読書感想文Ⅱ ~性癖の押し付け~
前置き
皆様初めまして。ディスポーザブル作家の有象 利路と申します。
今回はこの……開発者がプライベートで間違いなく使っていないことだけは確信を持って言える悪辣ツールことnoteにて、性癖を押し付けつつ読書感想文をつらつらと書いていこうと思います。
ん? 読書感想文はともかく性癖を押し付け……?
と思われた方も居るでしょう。
正直読んだ本の量に対して感想を書く時間的・精神的余裕があまりにもないため、テーマを絞った上でつらつらとクソみてぇな自論を述べた後に感想を擦っていくスタイルにしました!!
果たしてそれがどう功を奏するのか!?
奏さない!!(断定)
というのはさて置き、性癖とは実は『性的嗜好』という意味合いを持ちません。誤用と言うにはあまりにメジャーな使い方をされていますし、実際私もそういう意味合いで使うので、なんとも言えないのですが。
本来性癖とは『人間の心理・行動上に現出する癖や偏り、嗜好、傾向、性格のこと(Google調べ)』を指します。
じゃあ一体何が言いてェんだテメェはって話ですが、まあつまりは『これすこ』を語るってだけですわ!!!(いつもの)
友情論
そもそもの話なのですが、私は『友情』というものが好きです。
この場合の友情とは限定的に『同性間のもの』とさせてください。異性間でも友情は勿論成り立つと思うのですが、一般的に友情と言えば同性同士の関係性の深さを指す言葉ということで……。
そしてあくまで今回の持論はほとんどライトノベルという媒体に対して行っているとお考えいただければと……。
さて、ライトノベルは基本的に青少年向けの読み物であり、そしてライトノベルはいわゆる男主人公による美少女ヒロインとの恋情が主題となることが多いです。(諸説あり)
もちろんそれはそれで私は大好物なのですが、しかしながら世にあるライトノベルの八割ぐらいはそんな感じだと逆に食傷気味にならなくもない……こともないですかね? え? 俺だけ!?
まあ別に自分だけだろうと構わずにこの記事は進めます。読者の方より理解者を募るのではなく、読者の方を理解者に作り変えることが今回の目的です(歪み)
ではなぜ友情が好きなのか? という話になるのですが、小難しい言い回しをすると『プロセスの到達点が恋情よりも短い』『気負わない』『理解という美点の極致』の三つを挙げさせて頂きます。
こうやって最初にわけわかんねえことを言ってから細かい解説を入れていくと、書き手の頭が良いように見えるらしいですからね!(低知能露見)
1つ目の『プロセスの到達点が恋情よりも短い』ですが、つまるところこれは『道程にスケベがおまへん』ということです(台無し)
スケベ……スケベとはなんぞや? そらスケベや! と言うとアホを丸出すことになるので、定義付けするとハグ以降の全部とさせて頂きます。
どうしても恋情というのは心の繋がり以外に肉体的な繋がりというものが重要になり、プラトニックを謳いながらもそれだけでは――作劇上の都合もありますが――限界があります。
ラブコメ作品においてお色気シーンが皆無ってなると、やっぱりこう……物寂しいじゃないですか。
何よりクライマックスでキスの一つもせずに「イェア!」とか言ってお互いサムズアップするだけで終わるようなラブコメとか、最終的な作品評価が『金と時間返せ』になりかねないですよ!(極論)
そういうわけで、恋情には肉体的な繋がりが重要になってきます。
(あくまで持論なので、もちろんプラトニックオンリーで魅せることも普通に可能とは思います)
一方で友情は特に同性間であればそのような肉体的な繋がりを求める必要がなく、重要となるのは相手との関係性であり心の繋がりとなってきます。
ある意味では真にプラトニックな関係とは友情にある、と私は考えているのかもしれません。
世の中は大体KAD●KAWAのように薄汚いので、出来れば美しいものを創作の中では見ていたいからこそですね(唐突に喧嘩を売る)
何より肉体的な繋がりを表現しない以上は心の繋がりというものを早期に見せることになります。
お色気シーンが必要ないのでスピーディーってわけですね。
心まで早漏なんですね私は(恥)
なので私が言う友情とは、同性間における恋情を描くBL・百合作品ではない……ということもご周知ください。
プロセスの到達点が恋情よりも短いが故に、様々な見せ方が可能である!
つまりこれは……書き手目線の話か!?(今更気付く)
まあいいや……
次ですが、『気負わない』というのも友情において私のすこポイント、通称すこPがあります。
過剰に相手を気遣うわけでもなく、かといって突き放すわけでもなく、関係性の中に生まれた適切な距離感のまま付き合いが続く、という部分ですね。
仲良くなってやる! という物語上必要なエネルギーが逆にあんまり要らない、という省エネな部分がエコ派の私は気に入っているのでしょう。
でもエコバッグは持ってません(反証)
無論これは恋情でもありがちで、ラブコメを例に出すなら『家族ぐるみで幼少期から付き合いがあったので妹的な目でしか見れない幼馴染』的なアレです。これも多分気負いはないのでしょう。
しかし私は申し訳ないですがこれに対しては『違う』と言わせて頂きます。
だってヤるやろ!!?!?!?!?!?!?!?!?(オッサン)
すみません……ちょっと汚い言葉遣いになってしまいました。
適切な単語を用いて解説します。
いずれヤるのでは?(無反省)
仮に! 仮に二人の間にはそのような感情がない、と作中で明言されていたとしても!
恐らくその幼馴染は美少女で! 主人公は性欲の人生におけるピーク期である高校生時分のはず!
そんな幼馴染が身近に居たとしたら!
もうヤっとるやろ(断定)
と、クッソ悪し様な邪推をしてしまうのです。
お前ラブコメ嫌いなのか? と言われそうですが好きですよ。
ただそう思ってしまうので、友情が成り立たないのではないか? と考えてしまうのです。その先にあるのは恋情、別物なのです。
一方で男同士、女同士ならそういうこともないでしょう。後者はラノベにおいてはまあ……ジャンルが変わる可能性がありますが。
学校が終わり、家に返ったら部屋で下着姿の美少女が寝転がっているのと、パンイチの野郎が寝転がっているのでは、やはり危惧の度合い(意味深)が違ってきますからね。
私は後者に面白みをより見出す性質なのかもしれないですね。
因みにラノベ業界においては後者みたいなことを(権力のない作家が)すると、ボツを叩き付けられます。
おかしい業界すねえ(責任転嫁)
最後になりますが、『理解という美点の極致』ですね。
愛と言えば=理解ですが、あれは親子愛です。今回は割愛します。
相手のことを理解する、というのは物語においてとても重要なことであり、理解なくしてドラマなし、と誰かが言うほどに大事なファクターです。(誰かは知らない)
それが敵であろうが味方であろうが、理解があるからこそ物語は面白みを増すのですね。
故に理解とは最も美しいと私は考えています。美点の極致は理解にある!!
まあそういうの書けないんですけど!!!!!(低技量)
そして今回は友情にフォーカスを当てているので、友情における理解とは? を考えていきます。
立場が異なれば理解の中身も違ってくるので、それで言うならば主人公、ヒロイン、主人公の友達という三つで見ていきましょう。
ヒロインがどっかに行ったとして(クソ雑)、それを主人公が追うかどうか迷っている……のを、友達が後押しする、というシチュエーションがあるとします。
多分作劇上のドラマは主人公とヒロインの関係性にあるのですが、私が「ええやん……」と思うのは背中を押した友達なわけですね。
もしこの友達がサブヒロインなら単純に「可哀想><;」と思ってしまうので、この友達とはやはり同性であることが望ましいです。
ドラマ性はサブヒロインの方が上なんですけどね……まあ持論を述べるのとか公開オナニー以外のなにものでもないので別に構わないでしょう。
理解の度合いで言うなら男のことは男が、女のことは女が分かると言いますが、それも含まれているのかもしれません。
男はどう足掻いても出産の痛みなんて分からないですし、女性の方はカイジの沼編で『限りなく続く射精のような感覚』って表現を見ても(言いたいことは分かっても)完全な理解は出来ないと思います。
あ、この比喩好きなんですよ……やばいですよこの比喩は(博徒)
まとめると、真の理解とは同性間でしか果たせない……と書くと妙に切なくなるので、それは否定も肯定もしませんが、同性だからこそきちんと分かるという部分は存在しているでしょう。
そういう関係性を面白おかしく書いている作品を私は常々求めているわけですね。
ちょっと主題とはズレますが、BL・百合作品が成立するのもその辺りに理由があると思っています。
じゃあ自著の話をします♡(ド唐突)
私は今の所2シリーズ出版しておりまして、この記事を読んだ方は多分ご存知……とは思いますが一応説明しておきますとこの記事をご参照下さい!!!
ここまで書くからには、私は原則として作中で友情というものを意識して書いています。
流石にすこすこ言うだけで何もやってないのはプロですらないと思うので……。
というわけでそのへんの解説を自分でやりますぞ!(恥も外聞もない)
デビュー作『青春覇権』においては、阿仁田部長(主人公)と坂井くん(語り部)の関係性を地味に重要視していました。
あ、勘違いされがちですが、主人公は坂井くんではありません。阿仁田です。
基本的に阿仁田は友達がおらず、同性の友達と呼べる存在が後輩の坂井くんのみという、性別を逆にしたらヒロインにしかならない男なのですが(ヒロインの岩根が同じ属性ですけど)、それだけに坂井くんのことを地味に可愛がっている……というのを書きました。
いいですよね、先輩がぼっちで自分しか友達居ないっていうの……。
異性だとラブコメですが、これが同性だとまた違った味わいが自分の中にありました。むしろ阿仁田が可愛く見えるのですね。
そういうわけで腐れ電●文庫から忘れた頃に叩き付けられた選評でも阿仁田がやたら褒められてたこともあり、自分でも彼のキャラクターはかなり気に入っているので、賢勇者二巻でネタにするという行為に及びました(歪んだ愛)
ただ、本作自体は割とストレートな青春学園日常ミステリを書いたつもりなので、あくまでエッセンスの一つとして阿仁田と坂井の関係性は留めています。
自分の性癖をどこまで押し付けて良いのか? というのは書く時に割と考える問題であり、本筋を掻き消すようならそれは押し売りになるので、そんな判断が制作時あったりなかったりします。
当たり前ですが坂井・阿仁田だけで書いたら絶対最終選考まで行ってないですからね……。受賞? なんのことだよ(癒えない傷)
一方で二作目である『賢勇者』ですが、これはもう己の趣味を全開にした部分があり、(一応)主人公であるシコルスキ、その幼馴染1のユージン、幼馴染2のアーデルモーデルの関係性はラノベの慣例をファックしたものとなります。なんて言い回しだ……。
本作は多分、今の所現役で出版されているラノベの中で一番自由というか、野放図にやらせてもらっているので、ギリギリこれが許されました。
逆に言うとギャグ以外のジャンルだとこの設定はボツ食らっていたと思います。酷い世界だろう ここは!?(天の聖杯)
とにかくヒロイン(笑)であるサヨナにラノベにおける全部のお約束を引っ被せたので、それ以外は男を前に押し出す形で通しています。
主人公の幼馴染が男二人とか、私は大好物なんですが、ラノベ読者が求めていないものということは知ってますよそりゃあ(開き直り)
ですが!!
基本何考えてるか分からないけど優しい男であるシコルスキと、圧倒的暴力性で作中ツッコミの中核を担うユージン、その二人を振り回す形でダメ人間化しているアーデルモーデルという関係性は、ギャグをやる上でこの上なく便利であり、何より書いていてとても楽しいです。
そこにサヨナを混ぜた、いわゆるアーデルモーデル回は、ギャグを書くにあたって毎回ヒィヒィ言っている私が唯一(比較的)楽に書ける回になっています。
ていうか気を抜くと全編アーデルモーデル回or全編ユージンが登場する、となるので、この二人が私のモチベの全てを担っていますね……。
因みにプロットっぽいものを作る時、真っ先に考えるのは『その話にユージンが出るか否か』です。私は彼のツッコミ依存症になっています。
(サヨナはツッコミ力がやや足りないところがある)
全部言うとそれはそれでアレですが、アーデルモーデル回で特にシコルスキとユージンの精神年齢が低下していたり、ボケ・ツッコミの役割がズレたりするのは、(読み手を退屈させない意図もありますが)彼らが友達同士じゃれついているからですね。ヒロインそっちのけで……
その辺を意識して読むと、また違った楽しみ方があるかもしれません。
え? 読んだことない? じゃあ買って♡♡♡♡(Amazon召喚)
三巻(最終巻)も好き放題やる以上は自分の好みでやるので、どういう男が出て来るのか楽しみにしておいてください♡
私は幸いにして作品を書く時、ほとんど全部好きにやらせてもらっているので、売れっ子じゃなくて逆に良かったです♡(売れっ子は好きにやれない理論を勝手に打ち立てる)
完全新作含めて東京五輪までには出したいですねえ♡
えー、死ぬほど前置きが長くなりましたが、今回はそのようなライトノベルにおいては比較的レアな『友情』をメインとし、かつ私が「すここここ~」ってなった作品の感想を述べたいと思います!!!!!!!!!!!!!!
こんな長い前置きあるか!?!?!?!?
あるんだよ俺の記事では!!!!!
みんなもレッツ友情!!
ラブコメだけがラノベじゃないぜ!?!?
※万が一当該作品の作者様が当記事を読んで気分を害した場合は、TwitterのDMでその旨をお伝え下さい。迅速に削除します。
※なるべくネタバレしませんが微妙にネタバレするのでご注意を……
一本目
※画像から電撃文庫様の公式ページに飛びます(Amazonの画像は画質が……)
あらすじは以下です。(今回から公式より引用することにしました)
同級生とナイショの同居、発端は――漫画制作? ガールズ青春グラフティ!
はじめまして! わたしは、池野彗花。この春から、高校一年生です。お母さんが働いてるから、おうちの中のことと弟・妹のお世話はわたしの仕事なんだ。
今一番気になっているのは隣の席の庭上蓮さんのコト。クラスじゃ不良だヤンキーだって怖がられてるけど、なーんかそうは思えなくて……。
だけどある日、偶然彼女の秘密を知って一緒に住むことになっちゃって?!「誰にもアタシが漫画描いてるってバラすなよ。バラしたらコロス」
わたしの家を作業場にして、新人賞を目指して頑張る彼女を、ささやかながら応援してます。ちょっぴり怖いけど、悪い人じゃないって知ってるから。
そんなこんなで、わたしとあの娘のナイショな青春グラフティ、はじまります!
珍しく自レーベルからではないか
と思われるかもしれませんが、すみません今回の読書感想文は全部電撃文庫からです!!!!!!
やっべえなコイツ媚売ってんのか? って話ですが、そうではなく……やっぱ何だかんだ言って電撃文庫は色々あるんですよね。
バラエティ色豊かなのは、電撃文庫の確かな強みだと思います。
アンタのこと嫌いだけどそういうとこは好き……/// って言ってしまうビクンビクン
でも次回の読書感想文は多分電撃文庫全排除するので許して下さい><
という前置きはさておき、2019年6月8日に発刊された、世津路 章先生著『スイレン・グラフティ わたしとあの娘のナイショの同居』を一本目に取り上げとうございます。
まず先んじて本作において申し上げたいのは
百合作品ではない
ということです!!
いや、もしかしたら世津路先生はそう思って書かれたのかもしれないですし、商業上の区分も百合ラノベとして出している可能性も無きにしもあらずですが、しかしながら読んだ上の私の感想は「これは友への情じゃな?」というものでした。
女性同士の友情ラノベという位置付けで私は今回取り上げています。
(百合が嫌いというわけではないですよ+百合の定義も色々あるので細かいことは気にしないでください)
因みに担当は私と同じ阿南さんだそうです。
私は己の著作が発売される月に出る同レーベルの新規作品は基本的に全部目を通すようにしていますが、奇しくも本作は『賢勇者』一巻と同じ月に発売されています。これはもう運命じゃな?(因縁をつける)
そんな個人的サイドストーリーばっかり言っても仕方がないので本編について触れたいと思うのですが、
丁 寧
という言葉に集約されました(新宝島)
私がクッソ雑な性分なので尚更そう思うのですけども……。
本作は2020年7月現在で二巻まで刊行されておりますが、今回取り上げた一巻も続編の二巻もとても丁寧です。
ほんだら何が丁寧やねんワレ、と言われそうなのでちゃんと説明しますが、『キャラクターとの距離感』『描写』『展開』の三つでしょうか。
この三つは物語を構成する上で大事な三要素なのですが、私含む多くの作家は恐らくそこに加えて『ドラマ性』を重視しています(多分)
それでいうと、これは決して罵詈雑言の類ではないのでご留意頂きたいのですが、本作はきっと地味、或いは地道という言葉が似合うのだと思います。
二度言いますが罵倒しているわけではありません。
本作に登場する主役二人、彗花ちゃんと蓮姉貴(陰キャはヤンキーに弱い)は本当の意味でどこにでも居そうな女子高生であり、極めて突出した才能もなければ、物語的に過剰なドラマに巻き込まれるということもないのですね。
もちろんキャラ付けという意味では個性的なのですが、それでも別段弾けたような方々ではありません。
死ぬほど良い子達ですけどね(重要)
二人は最初から仲が良いわけでもなく、些細なきっかけを元に出会い、徐々に互いのことを理解して友情を築いていく……というプロセスを丁寧に描かれているのです。
そしてそのプロセスに派手なイベントがない!!
主人公補正というものも特にない!!
大体は我々の存在する現実世界で起こりうる範囲内のイベントをもって、互いの距離感を良い感じなところへ進めていくのです!!
これはむしろ私からすれば目からウロコどころか逆鱗であり(意味不明)、ひたすら私みたいな才なき野郎は「ああああどうすれば面白くなるんだ」と考えた結果、ハチャメチャな展開やら設定やら何やらで読者を引き込もうと腐心するわけなのですが、別にそれらを使わなくても丁寧にやれば問題ないのである、ということなのです。
あ、今更ですが一応私も書き手なので、感想は書き手目線になりがちなのは多分前回の読書感想文でお気付きかと思います。
それを成立させるには、細かい心情描写とか生活描写が大事になってくるのですが、これもやっぱり私には出来ないことなのですね。
特に私は食に関心がないので、女子高生が料理を作る描写とか絶対に手抜きになるか、そもそも別のアプローチをするか、書くにしてもクックパッドを調べまくることになると思います。
そしてそれでもし自分が書いたとしたら、力が入りすぎていて不自然になってしまうことでしょう……。
絶対女子高生なのにプロの料理人みたいな真似をするぞ(恐怖)
という意味でも本作は料理が作中の一つの大きなファクターになるのですが、それが自然な様で描かれています。
私達は今日を生きて明日も生きるわけですが、しかしどうしてもライトノベルというものはその日々を飛ばしてしまう……物語上どうでもいい場面を『あったこと』としてスキップしてしまいがちですが、本作は積み木のようにコツコツと日常が積み重なっていきます。
自分ならば絶対にスキップするような箇所も、きちんと描けば物語として成立するのは「ええんや!!?」と感じました(謎感性)
というわけで読んだら心がほのぼのしますし、読み進めるうちに彼女達を応援してしまうこと請け合いでしょう。
「物語」というものはあらゆる事象において成立するのです!
あっ……あと私は蓮姉貴が好きです(陰キャはヤンキーに弱い)
立派なギャグ漫画家になってほしい(手伝いたい)
以下完全に余談ですが、実は私は世津路先生からお手紙を頂いておりまして、なんと便箋三枚に賢勇者への熱い想いが書き綴られていたのですが、当時二巻制作途中で死ぬほどモチベが下がっていた時期だったので、とても励みになりました。
改めてここでお礼を申し上げます!!!!
ありがとうございました!!!!!!!!
二本目
※画像から電撃文庫様の公式ページに飛びます。
あらすじは以下です。
冥界の荒事屋とイカれた聖職者のアクションエンタメ!
イカしたDJが今回のお話を大紹介ダ!
ミソギ、死者。嫌いなものは聖職者。犯罪亡者をぶっ飛ばし、地獄の閻魔に引き渡す荒事屋にして……シスコン(妹)!
アッシュ、聖職者。嫌いなものは死者。聖なる銃をぶっ放し、死者を殺しまくる某機関の最終兵器にして……シスコン(姉)!!
こんなチョイとオカしな二人が、何の因果か亡者の街『東凶』で、「魂」に効くヤバーいおくすりを大捜索! 聖職者嫌いの死者と死者嫌いの神父が!? ハッ、まったく上手くいく気がしてこないね!
しっかーし! 困ったことにこいつら実力は折り紙付き。おいおい頼むから『東凶』を壊滅させちまったりすんなよ!? 電撃小説大賞《大賞》受賞作家・九岡望が贈る、ダークヒーロー・アクション!
二本目は 2019年11月9日発刊、九岡 望先生著『地獄に祈れ。天に堕ちろ。』です。
さて、皆様は『エスケヱプ・スピヰド』という作品をご存知ですか?
まさか知らないわけないので説明はしませんが(確固たる意志)『エスケヱプ・スピヰド』は巷に於いては
ほんの数千年前に発刊されていたら聖書になっていた
と噂されている作品であります。ほんとだよ。
そんなラノベ界の聖書の創造者たる九岡先生の新刊が本作ですね。
やはりこの小説界隈というのは作家買いというものがありまして、自分もいずれは作家名だけで買ってもらえるような作家になりたいのぅ、と思いつつも、九岡先生の新刊なので発売日に秒で買ったんですけども、
汁が出た
ということを報告させて頂きます……。(どこから出た汁かは不明)
これはもう読まないと分からないのですが、B級映画的なノリでストーリーがぐんぐん進み、熱いバトルを経てクライマックスを迎えるという、構成で言えば恐らくシンプルなものとなっています。
(無論そのシンプルさを成立させるには恐ろしいレベルの技量と才能が必要なのは言うまでもないですね)
読み終わった時にあまりにももっと読みたいので「あれ? これページ千切れてんのか?」と本気で思いました。
製本ミスで電撃文庫を訴えようと思った(敗訴)
実際はきっちりと”ケリ”をつけて終わっているので、読後感も抜群であることは先に申し上げておきます。
さて、いきなりですが皆様は少年漫画の金字塔たる週刊少年ジャンプの三原則をご存知ですか?
そう(話を聞かない)『友情』『努力』『勝利』ですね。
今回の感想文はその中においては『友情』というものにフォーカスを当てているのですが、そもそも少年漫画のエッセンスというものがライトノベルにはやや少ない――かどうかは分かりませんが個人的に――と思っています。
もちろん無いわけではないですが、しかしそこにはどうしても美少女というノイズが混ざってしまうのです。
※この場合のノイズとは少年漫画の原則に照らし合わせた上でのノイズ扱いです
やっぱりこう、ドラゴンボールなら最終的にはフリーザやらセルやらと悟空や悟飯が殴り合うからこそではないですか。
でもラノベは基本的にフリーザ戦とセル戦でブルマが最終盤まで大活躍しがち……って言ったら各方面からめっちゃ怒られそうですけど、何かそんな感じがしません?????? ぼくだけか??????
無論それが悪いわけではなく、あくまでラノベでそのような男臭い少年漫画展開ってあんま見ないよなぁ、という一例です。
しかし本作は違う!!!!
ミソギとアッシュというダブル男主人公が最初から最後までドンパチやるのです!!!
一方でヒロインである三途川&フィリスちゃんに出番がないわけではなく、彼女達の役割は別で確保しつつ、やっぱ血飛沫あげながら死線を越えるのは野郎共が担当するわけですね。
とはいえミソギとアッシュは反りが合わず、ほとんど全編通して反目し合っています。
読み終わった段階でこの二人の間に友情があるか? と問われれば「ほぼ皆無」です。友達って間柄じゃないですね彼らは。
あれ? じゃあお前『友情』云々の話と逸れるやんけボケェ!!!!! となりますが、ちょっと待ってくれ!!!!!!
そもそも『めちゃくちゃ仲良し』だけが友情の在り方ではないのです。
そう、私は前項にて『理解』という部分に美を見出していました。
ミソギ&アッシュにはその理解があったのです。
お互いが戦力として使える、という意味での理解が……!!!!!
二人それぞれに目的があり、その目的は終盤で合致するので共闘へ至るわけですが、互いが互いを戦力として見ているという意味では理解がなされています。
いや、むしろ彼らにおける理解とはこれで充分だと思いました。
相手の血液型とか誕生日とか趣味とか性癖とか、そんなもんまるで知らんけど敵をぶちのめす力量だけはあるから問題ねえぜ!!!!!!
という感じですね……。これもまた理解なので友情、はい証明完了!! AED!!!!!(自動体外式除細動器)
今更ですが私は少年漫画大好き人間なので、もうラノベでそんなんやられたら大好物になってしまうことは避けられないのです。
今は構図としてのすこPを述べましたが、展開としてもラストの宗旨変え(めっちゃ遠回しな婉曲的表現)は熱くなりました。
相手の武器を使う、っていいですよね……。
聖書を作られた方はやはり違う(崇拝)
あっ そうだ
二巻が2020年7月10日発売なんですって~~~~!!!!!
買う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
以下は余談ですが、本作の担当は私と同じ土屋さんです(またか)
その中で九岡先生の話を土屋さんとする機会があって、「年末の忘年会に九岡先生が来るよ」と聞いた私は本気で「サイン色紙持っていっていいですか????」って訊いたら「駄目」と言われたことを思い出します。
じゃあ何のために作家になったんだよ俺は!?!?!?
ってなりました(今も何のためになったのかは不明)
因みに私はコミュ障なので、九岡先生を年末の忘年会でお見かけはしたのですが、緊張で一切話し掛けられませんでした。
恋する乙女の気持ちが分かりましたね……(今更)
三本目
※画像から電撃文庫様の特設ページ(しゅごい)に飛びます。
あらすじは以下です。
飛び出そう、この世界を。知恵、勇気そして大切なともだちの想いとともに。
《フウ》――最下層の孤独少女。
友は小鳥のアサと、ジャンク屋の片隅で見つけた、古いラジオのみ。
《カザクラ》――マイペースな腹ぺこガール。
出会った瞬間からフウを「お兄ちゃん」と慕い、陽気な笑顔でつきまとってくる。
そんな二人が出会ったここは、世界にただ一つ残るヒトの国。異形の怪物たちが支配する果てなき砂漠の真ん中で、ヒトビトは日々の貧苦を喜びとし、神の使いたる王のために生きねばならない――。
だが、彼女たちが知る世界は、全部大ウソだった。
たくさんの知恵と一握りの勇気を胸に。今、《世界一ヘヴィな脱出劇》が始まる。
第26回電撃小説大賞《銀賞》受賞作。
風の名を持つ、二人の少女の物語。
三本目は 2020年3月10日発刊、 陸道 烈夏先生著『こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~』です。
第26回電撃大賞<銀賞>受賞作!!
それはつまり「俺は尖っていますよ」という暗喩に他ならない!!(多分)
この年は大賞作品の声優ラジオ含めてラジオがテーマとなるものが二作品受賞し、更にどちらもメインが女性二人のコンビものという珍しい年でしたね。
じゃあどっちも百合ものなのか? って言われるとどちらも違ったのですが、今回は本作を取り上げました。
なぜかって?
野球が……好きだから……
って言うと意味不明な語弊を与えるかと思いますが、やはりこう、パロディ(というとやはり語弊がありますが)の元ネタが分かると一定の快楽を読者に与えるというのは、パロディを多用する作品を書いている身の上からすればその通りだということは分かっています。
そしていざ己が読者に回った場合、本作に込められている「特定の西の民以外誰が分かるのか」という小ネタに私は特定の西の民なのでニヤニヤしていました。
また、私は作中から感じられる筆者の熱量というものを割と重要視するタイプの読者なので、陸道先生は本気でABCラジオ好きなんだな……と感服しました。
なので私の後輩に本作を買わせる際(気に入った作品は身内に大体布教して買わせるタイプ)「世界の盗塁王が出て来るから買え」って言っておきました。
もっともそれらはあくまで本筋ではない要素であり、分かる人さえ分かればいいというスタンスだと思います。
私もパロディネタを使う時は『誰でも分かりそうなメジャーなもの』と『自分がニヤニヤ出来ればいいもの』で2つに分けて考えています。
ラノベだと前者が絶対に重要なのですが、んなもん知らんわ精神で後者を採択し続けています!!(フォーエバーペタジーニ選手)
それはさておき、本作は主人公であるフウと相棒のカザクラによるディストピアからの脱出劇です。
では私はフウとカザクラのどちらが好きなのか!?!?
サミヤです(陰キャは女戦士に弱い)
サブタイの『少女たち』はあくまでフウとカザクラのことと思わせておいて、実際は中盤以降サミヤ姉貴が仲間入りするので、女三人の逃避行道中というのが正しいのかもしれません。
とはいえ主だった友情というのはフウとカザクラの間にあるので、まあつまりは箱推しすりゃいいんだよ(強引)
ただちょっと本作はネタバレに触れないよう感想を書くのがとても難しいです……ラジオというギミックが完全に読者の想定を超えて使われるので、もう読んでくれとしか言いようがない(いつもの)
第26回の受賞作の中だと私は本作が一番読後感良かったです。(大体いいんですけどね)
でもまだ二人の旅は続きそう……。
カザクラがフウを「お兄ちゃん」と呼ぶのは多分過去に根ざす何かがあると踏んでいるので、なので続刊はその辺りお願いシャス!(続刊があるかは分からないですが……)
じゃあ以下余談となるのですが(早)
本作の担当はまたもや土屋氏!!
何だオイお前己の担当の作品ばっか挙げてんのか? と思われそうですが、それは大いなる誤解であり、何か私の担当二人の作品は私の琴線によく触れるんですよ……。波長が合うんですかね……?
なのでこの前の打ち合わせで二人には直接「こわれたせかい」及び「豚レバー(阿南氏担当)」の感想を口頭で伝えたので、両先生方は二人から又聞きしておいて頂ければと……(斜め上の手抜き)
口頭ならネタバレ気にしないでいいですからね!
陸道先生はあとがきにもあるように江越大賀選手のファンだそうです。
※江越大賀選手=阪神タイガース在籍の4ツールプレイヤー(外野手) 打てば飛び、走れば塁を駆け抜け、守れば鉄壁、投げれば強肩という潜在能力に優れた選手 得意技は空振り三振
しかし担当にもかかわらず土屋さんが江越選手のことを知らないと言っていたので、そんなんで担当作家とのコミュニケーションが務まるかオォン?と思い、私の方から教えておきました(私信)
阿南の方が江越選手でググった結果「打率がやべえ……」って呟いていたのが忘れられないです。
当たれば飛ぶからよ……。当たんねえだけで……。
本作の続きも読みたいですが、陸道先生には野球小説も書いて欲しい……。
ああこうやってレーベルを背負う方が生まれていくんやな、って……と感じたので、自分がもうロートルになったような気分です。
(大体受賞作読むとそう思ってしまう)
終わりに
やばい……まだまだ大量に感想書きたいやつがあるのに全く生産力が追い付かない……。※現段階で約13000字
というわけで今回はここまでにしとうございます……。
男の友情ならビスコもやりたかったんですけどね……また今度……。
とりあえず私は電撃文庫に対して簡単ではない感情(意味深)を抱いていますが、何だかんだで良い作品を定期的に排出するレーベルだとも思っています。挑戦心を忘れない王者の風格がありますね!
まあ私にあんなの書かせるぐらいなので編集部に恥知らずが多いレーベルなんでしょう(大暴言)
私が紹介したのは電撃文庫から毎月出ている様々なラノベのごく一部であり、もっともっとたくさんの作品があります。
「ラノベって何読めばええんや」と思う方は、とりあえず本屋でラノベコーナーの電撃文庫の棚から適当に一冊抜くだけで間違いはないですよ!!
そしてそのタイトルが『賢勇者』って書いてあったらもう圧倒的大正解でしょうねえ!!(返品案件)
今回は以上です……
お読み頂きありがとうございました!
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