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決別について

このコロナ禍で思い出したことがあった。近しい人の急な死に別れをする暇も無く絶望した人たち。そんな人たちの報道やニュースを見て恩師のことを思い出した。

彼女は幼稚園の頃から私に絵を描くことを教えてくれていた。小学生までは毎週土曜日の午後に、2時間くらいだったかな、彼女のところに絵を描きに行っていた。ダークブラウンの板張りの床は絵具がたくさん付いていたけれど綺麗だった。奥にはたくさん本や画材があってそこから好きな資料を選んで描いていた。時間の半分くらいは本を読んで過ごしていたこともあった。壁にはそこに通う子供が描いている絵をずらっと掛けて乾かしてある。独特の絵具の匂いが充満してる。今思うと、魔女の宅急便に出てくる絵描きの女の子の家の中にちょっと似てた気がする。大好きな場所だった。

中学生になって、自然と通う回数が減っていった。最後に先生のところへ絵を描きに行ったのは中学2年生のゴールデンウィークだった。同じ年の夏に、忙しくなってもう正式に通うのを辞めると、先生に言いに行った時には先生はそこにいなかった。知らない若い人が、先生として入れ替わっていた。

先生は亡くなっていた。私が最後に絵を描きに行ったゴールデンウィークの直後、急に容体が悪くなりそのまま帰らぬ人になったそうだ。あれが最後。いつも通り彼女にさよならと言って帰ったあの日が最後だった。先生は50代後半だった。病気をしていることは少しだけ聞いていたけれどそんなにひどいとは知らなかった。だから、こんなに急に、人が、先生が、きれいさっぱり知らない間に消えてるなんて思っていなかった。葬式にも行ってない、お墓も教えて貰えない。この時、死んだ人を引きずらないためにはその死顔を見ること、あの人は死んだのだとちゃんと確認することが必要なことを実感した。よくある「葬式は残された人のためのものだ」という言葉が苦しいくらい刺さった。今でも、時々彼女が生きているんじゃないかと思って、そんなことはないと実感して泣いてしまう。
コロナに感染して亡くなった方の遺族は、ちゃんと別れができたのだろうか。そばに行くこともできず、亡くなった顔も見れず、帰ってきた時にはもう火葬が終わっている状態で、いつけじめをつけれるのか、心の整理ができるのだろうか。
私は、約7年経った今でも先生の死を引きずっている。ゴールデンウィークになると毎年思い出す。ついさっきまで、また明日会えると思っていた人の死は、理解が追いつかず、ただ混乱の中少しづつ向き合うしかない。

この出来事に関しては思うことが多すぎるので、決別ができてないということだけ書いた。もしかしたらまた別の記事で別の視点で書くかもしれない。胃が痛くなるのでいつになるかわからない。