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【仕事の経歴】出版営業時代vol.1

飛び込み営業が最初の仕事

1999年4月。僕は神奈川県の本厚木にいた。当時、テレビCMもしていた某有名出版社に入社。配属先が本厚木だった。

学生時代に慣れ親しんだ「競馬の記者になりたい」という単純すぎる思いから、出版社を就職先に選んだ。いま考えると安易だった(就職氷河期と言われていた時期でもあった)。まだインターネットが発達していなかったから就職情報も限られていたし、自己分析も適当だった。

入ってみて、出版社とは名ばかりで、結局の仕事は学習教材の訪問販売(実際は頑張れば出版部にもいけたと思うけど、当時はそう思えなかった)。僕はその事実を突きつけられて、異国の地で愕然とした。これからどうなるんだろうって。。。

マーカーで記された地図の記録

毎日、会社に行き、そこでその日に訪問する地図を受け取る。地図には子どもがいるであろう家がマーカーで記されている。先輩が前回周った記録が、丁寧に記されている。いま思うと、おそろしく良くできたシステムだった。

車に乗り込み、一人ひとり、各拠点で下車。地図と教材がたっぷり入った重いリュックを背負い、恐る恐る地図に書いてある家のピンポンを押す。今ほど個人情報、個人情報と言われていない時代だったとは言え、当然楽しい行為ではなかった。

新リストの目印は、子ども用の自転車

街を歩きながら、新たな候補地を書き込むのも上司から明確な業務として指令を受けていた。次回訪問する際に、使用するためだ。

どうやって見分けるのか? 目印は子ども用の自転車だった。いまでも、町を歩いていて小さな自転車を目にすると、当時が思い起こされる。トラウマなのか、懐かしい思い出なのか、自分では判断がつかない(笑。

決して忘れない新卒の記憶

「こんにちは、●●出版の都丸です」とインターホン越しに語りかける。入社前の合宿(監禁状態)で、トークスクリプトを叩き込まれていたとは言え、実戦は別物。怪訝な表情の母親を前にして、自分にはあまりにもハードルが高かった。どんどん心が病んでいった。

あれから20年以上経過したものの、自分の中では決して色褪せないキョーレツな記憶。結果的にこの体験が、僕の中での仕事における判断軸になっていく。「無駄な経験は何一つない」そう語る際たる体験だった。


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