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他人のしんどさを理解することなんて
未だ春ABの課題を引きずりつつ、それでも少しずつ日々が落ち着いてきて安心している。
個人的に、この2ヶ月は人生においていちばんと言ってもいいんじゃないかというほど余裕がなかった。今まで当たり前のようにこなせてきた課題と授業にこんなに生活を狂わされるとは正直思っていなかった。程度や感じ方に差はあれど、みんなこの春AB相当しんどかったんじゃないか(今もかもしれないけれど)。少なくとも私の体感ではそう思う。
最近、オンライン授業で課題がこんなに出ていてきつい!という主張をする大学生のツイートをよく目にするようになった。具体的なレポートの文字数を示して主張しているツイートもあった。それに対する返信は同情よりも、このくらいの課題量は普通だとか、これがきついなんて甘えだとかいう意見の方が目立つ。それを見て複雑な気持ちになってしまった。
私も春ABの間は毎日課題と授業に追われていて、まともに寝ずに課題することも日常茶飯事だった。演習の課題しながら好きな音楽を聴くことで辛うじて精神を保っていたし、愚痴みたいな独り言ツイートを垂れ流していないとやっていられなかった。うるさくてすみません。
そのときは確かにこれでもかというほどしんどかったのだけれど、それでも、少しずつ余裕が出てきた今思い返すと、なんだか大袈裟だなと思ってしまう自分がいる。喉元過ぎれば熱さを忘れるとかよく言うけれど、あんなに大変だったはずなのに、こんなにすぐに忘れてしまうのか。
自分自身でさえ、ほんの少し時間が経っただけで本当にしんどかったときの自分の気持ちは分からなくなってしまうことが少し悲しい。
きっと、自分が今感じているしんどいとかつらいとか苦しいとかを本当に感じられるのは、理解できるのは、この今の自分だけだ。
それなら他人のしんどさを理解することなんて到底できないんじゃないか。
理解できないから、他人がつらいと声を上げているのに対して自分の方が課題が多いからつらいとか、それくらいなら大したことないとか、比べられるはずも評価できるはずもないんじゃないか。
大学生の課題がつらいというツイートに対する意見の数々を見て、ついそんなことを考えてしまった。
ただ、これは自戒でもある。
大変だという人の課題量を聞いて、そのくらいの量は普通だ、自分の方がもっと苦労している、と言いたくなる人の気持ちもわかってしまうから。
自分に余裕がない時ってついそういうふうに思いがちだけれど、でも、他人のしんどさやつらさを勝手に理解した気になって軽視することはしないように。
自分の方が苦労しているとでも思っていないとやっていられない時も確かにあるけれど、それを相手にぶつけることのないように。
こんなことを言っていられるのもきっと今の私に少しだけ余裕があるからなんだろうな。
春AB乗り切った人も、まだ続いてる人も、みんなお疲れ様です。
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