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もしかしたら日本人じゃなかったかもしれない話

私は日本で生まれて日本で育ったので、自分は日本人だと思ってる。でも、もしかしたら育ちが日本ではなく、日本文化なんて馴染みないよ、みたいな違う国の人間になっていたかもしれないということを最近知った。

私の父は昔あちこち移動する人だった。転勤が多かったとかでは無く、自分の意思でいろんなところに行く人だった。母と入籍してすぐに「仕事に殺される」と言ってアメリカに行き、アメリカで仕事に殺され、その後熊本に数年住み、その後は沖縄へ。私は沖縄に両親がいるタイミングで生まれた。

当時父は研究職についていた。多忙で父も母も今の体型とは全然違ったらしい。そんなことはどうでもいいんだけど。父のその研究の一環で、私が1歳くらいの時フィリピンだったかミャンマーだったか、とにかくどこかの東南アジアの国に父が長期的な出張に行く話が出ていたそうだ。父は単身赴任で行こうとしていたらしい。しかしそれを黙って聞く母ではなかった。1人で行くという父に対して彼女が放った一言。

「なんでそんな面白そうなことに私を連れて行かないの?」

母〜〜〜。この話を聞いた時は笑った。一番手がかかる時期の子育て中だよ。なんでそんな。強い。

結局父親がその職場を辞めたため無くなった話だが、もし辞めてなかったら私は彼らに連れられ、きっと今頃どこか東南アジアの人間になっていた。筑波大学にはいないしそもそも存在も知らなかったかもしれない。少なくとも今の私は形成されていない。芸術の道とか選んだか…??もっと現実的な人間に育っていたかもしれない。ある意味、これは私の人生というか人格そのものも含め重要な分岐点だった。そう考えると本当に今自分がここにいることが不思議だ。いなかったかもしれない私がここにいる。ということはいたかもしれない私がもしかしたら東南アジアに存在している…?え〜〜なんかドッペルゲンガー想起しちゃったやだなホラー嫌いなのに。

でもほんとによくある言い回しだけど私が今つくばにいるのは奇跡だと思う。両親と話してると何個か大きめの人生の分岐点が出てくる。その度に私が出会う人もやっていたことも大きく変わってるんだと思うとザワザワする。

最近人種だとか、国籍だとか、そういうニュースで思い出しただけの話です。もしかしたらの話なんてやりだしたらキリないけど、私ももしかしたら「日本人のくせに〇〇人みたいな顔すんなよ」とかその他人種的差別を受ける立場にあったかもしれない。というか今私が海外に行っても差別は受けるだろうけど。苦しいと思う。もし私がここにいなかったら、今私の周りにいる友人知人には、何か事件があっても「〇〇人だから」とそれはそういうものだとカテゴライズされてある意味「他人事」として扱われていたのだろうか。私もそう考えてしまうことがあるし考えても仕方がないと言われてしまうかもしれないけれど、なかなかきつい。

差別ってなんだ?とこの日本人じゃなかったかもしれない話をきっかけに悶々と考えてる。