化の成熟』ですが、こちらはもうちょっとアングラ、インターネット文化方面の話になります。
皆様は面白いと感じた時、例えば友人の発言に対してウケた時、どのような反応を返しますか?
恐らく普通に声を出して笑うと思います。それが対面状態なら、ですが。

ではもしそれが友人のLINEの発言だったとしたら?
或いはツイッター上の面白いツイートだったら?
You Tubeの面白い動画だったら?

2021年現在、端的に使われるのは『』です。
元を正せば『草が生える』、『w』のことですね。
ほんの十年ほど前は同じような状況だと、ネットの反応は

クソワロタwwwwwwwwww

と、草をボーボーに生やして面白い旨を発信していました。
(今も廃れつつありますが時折見られますけどね)

この『クソワロタ』→『草』の変遷こそ、『冷笑文化の成熟』ではないかと私は見ています。
どういうわけか今現在、インターネット上で「大笑いする(という意を伝える)」ことが避けられ、「面白い!!(共感)」から「面白いじゃん(上から)」と、奇妙な変化が生まれているのですね。
同じ笑った意を伝える『クソワロタ』と『草』でも、ニュアンス上はそのくらいの違いがある、と。
別に本記事はネット文化の分析ではないですし、私もそこまで造詣が深いわけではないので確かなことは分かりませんが(逃げ)

元々ワロタも草もネットスラングであり、元を辿れば匿名掲示板から生まれ出た言葉です。
ただ、現在はかつて閉じた環の代表である匿名掲示板の文化が、様々な形で表に流出するようになりました。
そこにスマートフォンの普及とSNSの発達があり、個々人の発信が活発になった結果、匿名掲示板の負の側面……冷笑的側面も広く伝わってしまったのではないかと思います。

どちらかというと『ワロタ』や『ヌクモリティ』は共感的・肯定的な帰属意識から来る発言に対し、『草』や『くっさ(臭い)』は分別的・否定的な独立意識から来る発言です。
どういうこと? っていうと、つまるところSNSの発達などにより、個人が集団に紛れて一体化することを楽しむよりも、個人が個人としてはっきりとした何かを発信する方が今は好まれる傾向になったからなのでしょう。
YouTuber、Vtuber、Instagramなど、私が若かった頃は個人情報云々の観念から見て絶対に否定されたようなものが隆盛しています。
Twitterでもフォロワー内の全員に向けて一個人として何かを発信することが気持ち良く、それがRTやいいねの仕組みとマッチしているからこそ未だに衰えを見せないのですね。
なので集団に溶け込むようなスラングよりも、その集団から浮き出る、抜き出るようなスラングの方が重宝されている……と考えています。
(スラングの時点で集団に溶け合う為の表現であることはおいといて)

それでいて、人間は本質的に自分を強く見せたがる生き物です。
誰も進んで道化になりたがらないのは(ラノベ業界一つ見ても明らかですが)そのせいで、誰だって他人を嘲笑いたいですし、上から目線で物を言いたいですし、分かった風な反応を装いたいですからね。
この記事を見たらそれが明らかでしょう(露悪)
なので流行るとしたら『草』で、そしてあまりアングラ文化を知らない層が受け入れやすいのもこれだったのではと考えます。
(まとめサイトの傾向が変わっていったとかもあるでしょうが省略)

長々言っていますが厨二病が増えたんだな、ってことです(投げやり)
単純に『草』って書く方が楽ですしね……。
ではつまり何が言いたいのかというと、この冷笑文化の成熟により、受け手側の感性は一昔前とは確実に変化していて、かつて一斉を風靡したギャグ小説と同じことをしても今は絶対に通用しない、ということです。
クソワロタ時代も草時代も、別段どちらに優劣があるというわけではないですが、少なくともギャグ小説をやるとしたらクソワロタ時代の方が絶対に楽だったと言えますね。。。

これがギャグ漫画だとそう簡単に風化はせず、結構今も通用する部分は残るのですが(絵に年代を超える普遍性があるからです)、恐らくギャグ小説はかなりの勢いで劣化していきます。
よって『賢勇者』シリーズも、あと五年もすれば古臭くて一切笑えないクソラノベ……という風に見られると私は考えています。
元々古臭くて笑えないクソラノベだって? ●すぞ!!!!(こういうのが古いんだね)
文化的影響を受けやすいジャンルなのですね、ギャグ小説は。
(笑いの文化がまた変化するという前提ですけども)

結論を言うと、笑いの感性を現代に適応させたギャグを考えましょうね、ということで、過去の名作をリスペクトしつつ新境地を考えていかないと厳しいものがあるというわけです。
笑いは全世代に好まれる下地があり』『ツッコミの重要性は昔の比ではなく』『それでいて受け手は冷笑的な側面が強くなった』ことを理解した上で、ギャグ小説家という憐れな道化師は戦い続けるのです……。

絶対なりたくねえわ(素直)

いやー、閑話のくせにクソ長くなりましたね。
私はツッコミ論者なので、前回の記事に比べると今回のほうが圧倒的に長くなると予想していますが、果たしてどうなるのでしょうか><


笑いの総合値

ツッコミの話はどうした????
と思われるかもしれませんが、先にツッコミの細かい分析よりもボケ・ツッコミにおける私なりの理論を展開しようと思います。

前回の記事で笑いのメカニズムは桂枝雀氏により分類化され、そして私個人がその中でボケを更に細分化しました。
この項目ではそのボケとツッコミを一纏めにして考えていきます。
どういうこと? っていうと、『ボケ』も『ツッコミ』もそれ単体では完結せず、二つがセットになることでようやく意味を持つ、という考えです。

これが絵や音声ならそうでもないのですが(ボケ単体で成立する)、ギャグ小説という媒体においてはボケ単体で成立することは稀であり、従ってツッコミが必ず必要になります。
前回の記事の時点で私はボケ・ツッコミを既に1セットの『ギャグ』として考えていたのですが(お気付きだったでしょうか)、あれは簡略化して纏めていたのではなく、1セットにしないと無意味だからです。
両足分揃っているからその靴を履くのであって、片足分しかないならそもそもそんな靴は履きません。それと似たようなものです(強引)

では笑いの総合値って造語を使ってイキってる理由は? となるでしょうからこれも説明しますと、そのボケ・ツッコミの1セットのギャグを『どのくらい笑いの破壊力があるか』で主観的に分析することです。
『客観的』ではなく『主観的』なのは、自分で考えたギャグは他人に評価してもらうまで主観的でしか判断出来ず、そしてこの分析は他人に原稿を見せる前に行うものだからです。
そういう意味では書き手側のセンスがモロに浮き出る部分でもあります。

と言っても分析自体は難しいものではなく、私は基本的に4つに切り分けた上で自分の考えたギャグを分析・分類しています。
それは、、、

・弱いボケ+弱いツッコミ
・弱いボケ+強いツッコミ
・強いボケ+弱いツッコミ
・強いボケ+強いツッコミ


という、非常~~~~~~~~~~にシンプルなものです。
おいおいギャグラノベ作家程度からそんなすごい理屈や理論が飛び出すわけねえだろ? 何期待してんの? と、読み手の方を自虐で煽っときます><

とはいえ自論につき詳しく解説しますが、見るべきは『足し算』をしていることで、より正確に述べると『強弱ボケ+強弱ツッコミ=ギャグ(笑い)の総合値』という算出法ですね。
また、総合値について説明する前に、ボケとツッコミの強弱の違いについて先に説明させてください。
※あくまで私による強弱の付け方です。


<ボケの強弱>
・インパクトがある、ツッコミ不在でそれ単体でも成立するなど、とにかく読者にとって衝撃を与えるようなものは強いボケとする
(こんなもん誰も考えつかんわ、というボケは強いボケとなる)
・いわゆるジャブやフック、ツッコミの存在を前提として存在するボケは弱いボケとする
・基本的には『メタ>>>シモ>パロ・時事>>基礎』の順になりがち(当然ボケのクオリティにより変動する)

<ツッコミの強弱>
・短く的確であったりうまいこと言っていたり、思わず読み手が唸るようなツッコミを強いツッコミとする
・誰でも出来そうなツッコミは弱いツッコミとする
・暴言ツッコミは強いツッコミとする
・長文ツッコミは弱いツッコミとする
・ツッコミボケは例外としてボケの重ね合わせとする(※後述します)


こんな感じです。まだツッコミを細分化していないので説明しづらいのですが(構成ミス)なんとなく強弱の付け方は分かりますでしょうか?
この先、本記事でツッコミの細分化を行いますが、その際にツッコミの強弱・ボケの強弱が出てきますが、大体上のように私が分類しているのだとお考えください。

さて、しかしながらここで注意点があり、恐らく『足し算』していることから、皆様は『笑いの総合値が高い=面白いギャグ』であると思われたのではないでしょうか?
これは実は気付きにくい落とし穴であり、実際のところは違います。
あくまで私の考えですが、総合値を0が最低値、100が最高値だとすると、『ボケ+ツッコミ=総合値100に近いものほど良いギャグである』と判断しています。

いや当たり前じゃね? 何言ってんだ?
となるのですが、実はやり方によっては100を超えてしまうことがあるのと、そう簡単に100は出せないので、この場合の私の考え方の結論は『いかにして100に近付けていくか?』となります。
100は最高値でもあり最良値でもあるわけですね。これを超えるとかなりアクが強くなり、個人的には良いギャグにはならないと判断しています。

基本的には弱い=点数が低い、強い=点数が高い となり、そのバランスが合計値になるので、ベースととしては『ボケ・ツッコミの一方が弱ければもう一方を強くする』ことで、ギャグとしての総合値を上げるように常々心がけます。
もっとも全部のギャグ総合値が高ければいいわけでもなく、前回の記事でも出た『波』を考えながら私はギャグを配置するので、必ずしも弱い同士の掛け合いが悪い(=ダメ)というわけではないです。
※全部クソ面白いギャグだけで書けってなると脳味噌が破裂する

というわけで図解を用いて改めて確認してみましょう。

図解1

せっかくなのでサヨシアを出してみました★
私は数学を幼稚園以降習わなかったので細かい説明は出来ませんが、まあなんとなく分かりますよね? 分かることにします(強引)

このグラフを基点として、自分で考えたボケ・ツッコミを強弱で分類していくと分布図(散布図)が完成するのですが、例として以下のようになります。

図解2

めっちゃはみ出たのは気にしないで下さい(低技量)
こんな感じで、一冊内で様々なバランスのギャグが生まれていきます。
ほぼイメージ図であり、説明にあるように実際は点が300ぐらいあるのでゴチャゴチャしますから、今回は見やすくしています。
ただ、このグラフを見ればちょっと気付くかもしれませんが、実は『強いボケ・強いツッコミ』の分布(右上部分)がほぼないのですね。

これは先程も申し上げた通り、その配分は総合値で100を超えてしまうので、私は意図的にやらないようにしています。
片方が1点でも片方が99点なら総合値で100を取れる以上、良いギャグというのは右下と左上に多くあればいい……と考えているのですね。

こんな感じで予め私は己のギャグをボケ・ツッコミ各自で見た上でその総合値を判断し、効果的になるよう配置しています。
というわけで次は配置による『波』について考えてみましょう。
(いつになったらツッコミの細分化を行うのか)


『波』とは?

そもそも、小説における物語の流れは一定ではなく、淡々としている箇所は淡々として、盛り上がる箇所は盛り上がるように、メリハリを付けなければなりません。
ギャグ小説も全く同じで、単にそのメリハリを『波』と呼んでいるだけなのですが、その『波』をギャグだけで構築するから難しいわけです。

なので先述の通り私が参考にしたのは漫才なのですが、漫才って基本的に出囃子と共に登場→ツカミ→ネタ開始→オチ→退場という流れですよね?
よほどの変則型でない限り、どの漫才師さんもツカミで爆笑を掻っ攫おうとはしないですし、オチに一番のネタの爆発を持ってこないのですね。
徐々にギアを上げていき、ネタ全体の真ん中~終わり際ぐらいで笑いを取り続け、最後はサラッと終わらせるのがオーソドックスです。

ギャグ小説も同様で、オチで一番笑いを取るのではなく、その過程に重きを置いて、オチはほとんどウイニングランみたいな波のイメージで話を構築しています。(散々言いますが私の場合ですけど)

美味しいものは最後の方に食べる、と言うと分かりやすいかもしれません。
美味しいもの=面白いギャグ とするなら、それを最初に持ってきてしまうと、もう残るはそれより不味いのしか残らない……って、どう考えても構成ミスでしかないですからね。
ジャブのようなギャグを入れつつ話を展開し、ドカンとしたものをブチ込んで、最後はまるで散るようにオチをつける。
それが形の良い『』のようになれば、ギャグ小説における一話として上々なものだと思います。

よって図解するならこんな感じのイメージで一話を作ります。

図解3

前項で説明しましたが、『総合値』の高いギャグを話の真ん中付近に配置し、話の入りとオチは軽く流す。
その中でシアちゃんの疑問を説明しておくと、連作短編形式のギャグ小説は普通の連作短編と違い、読み手がオチに多くを求めないからです。

一応例を挙げるなら、賢勇者一巻一話なんてハマジャックが死刑宣告食らって暴れて終わりですからね。
普通に話を作るのなら許されない投げっぱなしな終わり方ですが、ギャグなら次の話で大体の状況がリセットされるので、このような強引な終わり方を私は多く採択しています。
きれいなオチを考えるのが面倒だって? そうだよ!!(自白)

とはいえ、『次の話で大体の状況がリセット』というのはギャグジャンル最大の特徴であると私は考えています。
コメディとギャグの違いって説明しづらいですが、私はあえて説明するならリセットが起こるかどうかを基準にしています。
もっと言うなら一話の中でキャラが死んだとして、次の話何の説明もなく生き返っていたらギャグで、死んだまま二度と生き返らないならコメディと分類してもいいでしょう。(設定によりますけどね……)

これはもう作中の空気感が読者を納得させるので、恐らく『賢勇者』の作中でメインキャラの誰かが死んだとしても、別に悲しみなんて引き起こさないでしょうし、どうせ次に生き返るだろ? と思わせといて普通に生き返ります。キャラを殺したことはないですけど。。。
それはギャグだからで全て片がつく、ある意味暴論のような押し付けで、最大の強みなので活かしていきたいところですね。

なので 導入→終盤まで笑いを取り続ける→はー終わった みたいな流れを一話の中で上手く作り、そのまま次の話にバトンタッチします。
これは次の話をフラットに楽しんでもらうという意味もあり、前の話のオチが強烈過ぎると次の話が頭に入りにくい可能性があるからです。

で、そういう話を一つ作ったら、今度は話全体を考えなければなりません。
これも地味に私は試行錯誤していて、ベースは次の図になります。

図解4

結局、ギャグ小説を完成させることの何が一番難しいって、どう考えても『一冊で話をまとめる』ことにあるんですよ。
一般的な週刊少年誌のギャグ作品は、打ち切り最終回を迎えない限りはずっと続くので、いわゆる『総まとめ』が必要ありません。
一話一話しっかりギャグを作ればいいわけですね。

しかしギャグ小説は一話一話作りながらも、それを一冊分として出すから、必ず最後に話の区切りをつける必要が出てきます。
もちろん、投げっぱなしなオチで本の最後を〆ても良いのでしょうが、私は作家としての最低限のプライドで話をきちんと畳むことを是としているので、ここは普通の小説を作る時の感覚で話を構築します。
幸いにも元々はフツーの作品しか書いてなかったのでね!!(嫌味)

面白いギャグ小説が書けた! となっても、じゃあそれが一冊の本としてきちんと終わっているか? を考えると、一冊の中に二冊以上のものを詰め込まなければならず、榎宮算へ更に有象算(クソ造語)が加算され、はっきり言って尋常じゃないぐらい疲れます。
私がどうにかギャグ小説を三冊出せたのは、そもそも(デビュー前から)連作短編形式で本を一冊作ることに慣れていたからなので、これからギャグ小説を書くワナビの方は、並行して普通の小説も書ける能力を磨かないと、最後の最後に詰むかもしれません。(現役プロなら問題ないですね★)

まあそれについてどうすればいいかとか掘り下げていったら通常の創作論になるからさておき、今度はギャグ一つではなくその一話全体の総合値を見て、私は上記の図のように話を配置します。
なので私は初稿の時に話数を『第?話』にしており、担当に見せて反応を得てから話数を並べ替えたりします。
(ツカミとなるその巻の一話目だけは固定しますが)

当然のことながらそれは『より面白い話は後ろの方』という、本としての体裁を保つためです。
いわゆるアーデルモーデル回が賢勇者1~3巻全てにおいて最終話の一つ後ろに来るのは、お約束という側面と共に、このアーデルモーデル回が私にとっていつも総合値の高い話になっているからです。
また、前回の記事で触れた最終話に滅茶苦茶なメタネタを仕込む、というのもこの配置をベースに考えているからですね。
この場合は一冊を通して尻上がりの『波』を作っていると言えるでしょう。

ただ、じゃあつまらない話を前半に固めるのか、というとそういうわけでもなく、下ネタ回か否かのバランスや登場キャラのバランスなどを見て話順を入れ替えることもあるので、あくまで基本ってだけです。
連作短編形式だからこその方式ですね。
(つまり正確には図の『ギャグ達』はややギザギザした矢印になります)

書いた順だけで素直に一巻分構成してしまうとこの全体の『波』が崩れるというか歪になるので、一話一話をしっかり作者として分析し、一番読み手に効果的な配置を心掛けたいところでしょう……。


(閑話)ツッコミの重要性

突然ですが、皆様はこのようなことを考えたことがございませんか?



このラノベ主人公クソつまんねえな……



的なのを!!(大問題発言)

結構書き込んで(この項目時点で約10000字)もう疲れ気味なので、これ以降の項目は私の持ち味(草)である毒気たっぷりにお送りします。

なぜ私はいきなりラノベ主人公という広すぎる範囲内に対し確実に存在するモノをいきなり煽ったのか?
それは……まあ……彼らが原則、あまりギャグ的には面白い存在として書かれていないからですね。

先に弁明しておきますが、『そもそもラノベ主人公はギャグ的に面白くあるべきか?』という問いについて、私は『NO』という答えを提示します。
そもそもラノベにおけるギャグ及びコメディパートというのは、料理で言うところのパセリとか刺し身の上のタンポポです。(※正確には食用菊)
添え物も添え物、むしろ食べるヤツの方が珍しいぐらいです。

そんな添え物をガチる必要は基本的にありません。それが最低限、パセリや刺し身のタンポポであると読者が分かればいいのです。
むしろそこをガチるぐらいなら本筋であるバトルとかシリアスとかラブコメを頑張ればいいわけで、添え物をわざわざ高級化・高品質化したところで得られるメリットなんてほぼ皆無です。
お笑い芸人はお笑いを突き詰めていくべきでしょうが、じゃあお笑い芸人がラノベの技量を磨く必要はあるか? って考えたらマジでないですよね?
ラノベ(の主人公)にとってギャグはそのようなものですので、つまり別にギャグ的に面白くなくても全く問題ありません。

実際私もギャグをやるまではそういう認識でしたし、今もこの認識は(誰も明言しないだけで)担当編集・作家レベルで根付いています。
(※もちろんそこにも気を付けている方は大勢いますが)
「この主人公がお笑い的にまるで面白くないから全ボツ」というのは、恐らくラノベのボツ理由としてはほとんどないです。
パセリの形や刺し身タンポポの色が悪いからって返品はされねえ!


でもテメェはそのパセリor刺しタンだけで勝負しろ!!!!!!!!!!!


……ってなるからギャグ小説は基本誰もやらないわけですが。。。

話が逸れつつありますが、しかし私はパセリ&刺しタンの研究家として、『このラノベ主人公がギャグ的に面白くないのには理由がある』ことを突き止めねばなりません。
それを把握することによって、逆を突けばギャグ的に面白い主人公を作ることが出来るわけですからね。

非常に上から目線かつ傲慢なことを述べている自覚があり、それでいて失礼な発言なので具体的にどの作品のどんな主人公かは拷問されても絶対に口を割りませんが、しかしながらそういう主人公がラノベ界には割と居る、ということだけは断言させて頂きます。
といってもその辺を長々語るとそれだけで敵を増やすと思うので、端的に原因を列挙すると、

・ツッコミ役=常識人である と考えている
・ツッコミのバリエーションが少ない
・テンションが極端に高いor低い


これらに的を絞っていこうと思います。
まあアレなことを言うと作者の笑いへの意識の低さって言ってしまえば終わりなんですけど、それだと何も解決しないというかやっぱり喧嘩を売るだけになるので、簡単に解説をば……。

ツッコミ役=常識人である と考えている』は、読んで字の如くなのですが、ツッコミをするやつは常識枠のキャラ……という広く認知されているイメージですね。
言い換えれば、『そもそもツッコミが笑いを起こすという認識が薄い』とも言えると思います。

前回の記事で触れたように、『緊張』と『緩和』が笑いを引き起こすのですが、これはあくまで『笑い』を起こすメカニズムです。
恐らく大体のラノベ主人公というのはツッコミでこの役割を果たすのではなく、『常識』というものを知っているポジションを示すためにツッコミをしています
よって、総じてツッコミのクオリティは度外視され、重要視されるのは『ボケにツッコミを入れた』という一点になります。

作者側が求めるものがそもそも『笑い』ではないのですね。
ボケという異常事態に常識的見地からツッコミを入れられる(クールであったりまともであったり)キャラ、という読者側の認識が欲しいのです。
もちろんはそれはツッコミの本懐であるので何ら間違ってはいませんが、しかし求める部分がそもそもギャグによる笑いではなくなるので、従って笑いの破壊力というものが低下するのですね。

いわゆる『ラノベ主人公か?』というたとえツッコミがあったとして、大体の人間が似たような想像をするのはこの認識が大きく作用しています。
中肉中背、黒髪、童顔、モテる、鈍感、なんか強い、ヒロインにツッコミを入れがち……ほらラノベ主人公でしょう!?(押し付け)
フラットに考えても、ヒロインにボケ倒す主人公よりもツッコミを入れる主人公が多いのは、恐らくツッコミ役の方が(なんとなく)カッコいいからで、それが理由でツッコミ役になりがちです。
その辺りは作者の感性によりますが、私もギャグを狙わないなら主人公は基本的にツッコミ役にします。
(カッコよさ、ではなくそっちの方が書くのが楽だからです)

しかしながら反証しておきますが、『ツッコミ役は常識的ポジション』ではありません
ツッコミも出来るけどふざけた存在というのは存在しますし、ボケ役でも常識的なやつは存在しますし、何より前項までで触れたように、現代の笑いはツッコミの重要性が増しています。
ツッコミで笑いは取れる、というかツッコミで笑いを取る、というのが今のムーブメントですから。
ギャグに限らず、ちょっと型枠から外れた主人公を作りたいのなら、ボケ役にするだけでも変わりますし、ツッコミに深みを持たせるだけで変わったやつになり得ます。(なるとは言っていない)

大暴言を吐いておくと、気質上陰気な人間は保守的・受動的なことが多く、従ってボケをやりたいかツッコミをやりたいかで言うと能動ではなく受動であるツッコミをやりたがる傾向にあるので、それがラノベ主人公に反映されている可能性は否めません。ソースは私が陰気な人間だからです。

あっ お前さてはラノベ主人公が嫌いだな??

黙秘!!!!!!!!!!!!!!!!!!(自白剤)

えー、まとめておきますが、ツッコミは『してあげる』のではなく、『させて頂いている』と考えるべきで、卵か鶏かは答えが出ないとしても、ボケとツッコミにおいては明確に『ボケ』が先です
ギャグをやるならば汎用的なラノベ主人公に適用されがちな『(自分の立ち位置を分からせるために)美少女にツッコミを入れてやる』という認識は一旦外し、仮に美少女にツッコミを入れるとしても『とにかく笑わせるためにツッコミをさせて頂く』という考えを持つようにしましょう。
ボケをもっと尊重しよう、ラノベ主人公諸君!!!


次ですが、『ツッコミのバリエーションが少ない』は、これもまあそのまんまでツッコミのバリエーションがラノベ主人公というのは基本的に不足しています。
すげえラノベ主人公を叩いている項目になってきたな……そんなつもりはないのでこれも弁明しておきますが、ギャグをやらないなら別にバリエーションはなくても構わないのですよ。
ただ、ギャグをやるならそもそもツッコミの手札も増やしておかねばなりません。それは次の項目でやりますが。

さて、話がいきなり変わりますが、皆様はさまぁ~ず三村マサカズ氏をご存知ですか?
最近はとみにバラエティ番組で多く観ますが、元々さまぁ~ずはコント師であり、三村氏はツッコミ役を主に担当します。
さまぁ~ずのネタについては知っていることを前提とし、ではここで私の脳内にいらっしゃるイマジナリー三村氏を召喚して、私の書いたこの記事に毒舌ツッコミを入れてもらいましょうか。


いやオナニー駄文かよ!
こんなの自己満足でしかないだろ!
誰も読んでねえよ!



……ん? あれ??
おかしいな……。

ラノベ主人公が出てきたぞ!?!?!?!?!?!?!?(衝撃)

えー、これは私が提唱するラノベ七不思議の一つであり、『作者はさまぁ~ず三村マサカズ氏のことを大して知らないのに何故か作中で三村マサカズ氏が突如として現れる』というものです。(残り六つは秘密)
どこにもいないのにどこにでもいる……。
知らないのに知っている……。
呼んでもいないのに現れる……。

三村マサカズ氏は神話の生物だった……!?

冗談はさておき、これはつまるところ『ツッコミのレパートリーが一辺倒』であることによる弊害です。
ラノベ主人公という概念はディスっても問題ない(ある)ですが、三村氏をディスるわけにはいかないので弁明しておくと、氏のツッコミは基本的に『ボケの事実+強い口調』で構成されています。
~だろ、~かよ、~だな、みたいな、まあ一般的な関東方面の語尾ですね。
これを三村氏は適切な場面でスパっと使用し、小気味よいテンポで笑いを展開しているのですね。

ただ、これは三村氏の技量を前提としたコント特有の発声と間の取り方などによる笑いであり、ぶっちゃけ小説媒体ではあまり使えません。
それでいてあまりツッコミに関心がないと最初に浮かびがちなツッコミであり(だからこそそれを完全に使いこなす三村氏はすごい)我々素人が使い倒しがちなものでもあります。

ツッコミをヒネらないと三村氏が大量発生する、とでも言いましょうか。
書き手側が三村氏の大ファンなら問題ないのですが、しかし自作の主人公が三村マサカズ氏と同一視されるということを望むラノベ作家は果たしてどれだけいるのか? あんまりいないでしょうね、多分……。
この『三村化』……ついに造語化してしまった……がもしラノベ主人公に見受けられると、私はそれだけでその作品に肩を落としてしまいます。
気にしない人は気にしないのかもしれませんが、個人的にはやはりツッコミの手札を書き手側は増やして欲しいところです。
別に三村氏はラノベ主人公じゃないので……。


最後の『テンションが極端に高いor低い』ですが、これはそのまんまツッコミのテンションが同じ、という部分に該当します。
『三村化』と同じ枠組みとも言えますが、とりあえず『こいつはこういうキャラだからハイテンションにツッコミを入れておこう、ローテンションにツッコミを入れておこう』、という曖昧なキャラクター性による区切りがこれを引き起こします。

これは笑いの総合値の話になるのですが、『語気が強いツッコミ』というのは私は分類上強いツッコミとしており、使い所をある程度決めています。
簡単に言うと語尾に『!!』がつく時のツッコミで、これは非常にツッコミしている感が出るのですが、しかしながらこればかりやってしまうとワンパターン化が起こります。
ツッコミは常にハイテンションではなく、しかしクールなローテンションばかりでもつまらない、肝心なのはバランスです。
そうすることによって少しでもツッコミに幅をもたせることによって読者が飽きないように私は苦心していました……。

ラノベ主人公はテンションが偏る、或いはツッコミの時だけ騒がしいみたいなことになりがちなので(そういうキャラです、といえばそこまでですが)ここをケア出来ている作品は『”腕”あるなぁこの作家の方……』と私は内心で称賛しています。

なんか全体的にラノベ主人公批判になった項目ですが、笑いを突き詰めていくならラノベ主人公という概念は割とそこに抵触するものがあるのです。
何よりこの考えはそれなりに応用が利くので、別にギャグに限らずキャラクターの幅を出したい時は役立つのではないでしょうか(上から)
まあそもそも私はギャグを作中でやらない作品はほぼやらないように作るので、そこんとこ気にしないor三村化しても致し方なしと考えますけどね!!

とかく皆様には『ツッコミは超重要』であることを理解して頂ければと思います。


ツッコミの分類

ようやくこの項目なのですが、これを最後の項目にさせて頂きます。
本当はサゲ(=オチ)の分類も桂枝雀氏の理論を元にやりたかったのですが、ちょっと長くなりすぎるのでやめておきます。

さて、もう言うまでもありませんが、ツッコミはギャグをやる上で非常に大事です。
そしてギャグ小説をやれば分かるのですが、基本的にツッコミの方が考えるのがしんどいです。
ボケはいわゆる『おふざけ』でいくらでも手札を量産出来ますし、それがもろ被りすることも少ないですが、ツッコミは手札を量産すると『三村化』を筆頭とした手札被りが頻発するからです。
それはギャグとして非常によろしくない……。

なので私は最低限ツッコミを個人的に分類化した上で、なるべくレパートリーを増やして何とか凌いでいます。
考え方としては前回の記事のボケの分類に今回のツッコミの分類を合わせて一つのギャグとして、都度話の中に配置していくイメージですね。
そしてその際に基準とするのは前項までに説明した強弱及び総合値です。

この項目をもってようやく私のギャグ小説を書く際のベースの理論がはっきりする……とでも言いましょうか。
まあそんなご立派なものでもないですが、とりあえず「ああそういう感じね」みたいなノリで読んで頂ければと思います。

ではもう一度原点に立ち返りますが、桂枝雀氏の論における『緊張と緩和』において『緩和』とは、『快楽』です。
おかしいと思うもの(=ボケ)を正常な状態に引き戻す(=ツッコミ)ことによって、快楽(=笑い)が発生するのです。

つまりツッコミの本来の目的とは『ただすこと』なのですね
間違っているものに対して正しいことを提示する。
それは傍目から見ても『納得』のいくものであり、いわば瞬間的な、読者とキャラの思考がシンクロすることによる『共感による快感』です。
常識的ポジにおきたいキャラがツッコミを担当するのは、まずツッコミの根っこがこうなっているからですね。
プロの方にとっては今更なことではあるんですけど。

しかしそこを履き違える……つまり、そもそもツッコミ側がズレたことを言ってしまうと快楽が発生せず、むしろボケになってしまいます。
これを利用した手札もあるのですが、基本はツッコミ側に正常な判断力と常識的思考が求められます。(=作者の常識力、とも言えます)

なので全てのツッコミとは『ただす』ことにあり、そして以下の私の分類とはその『”ただしかた”が違う』と思って下さい。


①状況説明
ツッコミ強度:弱~中


※ボケの手札はなんとなくキレイに切り分けられましたが、ツッコミは複数の要素をはらむことがあるので、その辺りは先にご容赦下さい……。

えー、『状況説明』とは、これはそのまま、ツッコミ側がボケによって引き起こされた状況を説明することにあります。

「ああついでに、あまりに様々なモノを世界中から探し続けた結果、我が領民の血税がスッカラカァァン! になってしまいましてね! いやー、ハハハハッ! 些事ッッ!!」
「先生こいつ圧政敷いてますよ!! クソ領主です!!」

(賢勇者二巻 第八話《出入り口と弟子》より引用)

これとか顕著ですね。ボケであるガヴァーナが何だか長々と言っていますが、要するにこれは『己の欲望のために領民の税を好き放題使い込んでいるけどまるで気にしていない』という事実(=緊張)に対し、ツッコミであるサヨナ側が『圧政』及び『クソ領主』という単語を出すことによって、それがどういう状況・状態なのかを簡単に説明(=緩和)してツッコミをしています。

これがもしサヨナ側のツッコミが『何やってんですか!?』だとかなりツッコミとして弱い(的確でない)ですし、ちょっとヒネって『革命起こされますよ!?』だと多少分かりにくいかなと思います。(後者はアリですが)

なので使い時としては『ボケがちょっと分かりにくい』ことに対する、フォローの側面を含むツッコミになりますね。
ボケ側のカードがパロディ・メタなど、特殊なケースだった時もかなり使うことになるツッコミです。

「おお……何ということだ。サヨナくん、君は特殊ステータス持ちのようです」
「特殊も何も、これわたしじゃなくて本作でお馴染みのロベルト・ペタジーニ選手における2010年時の成績じゃないですか!!」
「何で数値だけでそこまで分かんだよ」

(賢勇者二巻 第九話《マウントの応酬と弟子》より引用)

これはその例であり、やや発展型で、最初に『(ペタジーニ選手のステータス(打者成績)で大きくボケる→反応型のツッコミ→)シコルスキが小さくボケる→サヨナの元ネタ解説ツッコミ→ユージンのまとめツッコミ』という流れで一つのギャグを構成しています。
サヨナが丁寧にステータスの元ネタを解説した結果、ボケに近くなったのでユージンが最終的なフォローを入れた形になっていますね。
ツッコミボケの側面もあるパターンとも言えるでしょう。

『ただす』ことを考えると、この状況説明ツッコミというのは実に的確であり、ある意味『ボケを解説している』とも言えます。
しかし、この『ボケの解説』というのはかなりくどいというか、ツッコミとしての質はあまりよくなりません。
また、会話の流れとしては結構不自然になりがちです。

ツッコミ強度があまり強くないのはそのせいで、どちらかというとボケ側の手札が強い時に使う方がいいでしょう。
このツッコミだけをメインにしてしまうと「なんか理屈っぽいなこいつ……」というように見えてしまうかもしれないので。
何よりボケの解説ってお笑い芸人さんが一番嫌うことでもあり、ぶっちゃけ結構恥ずかしいことですからね……。うま~くやりたいツッコミです。
とはいえ読者に寄ったツッコミなので、私は使用頻度が高いですが。


②反応
ツッコミ強度:最弱


恐らくですが、ツッコミを勘違いするとしたらこの項目が該当します。
それと同時に、恐らく普通に生きていれば一番多用するツッコミにもなるので、如何ともし難いのですが……。
とりあえず例を出してみます。

〒102‐8584
  東京都 千代田区富士見 1‐8‐19
              電撃文庫編集部
                    「魔王軍応募係」
「何ですかこれ!?」

(賢勇者一巻 第三話《魔王と弟子》より引用)

例のアレこと……例のアレが初登場する場面なのですが、サヨナのツッコミはほとんどツッコミの体をなしていません。
つまり、起こった状況に対して完全な応対が出来ず、従って本能的に口を継いで出るようなセリフを言っているのです。

他で言うなら「どういうこと!?」「何これ!?」「はあ!?」とか、そういう感動詞に近いセリフですね。
「おい!!」とか「何やってんだ!!」とかもそうでしょうか。
いわゆる「なんでやねん!」も基本的にここに属していると考えます。(なんでやねんはもうちょっと意味合いが異なりますが)

特筆すべきは文字通りこれは「反応」なので、正確に言うならツッコミではないのですよ。
本記事に照らし合わせて言うならばきちんと『ただせ』ていないからです。
よって、読者感情・人間の生理的反応としては適している発言なのですが、ツッコミとしては単体でほとんど成立していないという、なんともチグハグでもどかしい手札です。

更にややこしいことに、いわゆる漫画作品はこの反応ツッコミが普通に使えるので、混同して小説でも使ってしまうことがあります。
私はボボボーボ・ボーボボがめちゃくちゃ好きで、ビュティのツッコミも大好きなのですが、ビュティのツッコミってこのパターンが多いんですよね。
でもあれはビュティ特有のあの表情込み、更にボーボボのキャラ特有の強すぎるボケがあるからこそ成立する、ボーボボにだけ許されたバランスです。
(更にビュティは反応以外のツッコミもさらりとこなしています)

それを「あ、これツッコミとして使えるんだ」と思ってしまうと落とし穴にハマり、反応ツッコミだけで終わらせてしまうラノベ主人公は数多くいましたね……。
なので使い時としては、必ず反応ツッコミをした後に①の説明ツッコミなどを入れて、複数のツッコミで構成するようにした方がいいでしょう。
「なんで!?」は確かに「なんで」なのですが、そこで終わらせるのはツッコミとしての妥協でしかないのです……。

よってツッコミ強度は最弱、私はほぼツッコミとは考えません。
(その辺の私の意識が甘かった賢勇者一巻はこの落ち度が散見されますが)

ただ、ツッコミ強度が弱いということはその分強いボケとの相性がいいので、例のような『電撃文庫編集部の住所が突然出てくる』というかなり強いボケに対して私はこの反応ツッコミを使っています。
(ビュティがこのツッコミを多用しても問題なく通用するのはボーボボってボケ側の強度が強すぎるからです)

どういうカードでも使い時、切り方があるので、別に反応ツッコミが悪いわけではないのですね。
ボケが強くないのにこの手札を無闇に切るからバランスが悪くなるのです。
そういうバランス感覚を養うと、ツッコミに対して理解が深まり、様々な方向からツッコミを考えることが……出来るんですかね?(無根拠)


③否定
ツッコミ強度:中~強


ニュアンスとしては②の反応に近いのですが、明確にボケを否定することによって、逆説的に肯定を生み出すという『ただし』があるので別項目として私は考えています。
これも例を見たら早いと思います。

「恥ずかしながら、中々思うように嫁っ子が見付かんねえべや……」
「ケツネタ先生ともあろう方ならば、女性はよりどりみどりだと思うのですがね」
「いやはや、嫁探しともなれば、オラも結構色々と好みがあっべよ~」
 やや恥ずかしそうに、ケツネタは頬を赤らめて素直に心情を吐露している。
 そうして今度はサヨナの方をじっと見つめながら、確かな声で告げた。
「――オラんとこ来ないか?」
「行かねーよ!!」

(賢勇者三巻 第十六話《種付けと弟子》より引用)

かなり前フリとなるボケが長いのですが、要は『変態のオッサンがサヨナへ求婚してくる』という状況を、サヨナがたった一言『行かねーよ』と否定することによって強めのツッコミとして機能しています。
もっと言うと、サヨナは変態に求愛されまくるというこの作品のお約束を踏まえた上でのネタでもありますが、お約束まで考えるともう説明しきれないのでこの辺はフィーリングで。。。(逃げ)

もしこのサヨナのツッコミが「なんで!?」という反応だとやっぱりおかしいですし、「イヤですよ!!」だとちょっとツッコミ強度が弱いです。
『嫁に来い』というニュアンスがあるセリフに対して『行かない』とはっきり真逆の否定をぶつけることによって、強く『ただせ』ているのですね。
ある意味対義語で遊んでいる、とも言えるかもしれません。

私はこの否定ツッコミを①の状況説明と同じぐらい多用するので、そういう意味ではかなり信頼の置けるツッコミです。
分かりやすいですし、短く的確になることが多くてテンポもいいので。
今更ですがツッコミはあまり長文化してはいけません
一応②で出た「なんでやねん」もこちらに属するべきツッコミなのですが、ちょっと否定としては意味合いの幅が広すぎる(汎用的過ぎる)ので、②であり③って感じですね。

問題点としては語気が強くなるのでキャラによっては使いにくい(基本敬語キャラのサヨナはこのツッコミをめったに使えないです)のと、ややワンパターンで単調になりがちなので短期間においそれと多用出来ないという部分でしょうか。
更に、中途半端な否定はほとんど②の反応と変わらないので、ツッコミとしての質はある意味一番ブレます。

特に一番多用される中途半端な否定は「やめろ」系ですね。
ボケの発言よりかは行為に対して使われるのですが、「おいやめろ!!」とだけ言うのは果たして否定なのか反応なのか分かりにくいですよね。
つまり「やめろ」単体はツッコミ強度が弱いのです。
ただ、否定の言葉としてはオーソドックスで、私もめちゃくちゃ使ってしまう……のですが、多少はヒネって入れるようにしています。

「お兄さんお兄さん~。ちょっとお時間いいですか~?」
「ババアァーッ!! 夜の副業をやめろォーッ!!」

(賢勇者三巻 第二十二話《大回転と弟子》より引用)

解説すると、『アーデルモーデル母が風俗ごっこ遊びに真剣に参加した上で呼び込みをしている』というボケを、息子側のアーデルモーデルが『やめろ』と否定のツッコミしています。
ヒネり、つまり私がひと手間加えているのは『夜の副業』というフレーズを入れていることですね。
これを入れることによって、単純な否定ではなく『たとえツッコミ』及び『状況説明』の側面を持つことになり、ツッコミの強さが上がります。
アーデルモーデル母のボケは基本的に弱い(可愛らしい)ので、アーデルモーデル側のツッコミ強度を上げても問題ありません。

逆にアーデルモーデル母が「お兄さんいい子いるよぉ! おっぱい揉み放題でっせえ!」みたいな、キャラにそぐわぬ強すぎるボケをした場合(やらないですけどね)、アーデルモーデルのツッコミは「やめろババア!!」で大丈夫です。バランスが取れているので。

このように否定は否定でも『●●はやめろ』みたいな一つ加えるだけで、かなりツッコミに色が出ます。
ツッコミって面白いなぁ、と私が思うのはこういう部分ですね。
裏を返せば、その辺りを意識せずに反射的な否定ばかりするとかなり単調になってしまう、という危険性もあるというわけですが。。。


④疑問
ツッコミ強度:弱~強


否定があるなら疑問もある。シンプルですよね。
もしギャグ小説をやるにあたって、ツッコミの技量が高いように見せたいのならば、私はこの疑問ツッコミを使いこなすことが重要だと考えます。
基本的にこのツッコミはテンションが低くなりがちで、普通にやるとテンションが高くなってしまう一般的なツッコミに対して真逆のアクセント、いわゆる『緩急をつける』ことに役立つからです。

ギャグ小説で重要なのは『波』で、大きく揺さぶったり小さく揺すったりして『波』を起こすわけですが、その際の『小さく揺さぶる』にあたって疑問ツッコミは非常に使えるカードです。
とりあえず例を見てみましょう。

「――他人の性経験語りを聞くことによって、小生は無から有を得る」
「童貞拗らせたら錬金術師の思想に行き着くのか……?」
「他人のそういう話を賢者の石か何かだと思ってるんですか!?」

(賢勇者三巻 第二十二話《大回転と弟子》より引用)

意外とこの掛け合いは色々と技巧を凝らしているのですが、とりあえず「他人の性経験を知りたい」というアーデルモーデルに対して、ツッコミ二人がそれぞれ疑問を呈したツッコミを入れています。
特にユージンが緩やかにツッコミを入れているので、やっぱり私はサヨナよりも彼の方が好きです(大胆な告白)
更に言うと『無から有』という部分に着目して『錬金術師の思想』『賢者の石』と、お題に沿った『たとえツッコミ』『状況説明』もしているので、中々に味わい深い掛け合いだと個人的には思いました(小並感)

疑問と言うからには語尾に『?』が付くことが多く(私は意図的につけない時もあります)、どちらかと言えば相手の状態や行為をやや冷めた感じで『ただす』ツッコミですね。
簡単なものだと「大丈夫か?」とか「●●ですよ?」とかがよく使われている印象です。ゆる~く掛け合いが進められると言えるでしょう。

また、否定と疑問の合せ技として、『!?』が語尾につくものも多いです。
(これまでの例でもそうでしたね)
どちらかと言うと私はこっちを多用するのですが、これは勢いがあるからですね。緩急が必要とはいえ、基本は『急』多めに作るほうがギャグ小説らしくなるので。

「まあ過程は別に良いじゃないか。因みにおれのシコルスキ抹殺における今日までの戦績は、2561戦中1勝2559敗1分けだよ」
「常人なら心が粉末になるぐらいの敗北数よそれ!?」
「暗黒時代全盛のベイスターズですら45勝してるんスよ!?」
「ていうかナカニダスさん1勝したのなら先生もう死んでません!?」

(賢勇者三巻 第十七話《ごま塩と弟子》より引用)

これとかボケ1に対してツッコミ3という、なんとも贅沢な掛け合いとなっています。
私がごま塩の面々をさっさと出したかったのは、ツッコミが出来るザラシアとリーフを確保したかったからなんですよね。
ゲストキャラは変態=ボケばかりで、ツッコミはサヨナとユージンが一巻の頃から主に担当しており、もうちょっとツッコミ幅が欲しかったので……。

まあそれはおいといて、これも『たとえツッコミ』『状況説明』『ツッコミボケ』などが盛り込まれています。
シンプルにナカニダスが負けすぎているので、ザラシア辺りに「負けすぎじゃない!?」or「負けすぎじゃない?」と言わせるだけでもOKなんですけど、ツッコミ役が三人いる状況を活かしたいので畳み掛けました。

このように、疑問ツッコミはかなり拡張性があり、緩急をつけることに使えますし、上手く言うようにも使えますし、ボケのように使うことも可能になります。
ツッコミ側の技量……つまり作者の技量がダイレクトに現れる箇所と言っても過言ではありません。
なのでこの疑問ツッコミを華麗に使いこなしている作者が居れば、その人のギャグの力量は確かなものだと言えます。
一方でその拡張性の高さは『=滑りやすさ』にも直結するのですが……まあ、滑ることをいちいち恐れてはギャグなんて書けませんからね。
この辺は気にしないようにしましょう(現実逃避)


⑤暴言
ツッコミ強度:強


読んで字の如く、暴言ツッコミです。
強すぎる否定とも言えるので、広義的には否定に分類されるのでしょうが、特に多用出来ないカードなので私は分けて考えています。
これも例を見れば一発で分かるでしょう。

「いや基本お前ずっと俯いてっから サヨ嬢の乳見る時だけだから顔上げたの」
 この人が何を言っているのか、今の僕には全く分からなかった。
ただ、どこかゴリラに似た人だなと、ぼんやりと僕は思った――
「殺すぞ!!」

(賢勇者三巻 第二十話《初恋と弟子》より引用)

(この小説は三人称視点なのに)一人称視点の我が強い地の文を操ってくるタツというキャラに対し、ナチュラルにゴリラ扱いされたユージンが怒りを露わにする場面です。
小説媒体及びメタが許容される本作でしか許されないネタで、個人的にこの話を私は滅茶苦茶気に入っているのですが、皆様も好きですよね(断定)

暴言ツッコミの利点は、とにかく分かりやすく力強いことにあります。
ツッコミ側のフラストレーションが溜まりまくっているからこそ、ズバッと相手のボケを問答無用で一刀両断するところに快感があるからですね。
ここぞ! というところで使うと、シンプルに笑ってしまいます。
ではボケを『ただし』ているかというと、全くそうではないのですが、ボケを根本から全部破壊するようなものなので、ある意味『ただし』が行われていると考えられます。

ただ、私は暴言ツッコミを基本的にはユージンが使い、サヨナはあまり使わない(三巻から全面解禁)ようにしていました。
これはやはりそのまんまキャラクター性によるもので、前述の通り敬語キャラのサヨナとは相性が悪いからです。
また、暴言である以上はツッコミ側にも不快な要素が含まれてしまい、少なくとも『相手のボケが一般的な許容量を超えている』時にしか使えません。

例えばサヨナは度重なるセクハラ発言をされた時に使うようにしており、ユージンはまあ……割と結構使いますね。ザラシアも結構使います。リーフくんはストレスが溜まると使っています。アーデルモーデルはクソザコなので母親か自分でも勝てそうな相手にしか使いません。
こんな感じでキャラごとにこの手札を切れるタイミングが異なります。

これは何でもかんでも「死ね」「殺すぞ」「ボケェ」とだけ使うと、それはもう暴言ツッコミではなく『暴言キャラ』の表現となるからですね。
ちょっとしたボケに対しては使わない方がベターで、それだけに使い所がかなり限られる手札だと考えましょう。
私は生来口が悪く(周知の事実)、ちょっと油断するとキャラにすぐ「死ね」だの「殺すぞ」だの言わせてしまうので、原稿を推敲をする時によく油断から出た暴言ツッコミは潰しています。
お上品な皆様には言うまでもないことでしょうが……気を付けましょうね★


⑥たとえツッコミ
ツッコミ強度:中~強


散々記事内で出た単語でありますが、現代におけるツッコミの花形とでも呼べる手札です。
一昔前に比べるとかなり重要度が増しており、そもそも『上手く例える』ということに関心が高まっているのかもしれません。
私もツイッターとかで誰かが上手いこと言っていたら思わず拍手を内心で送りますから。

効果としては非常に強く、何よりもまずツッコミで笑いを取ることが可能であり、読者が「おお」と思うこともあり、ツッコミ側のキャラも立つこともありと、利点しかありません。
ボケが弱いのならそのボケを食ってフォローすることが可能という、卵と鶏の立場を逆転させかねないぐらいに強力な札です。
普通に『ただす』のではなく、そこに比喩という知的な満足感を与えるという高等なツッコミなのですから、そのぐらいの効果があって然るべきでしょう。もし『たとえツッコミ』が得意という方は、是非ギャグ小説を書いてみて下さい。絶対うまくいきますよ。

ただ、やはり同時に最も難しいツッコミでもあります。
使い所とかそういう切り方の問題ではなく、それ以前に『浮かばない』という、根本的に手札が補充されない難しさですね。
ソシャゲで言うところのSSRカードとでも言いましょうか。
私はギャグを100個考えたら、その中でいい感じに浮かんだたとえツッコミは3~5個ぐらいしかありません。
『作家なんだから比喩出来るだろ』と思われるかもしれませんが、比喩能力に加えてジョークセンスまで問われるので、少なくとも私は滅茶苦茶苦手としています。(元々比喩も全然得意ではないです)

「と、ともかく、助けてくれ! プレイ以外で乳首を吸われるのはダメだ!!」
「プレイでは吸わせているということを匂わせなくとも良いのですが……。しかし、考えようによっては、そうやって揉まれ磨かれることによって君も成長するかもしれない」
「天然水か俺は!!」

(賢勇者三巻 第二十一話《天敵と弟子》より引用)

これは……良い例と悪い例が同時に出ている感じですね。
シコルスキの『揉まれ磨かれて成長』という部分に対してユージンが『天然水』という単語でたとえています。
天然水の成り立ちを知っている方なら、およそ何を言いたいかが分かると思います。
ただ、結構強引にこれを使っているのは否めないので、ちょっと不自然な会話かなと個人的には反省していますが……。

また、『たとえツッコミ』はボケの側面もはらんでしまう以上、メタやパロが関わると作りやすくなるという部分があります。
賢勇者はファンタジー小説なので、本来は『たとえツッコミ』を世界観的に作りにくい作品なのですが、、、

「ジーライフぅぅ!! 世界中の女が無条件で小生に股を開く魔法使ってよぉ~!!」
「性欲だけに特化したのび太くんかてめえは」

(賢勇者二巻 第十四話《ご新規様と弟子》より引用)

このように、例える対象が我々の現実世界に存在するものになっている以上、どうしてもパロやメタな側面が出てしまうのですね。
まあ賢勇者はその辺りガン無視しているのはお伝えしたとおりですが……。
逆に、そういうパロ・メタ知識があるとたとえツッコミは作りやすくなります。例え先が増えるから当然ですね。

最も作者側の技量が問われるカードであることは間違いなく、それだけに利点もあるのですが、問題点は残ります。
技量が問われる……つまり、出来・不出来がひと目に分かるからです。
疑問ツッコミと同じく、『滑りやすく冷めやすい』とでも言いますか。
強引にたとえツッコミをしたとして、それがあまりうまくハマってなかった場合、『こいつ上手いこと言おうとしてるけど全然ダメだな』となってしまいます。
そしてその『無理にうまいこと言おうとしてる感』というのは、読者側は鋭敏に感じ取るもので、こうなった途端にかなり読者は冷めてしまいます。

最高点を取りやすいカードにして、最低点も取りやすいカードと考えれば、まさにハイリスク・ハイリターン……ツッコミに果てはないと思わせてくれる、作者の技量と努力がどこまでも求められるカードと言えるでしょう。


最期

あー疲れた……多分他にもツッコミは分類可能で、自分の中にもまだ分類はあると思うのですが、パッと浮かんだのがこの六つなので、とりあえずベースとしてこれらをご紹介しました。
ツッコミボケとかやらずじまいでしたね……でもこれは応用にあたるのでもう今回はカットします(怠惰)
また、別にツッコミする際に明確に分類上のどれを使うか、と考えるのではなく、これらが活きるのは私は推敲の時だと思っています。
(もちろん書く際に考えられるのならそれに越したことはないです)

自分で自分の書いた面白いか面白くないかも分からないギャグ(私は自分のギャグで一切笑いません)を眺め、連続で同じ分類上にあるツッコミがあれば、どちらか片方を修正したり、ボケを活かすためにツッコミを弱めたり、逆にボケが弱いからツッコミをどうにか上位カードであるたとえツッコミに変えたりと、自分の脳内で選択肢を広げるイメージですね。
そういう細かいツッコミ意識が一つ一つのギャグに行き届いていったのが賢勇者二巻で、ほぼ完全に出来たのが賢勇者三巻なので、私は「賢勇者三巻が最高傑作です」と堂々と宣伝しています。
とはいえ反省点もまだまだ残っているので、それを踏まえたら次はもっともっと上手くやれるでしょう。
次なんてないんですけどね(白目)

作者側の傲慢かもしれませんが、笑いの意識が変わると内容にも確実に影響が出るのがギャグ小説です。
「不真面目なものを大真面目に作る」というのは、普段あまり気にしないものへ真正面に取り組むということで、それを全力で果たすことは中々に難しいことです。
辛い、苦しい、面白くない、楽しくない、ダサい、リターンがないなど、まあメリットなんてほぼ皆無なギャグ小説ですが、それを乗り越えた先にあるものは得難いものであると私は信じています。


でもそれで生まれたのがあのクソ寒い打ち切りギャグラノベなんでしょ!?!?!?!?wwwwwwww


……っていうリアルな現実がそこに待ち受けていますが、これは読者の方の受け取り方次第かなと思います。
「賢勇者はものすごく笑えるギャグラノベ」であるという認識も、「滅茶苦茶やってるだけの滑ってるラノベ」である認識も、どちらも正解で、全ては私の努力不足が招いている結果なのだと(たまに感想を拝見しては)受け止めています。
或いは前回と今回でご紹介したこの理論っぽい何かも、読む人にとっては当たり前過ぎてあくびが出るかも知れませんし、逆に目からウロコかもしれません。

とにかく令和の世の中にギャグ小説というものはほぼ生まれず、では生み出すにはどうするかというと、少しでも挑戦した人間が何かを遺し、まだ見ぬ若い方々へ託すしかない……そう思ってこれらの記事を作りました。
断言しますが、私は敗北者です。
結果が全ての世界で結果を遺すことは出来ませんでした。
賢勇者は”電”で失敗作扱いです。●したい(本音)

よって、何を言うかではなく誰が言うか理論で言うなら、私が述べていることは戯言にも満たないです。
しかし、ギャグ小説がもっと増えて欲しいという気持ちだけは確かなので、もし今回の記事を最後まで読んで『やってみよう』という方がいらっしゃったら、是非挑戦してみて下さい。
私は草葉の陰からそれをひっそりと応援しております……。


今回は以上です。
過去最大の長文記事となりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。




<やり残したこと>
・オチの分類
・基礎をすっ飛ばした応用テク集

……ぐらいかなぁ?まあやる気があればまたやります★(多分やらない)

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